2002年度

◆第111回総合部会
(総合部会代表 黒須三惠)

期日:2003年3月8日()午後2時から5時頃まで
場所:日本医科大学5号館4階第1講堂
(「2月の月例会のお知らせ」の次回予告では、「日本医科大学4号館第1講堂」とご通知しましたが、誤りです。お詫びと訂正をさせていただきます。)
南北線「東大前」下車、千代田線「千駄木」あるいは「根津」下車、各徒歩10分程度 (周辺地図につきましては、以下の日本医科大学のホ-ムペイジをご覧下さい。http://www.nms.ac.jp/pr/abt/abtcon/index.html.)

2時から2時10分まで 会員紹介

2時10分から5時頃まで 発表

演題: -今こそ、医療倫理が問われているー
「21世紀初頭の医療-医療制度改革の基本的方向と変容する病院経営」
演者:遠藤正樹氏 (医療法人社団康明会 常務理事 法人本部事務局長)
略歴:1966年2月生まれ。1988年日本福祉大学社会福祉学部卒業。
1988年 東京都内の民間病院 医療ソーシャルワーカー入職。
1990年 東京医科大学八王子医療センター 医療ソーシャルワーカー入職。
1998年 医療法人社団康明会 入職。常務理事兼法人本部事務局長に就任。
2000年 多摩大学大学院経営情報学研究科博士前期課程2年在学中
2003年 同学卒業 経営情報学修士
多摩大学総合研究所ソシオ・ビジネス研究センター客員研究員
株式会社富士電機医療プロジェクト事業部客員研究員
株式会社AIU保険会社 損害統括本部顧問(保険開発)
株式会社 グッドウィルグループ コムスン アドバイザー
その他、看護学校講師、複数の医療機関の経営顧問、監査役を務めている。また、医療/福祉関連のNPOや地域医療・福祉団体の理事として、21世紀の患者中心医療・介護へのパラダイムシフトに向けて、活動している。

要旨:
我が国の21世紀初頭の医療は、医療保険財政の均衡を図る目的として、医療費抑制を軸とする制度改革を推進している。これまでの医療政策・制度の意思決 定プロセスを紐解けば、主役は、厚生労働省と日本医師会:2極のバランス・パワー・ポリシーによって統制され、肝心の医療サービスを受け患者は観客化され てきた。今日、医療過誤や病院組織と医療内容の内幕が、メディアにより氷山の一角ではあるが報道されている。激化する「医療不信」は、これまでの国民の鬱 積した不満が顕在化したこと、医療だけは「聖域」という幻想を抱き続けてきた一部の医療者の奢りに他ならない。今日、医の「聖域」から変貌かつ逃避した病 院組織と医療者の有り様が問われているのである。医療の悪しき権威主義、診察室前で脅える患者の姿を象徴する病院と患者の関係性は、後世に決して残しては ならない。つまり、患者に期待され信頼される「医の原点回帰」が求められているのである。紀元前のヒポクラテスの誓いは、現代に生きる医療者にとって、今 尚、生き続ける「哲学」である。そこで、病院マネージャーの立場から、今こそ、問われている医療倫理について、医療現場の実態をふまえて問題提起したい。

◆第110回総合部会

期日2003年2月1日()午後2時30分から5時30分頃まで
場所:日本医科大学本館C棟地下第6演習室(第1臨床講堂の隣り、5月及び7月の月例会の会場と同じ)
南北線「東大前」下車、千代田線「千駄木」あるいは「根津」下車、各徒歩10分程度
(周辺地図につきましては、以下の日本医科大学のホ-ムペイジをご覧下さい。 http://www.nms.ac.jp/pr/abt/abtcon/index.html.)

2時30分から2時40分まで 会員紹介

2時40分から5時30分頃まで 発表

演題:介護保険制度と看護
演者 :岩倉孝明氏 (川崎市看護短期大学)
要旨:2000年4月から公的 介護保険制度が実施された。この介護保険制度の基本的な仕組みや実施以来の実情を簡単に確認しながら、介護(ケア)のなかでも、とくに健康という問題に中 心的に関わる看護の役割に注目し、この制度において看護職はどんな役割を果たすべきか、また看護はどうこの制度によって変わるかといった問題について、導 入的な紹介を行いたい。 当日に資料を配布予定

***前回(第109回)総合部会のお問い合わせ***

1月の総合部会での発表内容に関するお問い合わせは、下記の中木高夫先生までお願い致します。なお、当日配布原稿・資料は、事務局でお預かりしておりますので、ご希望の方は、事務局までお問い合わせください。

中木高夫  〒150-0012 東京都渋谷区広尾 4-1-3 日本赤十字看護大学TEL/FAX 03-3409-0901(直通)

◆第109回総合部会

期日
2003年1月11日()午後2時から5時30分まで
場所:東洋大学白山校舎1号館4階1408番教室 (12月7日と同じ会場)
都営三田線「白山」駅下車5分 ( 大学周辺の地図等詳細につきましては、東洋大学のホ-ムペイジhttp://www.toyo.ac.jp の「キャンパス情報」をご参照ください。)

午後2時から2時10分まで 会員紹介

午後2時10分から5時30分頃まで 講演

演題(テ-マ):医学と看護 ~自分史からみたケア/ケアリング~
演者: 中木高夫先生 (日本赤十字看護大学)
要旨:平成6年以来,看護教育 の場に奉職していますが,そもそもの出発点は消化器内科医でした。新設国立医科大学である滋賀医科大学に赴任して,大学づくり,病院づくりを経験するなか で,ナースたちから「医師だから看護が理解できないのだ」と言われれ続けてきました。さいわいなことに,この大学の病院はPOS(Problem Oriented System)という診療記録の方式で統一されていたので,医師とナースは同一紙面にそれぞれの作業を記載していました。そこをプラットホームとしてナー スたちと対話がはじまり,看護に興味を持つようになり,「何がそうで何がそうでないか」(ナイチンゲールの言葉)ということの根拠を探すようになりまし た。今回,貴重な場を与えていただけるのを機会に,自分が体験してきたことを手がかりにケア/ケアリングについてお話しできれば思います。
参照書誌:とくにありませんが,著書としては『POSをナースに(第2版)』(医学書院)があります。

◆第108回総合部会

期日2002年12月7日()午後2時から5時20分まで
場所:東洋大学白山校舎1号館4階1408番教室
都営三田線「白山」駅下車5分 ( 大学周辺の地図等詳細につきましては、東洋大学のホ-ムページhttp://www.toyo.ac.jp の「キャンパス情報」をご参照ください。)

2時から2時10分まで 会員紹介

2時10分から4時10分頃まで 「クロ-ニング論部会」による発表

タイトル:クローニング技術をヒトに応用する是非について、二題
クローニング技術を使ってヒト個体を再生産することについての問題性は、ひととおり議論が尽くされたように思う。今回は、「クローニング論部会」から二人の発表者がその議論をまとめつつ、 この問題について哲学(黒崎)と倫理学(奈良)の観点からいままでの成果を発表することにしたい。ただし、発表内容については各人が個人として行う。

1.人類史における「クローン人間」
発表者:黒崎 剛氏
クローニング技術をヒトに応用することは、人類の自己認識としての科学の発展という観点から見て、無意味であるという見解を発表する。
「クローン人間」を作ろうとする目的は、①医療資源として、②子供を持つための方法として、③慰めの手段として、④ナルシシズムとエゴイズムから、⑤ 優生学的進化主義から、といったところであるが、1.これらがいずれもクローンという方法によってはその目的を達成することができないこと、2.またそう した目的が人間のクローニングによって達成されるという考えそのものが近代主義(自我論、個人主義、ナルシシズム、有用性)を不当に肥大化した、妄想とさ え言えるものであること、3.こうした目的はクローニングよりも遺伝子操作技術の完成を待ってはじめて達成可能になるものであって、真の問題は遺伝子操作 技術にあり、それに比べるとクローニングによるヒトの生殖という構想は、実現させる社会的利益の薄いものであること、以上のことを述べる予定である。

2.ヒト・クローニングにまつわる倫理問題
発表者:奈良雅俊氏

ヒト・クローニングにまつわる倫理問題を考察する。まず、 1.技術的問題について確認し、ついで、 2.ヒト・クローニングをめぐる倫理的問題の論争状況を踏まえ、 3.クローニング技術の応用について、特に治療的クローニングの是非とそれが提起する倫理的問題を論じて見るつもりである。

4時20分から5時20分まで 個別発表

演題 株式会社が医療に参入することについての問題点
演者 加藤健一郎氏(東武丸山病院)
要旨 (内容メモ)
・営利企業に、医療や教育は任せられないか?---規制の見直しの検討(経済財政諮問会議)
・株式会社性悪説には、根拠がない。学校法人や医療法人には利潤動機がないというのは、虚構である。
・会社の種類(こんな会社がオ-ナ-になったら) 例: ミドリ十字、銀行、東芝メディカル、武田薬品、セコム、クロネコヤマト、IBM、 消費者金融、商社、セブンイレブン、ユニクロetc
・分断統治(フランチァイズ支配のル-ル)非対称性情報支配、売り上げ管理(マトリックスを用いた)
・株式会社に賛成の医療法人もある。徳洲会、亀田総合病院、河北病院・発表者の個人的事例(個人的経験) (北海道、愛知県、京都府での例)
・民営公営(TFI)と公設民営方式
: 私は,健康上援助の必要な対象者に看護ケアを提供する看護師である。私たちは通常,看護を行う時に患者に対して何をどのように働きかけるのかの行動指針と して「看護計画」を立てる。その計画を考える時の視点―「この人の現在の問題点は何か?」。この見かたは,対象者が自らの力で健康的な生活を送ることがで きるようになるための援助を探す上で必要な視点であるが,常に何かを一方的に提供する強者-弱者の関係を生んでしまう危険性を孕んでいる。“看護は全人的 に相手をとらえる”と言いつつ,立案している現在の看護計画はその理想像に近づけているだろうか。私のケアに対するこのような違和感はどこから生まれてい るか。私たちの行っている看護ケアの判断根拠はどこにあるのか。“看護師としての私の主観”は何であるか。私たちは現場で,ケアの現象に直接巻き込まれつ つ倫理的問題について考察しうるのかどうか,自己の体験から論じたい。

◆第107回総合部会

期日2002年11月2日()午後2時から5時まで
場所:日本医科大学5号館4階エレベータ前、第1講堂
(6月の月例会に使用した会場です。)
南北線「東大前」下車、千代田線「千駄木」あるいは「根津」下車、各徒歩10分程度、 以下の日本医科大学のホ-ムページをご覧下さい。
http://www.nms.ac.jp/pr/abt/abtcon/index.html
* 前回の「10月の月例会のお知らせ」では、「東洋大学白山校舎か立正大学の予定」とお知らせ致しましたが、会場が変更になりましたので、ご注意ください。

2時から2時10分まで 会員紹介

2時10分から5時頃まで 発表

演題: 公開講座「今、ケアに問われているものー医療におけるケアとその倫理」

演題:「ケアの質はいかに保証されるか」の予行演習
演者:勝山 貴美子 氏 (名古屋大学)
要旨:近年、日本の医療をめぐ る状況は大きく変化をしている。超高齢社会、医療技術の進歩、医療費の高騰、少子化、ヘルスケア・ニーズの変化、患者の権利意識の高まり、不透明な組織体 制などに対し、大きな転換を迫られている。そのような状況の中で、ケアの質をどう保証していくかは、今、日本の医療に求められている課題だといえる。
第一章で、ケアの質が議論されるようになった歴史的背景を述べる。医療技術の変化、高齢社会、人の価値観の変化を概観する。第二章で、ケアの質とはなに か、ケアの質を保証するとはどういうことなのか、第三章で、ケアの質を保証するための現代医療におけるしくみを説明する。第四章で、ケアの質を保証するた めの現代の課題を明らかにする。ケアを保証するしくみ自体の問題点、および、それを運用する人の問題点を明らかにする。

演題:患者は私に何を伝えようとしたか
演者:和田 恵美子 氏(大阪府立看護大学)
要旨: 私は,健康上援助の必要な対象者に看護ケアを提供する看護師である。私たちは通常,看護を行う時に患者に対して何をどのように働きかけるのかの行動指針と して「看護計画」を立てる。その計画を考える時の視点―「この人の現在の問題点は何か?」。この見かたは,対象者が自らの力で健康的な生活を送ることがで きるようになるための援助を探す上で必要な視点であるが,常に何かを一方的に提供する強者-弱者の関係を生んでしまう危険性を孕んでいる。“看護は全人的 に相手をとらえる”と言いつつ,立案している現在の看護計画はその理想像に近づけているだろうか。私のケアに対するこのような違和感はどこから生まれてい るか。私たちの行っている看護ケアの判断根拠はどこにあるのか。“看護師としての私の主観”は何であるか。私たちは現場で,ケアの現象に直接巻き込まれつ つ倫理的問題について考察しうるのかどうか,自己の体験から論じたい。


◆第106回総合部会

期日2002年10月5日()午後2時から5時50分まで
場所:共立薬科大学 2号館1階155番教室
東京都港区芝公園1-5-30 電話:03-3434-6241(代表)
都営三田線 御成門駅下車 徒歩2分(A2出口から直進し信号わたり左折、右手すぐに大学のビル、入り口からそのまま直進し、突き当たり左手奥の教室)
*共立薬科大学の周辺地図は、以下の大学のホ-ムペイジをご覧下さい。
http://www.kyoritsu-ph.ac.jp/gif/map.gif

2時から2時10分まで 会員紹介

2時10分から3時10分まで 発表
演題: 治験同意取得に関するアンケート調査結果について
演者: 岡本天睛氏 (防衛医科大学)
要旨
【目的】治験におけるインフォームド・コンセントは、治験に参加される方の権利と安全性を守るためのものであり、その内容は新GCPで細かく定められている。今回当院IRBの指示の下、治験同意取得に係る状況を把握するためにアンケート調査を実施した。
【方法】防衛医科大学校病院で平成12年度に治験参加した被験者57名を対象とし、平成13年5月17日~7月31日の間に、34設問からなるアンケート 調査実施した。また同様に治験担当医師18名を対象に同意取得できた被験者毎の14設問からなるアンケート調査も併せて実施した.
【結果】被験者のアンケートの回収率は、79%であった.同意説明文書による医師からの説明については概ね理解されていたが、理解しにくいものは、二重盲 検試験(22%)、副作用(22%)、治験薬の効果(18%)だった。同意説明文書に署名したことに53%の人が不安であったと回答しており、その7割は 治験薬による副作用を挙げていた。治験に参加した理由としては、治験薬の病気への効果を期待して(71%)と回答し、効果があった場合継続の使用を要望し ていた。
一方医師へのアンケートの回収率は100%で、説明に要した時間は平均30分強、説明しにくいものとして、プラセボ(28%)、二重盲検試験(23%)、副作用(23%)を挙げ、半数以上の被験者に対し治験コーディネーター(CRC)に補助説明を依頼していた。
【考察】今回の調査により、医師・被験者とも、ICの本質と意味を十分に理解していないことがしられる。そこから、医師の被験者に対する、説明不足、専門 用語の羅列、被験者がICHでいう弱者であることの認識不足等が生じている。被験者も一部に被験者の権利を十分認識していないことが知られる。これらを踏 まえ、治験における医師の教育、即ち被験者に対する説明態度教育や解りやすい用語の使用・同意説明文書作成を、今後の治験の課題とし、適正化に役立ててい きたい。

3時20分から5時50分頃まで 発表
演題: ケアと看護哲学 -S・エドワーズ『看護の哲学』における重層的ケア論の検討
演者: 服部健司氏(群馬大学)
司会者:黒須三惠氏 (日本医科大学)
要旨: S・エドワーズ(Steven D. Edwards, RMN, BA, MPhil, PhD.)のケア論を概括し、批判的考察をくわえてみたい。エドワーズによれば、ケアには重層性がある。「志向的ケア」がそのひとつであり、それは患者の おかれた状態を知り、そのニーズに応えるあり方であり、情感的な要素を含む。もうひとつは「存在論的ケア」であり、これは生物学的身体にむけられた 「ディープ・ケア」と人格の本質に関わる「アイデンティティ構成的ケア」に二分される。言ってしまえばきわめてものものしい、ひっかかりを感じずにおられ ないような言葉遣いで展開されるエドワーズのケア論と向き合う理由はふたつある。ひとつは、そこにケア論そのものを豊かにするようなノベルティがあるのか どうかを見ること、もうひとつはテツガク的術語と看護哲学との連結具合を点検することで、看護哲学そのものの方法論を考えてみることである。
ところでエドワーズの『看護の哲学』(Philosophy of nursing, 2001.) は、英国ウェールズ大学保健学部の大学院看護哲学専攻修士課程での講義をもとにして著わされている。もちろんこの著作のみをもってかの地の院レベルでの一 般的な研究・教育水準を推測することには無理があるが、それでもその一端をのぞき知ることはできると考える。発表者はこの2年ほど保健学科大学院三専攻共 通カリキュラムとして医療倫理学特論の授業(半期、昼夜開講)を担当しているが、自分のしている授業とエドワーズのクラスとのギャップはきわめて大きい。 発表の後半では、看護系大学院での看護哲学教育のあり方について検討してみたいと考えている。

◆第105回総合部会

期日2002年9月7日()午後2時から5時50分まで
場所:共立薬科大学 2号館1階156番教室
東京都港区芝公園1-5-30 電話:03-3434-6241(代表)
都営三田線 御成門駅下車 徒歩2分(A2出口から直進し信号わたり、右手すぐに大学のビル、入り口からそのまま直進し、突き当たり左手の教室)
共立薬科大学の周辺地図は、以下の大学のホ-ムペイジをご覧下さい。
http://www.kyoritsu-ph.ac.jp/gif/map.gif

2時から2時10分まで 会員紹介

2時10分から3時10分まで 発表

演題:『ハイデッガーにおける人間本質への問い』
演者:皆見浩史氏 (栃木県県南高等看護専門学院非常勤講師)
司会者:黒須三惠氏 (日本医科大学)
要旨:(まえがき)
寿命が延びている。しかし、いまだ不死の人間はいないようだ。医学の分野では、クローン技術による、実験用動物の大量生産、医薬品の製造、移植用臓器の生産などが考えられている。人間の寿命はますます延びてゆくのかもしれない。
1996年、クローン技術による羊の「ドリー」の誕生が報道されたことは記憶に新しい。わが国ではすでに2001年、クローン人間の製造を禁止する「ヒ トに関するクローン技術等の規制に関する法律」(クローン規制法)が施行されているが、海外では、2002年4月、イタリア人医師がクローン人間の受胎成 功を発表し、その真偽および倫理性が論議された。さらに、実際のクローン人間誕生に先だち、早くもその人権問題までもが論じられている。
クローン技術によって生まれた、自分と同じ遺伝子を持つ人間が、もしも自分と同じ人間だとすれば、その場合には「自己同一性」とは何かということも問題 になるであろうし、また、寿命が延びるだけでなく、臓器移植を繰り返すことによって、最終的には人間が不死となる、ということになるのかもしれない。
こういったことには、まだまだ多くの技術的な問題があり、そう簡単に実現することはできないようだが、先の羊の例にしてみても、最近まで体細胞クローンが不可能だと言われていたことを思えば、たんに空想的な議論だとは言い切れないように思われる。
また、すでに多くの人が、クローン技術に対する違和感を表明している。それは何故だろうか。食物の場合であれば、たとえば人体に対する安全性が問われ る。だがその際、複製すること、その行為自体の是非は、さほど問われない。しかし、人間の場合には、人間を複製すること、その行為自体がしばしば問題視さ れる。
不自然な行為だからだろうか。しかし、技術を利用することもまた、それはそれで、自然な、人間らしい行為ではないのか。それともあるいは、「人間らし さ」が、または人間の存在の仕方が、かつてとは異なってきており、技術とのかかわり方も異なってきている、ということだろうか。
いずれにせよ、何よりもまず問われなければならないのは、人間の本質への問いであろう。
哲学は伝統的に、人間とは何かという、人間本質の問いに対して、一つの答えを与えている。すなわち、人間とは「理性的動物(animal rationale)」である、と。ここでは、理性という種差が帰せられつつも、人間がすでに動物の一種として考えられている。
人間を動物の一種とする考えは間違っているわけではない。人間と動物との間に数多くの共通項があるからこそ、たとえば動物実験がしばしば人間に対しても 有効なのであろうし、あるいはまた、動物と人間とを生物という同じ地平で考察するからこそ、両者の生物学的な相違点に関しても明らかになりうるのであろ う。
だがしかし、人間と動物との間には、たんに生物学的な次元にとどまらない、根本的な違いがあるとすれば、それはいったいどの点にあるのだろうか。本発表では、ハイデッガーの思索を手がかりに、このことを考えてみたい。
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出典、および邦訳をごく簡略に記しておく。
Martin Heidegger Gesamtausgabe: Vittorio Klostermann. Frankfurt am Main
特に
Band.2.Sein und Zeit
Band.9.Wegmarken
Band.29/30.Die Grundbegriffe der Metaphysik.
Band.65.Beitraege zur Philosophie
ハイデガー『存在と時間』 原佑、渡辺二郎訳
中央公論社 中公バックス「世界の名著」74
ハイデッガー『道標』 辻村公一、H・ブフナー訳
創文社 ハイデッガー全集 第9巻
ハイデッガー『形而上学の根本諸概念』 川原栄峰、S・ミュラー訳
創文社 ハイデッガー全集 第29・30巻
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3時20分から5時50分頃まで 発表

演題: 介護保険の批判的検討と介護ケアの諸問題
演者: 浜田 正氏 (昭和薬科大学非常勤講師)
司会者:黒須三惠氏 (日本医科大学)
要旨: 我が国で介護保険制度が導入されて2年の歳月が流れた。様々な病気、障害をもった高齢者(基本的に65歳以上)の自立を支援し、こうした高齢者を介護する 家族を社会的に支えるために作られた介護保険制度は、果たして、その理念に相応しいあり方になりつつあるのだろうか?厚生労働省の自己検討(厚生労働白書 や厚生労働省のホームページなど)、医療経済学者・医療政策学者の研究、そしてケア・プランを作成しているケア・マネージャー(介護支援専門員)―本年3 月下旬に開催された「日本ケアマネジメント学会公開講座・第一回近畿介護支援専門員研究大会」など―や、実際、介護を行なっているケア・ワーカー、家族の 問題提起―本年2月に実施されたシンポジウム「これでいいのか介護保険―地域、家族そして職場からの提言」など―を踏まえて、介護保険制度を批判的に考察 してゆきたい。さらに、日本の介護保険制度の構想期に主として参考にされたドイツの「介護保険制度」、イギリスの「ケア・マネジメント」などを手掛かり に、日本の介護保険制度を検討してゆくことにする。
次に、介護ケアの目指すべき方向を考えてみたい。例えば、新しい試みとして、「生活リハビリ」という考え方と実践を挙げることにする。高齢者の介護の場に 必要なものは、治療・健康回復をめざす、言わば「医療モデル」的対応ではなく、むしろ、高齢者を<生活者>として位置づける言わば「福祉モデル」的対応で はないだろうか。こうした試みのなかから、介護する家族も多くのことを学びうるだろう。ケアの内容とそうしたケアを支える思想を吟味してゆくことにする。  (浜田 正)


◆第104回総合部会


期日2002年7月6日(土)午後2時30分から5時30分まで
場所:日本医科大学 本館C棟第6演習室(5月の月例会の会場と同じ)
南北線「東大前」下車、千代田線「千駄木」あるいは「根津」下車、各徒歩10分程度
(5月上旬郵送にてお送りした地図をご参照ください。もしくは、以下の日本医科大学のホ-ムページ(下記)をご覧下さい)
http://www.nms.ac.jp/pr/abt/abtcon/index.html

2時30分から2時40分まで 会員紹介

2時40分から5時30分頃まで 発表

演題:「人間」の終焉と「ケア」の概念
演者: 朝倉輝一氏(東洋大学)
要旨: 「人間なるもの」「主体なるもの」の終焉が論じられるようになってかなりの時間が経っていると思います。ですが、ケアに関して、主体・実体たる自己が存在 して関係を結ぶ、あるいは逆にいわゆる「我-汝の出会い」という関係の一次性が強調されますが、じつはどちらも「主体」や「あいだ」を実体視しているので はないでしょうか。
というのも、他者とはなによりも主体自己の安定を脅かす存在であり、そうした他者による疎外・簒奪の危険にさらされているからこそ、人間なるものの終焉 が論じ始められたのではかったかと思われるのです。だが、相互承認論にみられるように、この他者だけが自己を形成することができる。だから、もし自己が関 係の束、あるいは私と世界とのあいだで働いている世界との関係の原理であるとするなら、「ケア」を、徹底的に関係の強度と生成という観点からとらえる必要 があるのではないでしょうか。
ところで、ケア提供を担う人たちからは、ケアの個別性が強調されます。では、「ケア」という言葉もしくは概念はいわば「名」のみなのでしょうか。なぜ個 別的なそれとしか言いようのないものにそれぞれ「○○ケア」「××ケア」という言葉が冠されているにもかかわらず、わざわざ「ケアは個別的である」とされ なければならないのでしょうか。ここでは、一体、ケアの何が問題になっているのでしょうか。
「人間なるもの」の終焉と「ケア(なるもの)」の概念の関連はあるのでしょうか。まだ、考えが全くまとまっていませんが、浅学非才を顧みず、思うところをさらして、皆様のご叱責を請いたいと願います。 (あさくらこういち)

◆第103回総合部会

期日2002年6月2日(日)午後2時30分から5時30分まで
場所:日本医科大学 5号館4階第1講堂
南北線「東大前」下車、千代田線「千駄木」あるいは「根津」下車、各徒歩10分程度
*6月の月例会は、日曜日開催です。特に土曜日に仕事の都合等でご出席出来ない方、是非ご参加をお願い致します。なお、先月郵送いたしました、「月例会 の地図」は、4号館を指していましたが、5号館の誤りです。ご訂正をお願い致します。また、「5月の月例会のお知らせ」記載の「6月の総合部会予告」の場 所が4号館4階となっておりましたが、5号館4階の誤りです。併せて、ご訂正をお願い申し上げます。

2時30分から2時40分まで 会員紹介

2時40分から5時30分まで 講演

演題: ケアであること、ケアでないこと
演者: 鈴木正子先生(東洋英和女学院大学大学院人間科学研究科博士後期課程)

略歴: 1961年京都大学医学部付属看護学校卒業、その後、大阪府立厚生学院保健部卒業、慶應義塾大学文学部卒業。財団法人田附興風会北野病院看護婦、兵庫県西 宮保健所保健婦、兵庫県立厚生専門学院、埼玉県立厚生専門学院勤務を経て、埼玉県立衛短期大学に転任し、講師、助教授歴任、1991年退職。1993年東 京国際大学大学院社会学研究科応用社会学専攻修士課程修了(社会学修士)。1993年広島大学医学部保健学科教授に就任、2001年3月退職。現在、看護 の研究活動をしている。
主な著作:「生と死に向き合う看護」医学書院、「看護することの哲学」医学書院、「からだを聴く」(共著)日本看護協会出版会ほか。

要旨: 今日、ケアという言葉は、医療看護にかかわらず広く使われるようになってきている。ケアに関する研究も、いろいろなところで行われている。しかしながら、 その本当の意味をなかなかはっきりできないでいる。ケアという言葉を使うとき、ある種の願いがこもっているというのが、職業としての看護に携わる者の思い である。医療の現場を踏まえて、本当のケアとはどういうものかを吟味したい。看護の現場にいて、本当の看護ができないと悩む看護師は多い。日本中を見渡し ても、ああいい看護を受けたといって、退院した患者が回りの人に言って回るといった話題を耳にしたことがない。医療の現場にあって、看護師は医師の指示す る治療処置行為に追いまくられ、一日の勤務時間の大半を時間オーバーして走り回り、一方患者の側は、少しも世話を受けた気がしないというのが実際の姿であ る。
ハイデッガーは「存在と時間」の中で看護に触れている。配慮(Besorgen)とは、手元にあるものへの関心、道具的あり方、便利さ、有用さ、使いよ さ、道具連関、環境世界とのかかわりを意味する。方法としては見まわしである。顧慮(Fursorge)とは、心配を取りのぞき、相手に飛び込んで尽力 し、気づかい世話すること、他人への関心、ともにあることを意味する。方法としてはかえり見と見まもりである。病体の看護は顧慮であり、これは実存カテゴ リーを表す述語である。又これは基本的に相互存在を特徴付けるものであり、その際感情移入は欠かせないものであるとする。
ケアと呼ばれるものが、このハイデガーの言う顧慮という存在論的表現で規定されるものであるならば、われわれの日常の看護現場で繰り広げられる様相は、 まさにハイデッガーの言う配慮、すなわち道具的連関に終始するといっても過言ではない。それゆえ、患者は少しも自分という存在を気づかわれたとは感じな い。一見ケアに似て非なるもの、それを峻別するものは、関心のありか、かかわり方、見まもり方にあるといってよい。これらを例を用いて吟味したい。

第102回総合部会

期日2002年5月11日(土)午後2時から5時まで
場所:日本医科大学 第6演習室(第1臨床講堂の隣)
演者:和田恵美子氏(大阪府立看護大学)
テーマ:「病いを物語るきっかけ-看護婦がみる闘病記から」
司会: 朝倉輝一氏(東洋大学)
要旨:人は,病いをもっている 時にどのように思い感じながら生活しているのであろうか?この大きな問いは学生時代の受け持ち患者が書いた闘病の記録を読んだことが出発点となっている。 その闘病の記録からは,看護ケア場面の外側からは見えにくい当事者の主観的な心の動きやものの見方の多層性を知らされた。そこで私は,病いを機に書かれた 自伝的記憶に基づき特定・不特定を問わず他者に語りかける闘病記を書くきっかけに着目した。
1970年以降,語り・物語という言葉は人間を対象とする学問分野で関心をよせられている。対象者の物語を特定の疾患や特定の方法論として対象者自身に着 目したもの,また対象者と医療者の相互関係や闘病記に着目したものは知らされているが,語りのきっかけに関する研究は探し得なかった。そこで今回は,公に 出版された闘病記に表現されている病いを物語るきっかけに焦点をあて,きっかけをとりまく状況やきっかけに関与する要因を明らかにすることを目的とした。
我々医療者は,患者の話に耳を傾けることが重要であると言われる。闘病記著者は何をきっかけに病いを語ろうとしたのかを問いながら,医療者はそのきっかけ になれるのか,また,なぜ病いをおった者にとって語ることが,あるいは語りを相手に聴いてもらうことがケアになるのか,加えて,もしケアとなり得るのであ ればそこで必要な援助の視点とは何であるのか議論を交わしたい。

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2003年度

◆3月例会(第122回総合部会例会)のご案内

日時2004年3月6日(土) 午後3時~5時半
場所:芝浦工業大学 本館2階 第1会議室
※JR山手線・京浜東北線・田町駅東口より徒歩3分、または都営三田線三田駅より徒歩5分
周辺地図・構内図等は、芝浦工大のホームページをごらん下さい。
http://www.shibaura-it.ac.jp/access/index.html

演者:鈴木 正子(すずき まさこ)氏
演題:重層する喪失と関係の遠ざかりの中で発生する怒り
-心筋梗塞発症後二年にわたり怒りを爆発させる強迫神経症病者の怒りの発生状況分析から-
○東洋英和女学院大学大学院人間科学研究科博士後期課程 鈴木正子
東洋英和女学院大学大学院人間科学研究科 平山正実
要旨
筆者がここ2年間ケアの立場から継続面接している一症例についての、怒りと悲しみに注目する。長期慢性に病むことによってもたらされる喪失とそれに対す る悼みは、単に医学生物学的な疾病の概念を超え、時間と関係の中における人為的で、しかも重層的な様相を示す。表題のとおり怒りを呈するようになった症例 の怒りの発生状況を分析すると、三つの要件が相重なって起こっている中で発生していることが分かる。その三要件とは健康上の問題、重要な他者との関係の変 化、自己のプライドに関わる問題である。長く病む生活、その過程で喪われる人生上の諸活動と達成感、社会的経済的基盤の喪失、失われる家庭、これらは、ま ず健康を喪うことによって身体への信頼感をなくし、あらゆる社会的能力を身につけることから脱落することによる自尊感情の損なわれ、実績と将来の展望の喪 失をもたらし、実存が脅かされる状況に置かれる。すなわち、スピリチュアルペインであると言える。本症例の場合、まさに人間的状況によって怒りはもたらさ れていると言える。
怒りの対象は自己の理解を越えるもの、不特定多数の健康な人、最も身近で自己を支える人、身近な病者仲間の4つに向けられ、怒りの内容は1.自己の理解 を越えるものへの怒り2.健康な人への嫉妬3.甘え4.死への直面という特殊な体験をした優越感と劣等感である。ケアの立場からの倫理的課題を考察する機 会としたい。

基本文献
1.ジョン・H・ハーヴェイ/安藤清志訳:悲しみに言葉を.誠心書房.2002.
2.H・コフート/林直樹訳:自己心理学とヒューマニティ.金剛出版.1996.
3.E・フロム/作田啓一,佐野哲郎訳:破壊(上).1975.

◆2月例会(第121回総合部会例会)

日時2004年2月8日(日) 午後3時~5時30分 (日時にご注意下さい)
場所:日本医科大学 第1講堂 (5号館4階(エレベータの前))
地下鉄南北線「東大前」、千代田線「千駄木」又は「根津」下車、
いずれも徒歩約10分。
※周辺地図・構内図等は、日本医大のホームページをごらん下さい。
http://www.nms.ac.jp/

演者:大西 奈保子 (おおにし なおこ) 氏
演題:ターミナルケアに携わる看護師の体験
要旨
ターミナルケアに携わる看護師は病名告知や予後告知などに関わったり、病状がよくならないことによる患者やその家族からの怒りや苦しみを見たり聴いた り、医療者間の意見の不一致など、様々なストレスフルな状況におかれています。先行研究でもそのような看護師のストレスやジレンマ、バーンアウトや悲嘆を 扱った報告があります。しかし、そのようなストレスフルな状況の中でもターミナルケアを続けている看護師も大勢いるのも事実です。

ターミナルケアに携わるというのはどういうことなのかということを目的にして、25名のターミナルケアに携わる看護師にインタビューを行ない、その内容 を質的帰納的方法論を用いて分析しました。その結果、看護師の死生観が看護師の患者や家族に対する姿勢に影響を及ぼしていること、つまり、看護師が死や ターミナルケアについてどのような死生観を持っているかで看護師の行なうケアの仕方に影響するということがわかりました。また、看護師が患者やその家族に 感情移入をすることで、看護師の悲嘆の問題に影響する一方で、看護師が患者や家族から癒しを受けるチャンスになることもわかりました。

今回は、実際の看護師の語りをまじえながら、死生観と看護師のケア行動との関係と、感情移入によるメリット・デメリットを紹介したいと思います。

自己紹介:
1968年、東京生れ。国立相模原病院付属看護学校卒業後、看護師として川崎協同病院で5年間、外科・内科病棟にて勤務。その後、健和会柳原病院、内科病 棟に移り、現在も勤務しています。臨床経験はトータルで10数年あり、ターミナルケアに強い関心があることから、死生学がある東洋英和女学院大学大学院・ 人間科学研究科に入学して現在、博士後期(臨床死生学)に在籍しています。今回、発表させていただく内容は東洋英和女学院大学大学院に提出した修士論文の 一部で、2003年12月に日本看護科学学会に発表した内容でもあります。今後の抱負として、以前、川崎協同病院で「気管チューブ抜去・薬剤投与事件」の 当事者の医師と一緒に働いた経験があり、あの事件を医師と看護師の関係という視点から捉えなおしたいと思っています。

2月例会の発表に関する問い合わせ
※当日配布の原稿・資料は、事務局でお預かりしておりますので、ご希望の方
は事務局までお問い合わせください。

◆1月例会(第120回総合部会例会)

日時2004年1月10日(土) 午後2時-5時
場所:芝浦工業大学 本館第1会議室2階
※JR山手線・京浜東北線・田町駅東口より徒歩3分、または都営三田線三田駅より徒歩5分
周辺地図・構内図等は、芝浦工大のホームページをごらん下さい。
http://www.shibaura-it.ac.jp/access/index.html

【発表内容】
演者:五十子 敬子(いらこ けいこ)氏
演題:安楽死をめぐって
要旨
日本で安楽死の法制化についての討論がはじめてなされたのは、1882(明治15)年のことで、そこでは安楽死という言葉はなく、「患者ガ決心ヲ求ムル 時」と表現されていた。安楽死すなわちeuthanasiaはもともとギリシャ語のよき死に由来するといわれており、現代医学では、治癒の見込みがまった くなく死期の切迫した病者が、耐え難い肉体的苦痛に襲われている際に本人の嘱託によりその苦痛を除去するため、死期を早める処置をとることをいう。すでに 江戸時代の神澤貞幹編述の『翁草』に、「流人の話」(池島義家校訂[京都
五車楼蔵板]、歴史図書社)として安楽死が記されており、明治期になって、鴎外がそれをもとに『高瀬舟』を書き、話題となった。この問題に関しては、昭和 25年以来7件の判例が出ているが、いずれも執行猶予がついているものの有罪になっている。安楽死の施術は、病者の死期を早めるのであるから、基本
的には刑法上殺人罪ないし嘱託殺人罪に該当する。昭和37(1962)年に名古屋高裁で安楽死容認のための6要件が、平成4年に横浜地裁で4要件が出された。
一方、ヨーロッパで最初の安楽死容認の要件が出されたのは1971年で、オランダにおけるポストマ医師の事件であった。その後オランダでは、さらなる判 例の積み重ねにより基準が形成され、2001年4月に「要請に基づく生命の終結と自殺幇助の審査手続きおよび刑法と遺体埋葬法改正」が上院を通過し、翌年 より施行している。またベルギーでも2002年5月安楽死法が可決され、特定の条件の下で、終末期患者が死を望むときに医師が幇助をすることを許容した。 以上を前提として、次の順序で本報告を進めることとする。

1.安楽死の概念
オランダを始め、ベルギーおよびオレゴン州のいわゆる安楽死法について考察する。
2.治療の中止と差し控えについて
イギリスおよびアメリカにおける治療の中止と差し控えについて検討し、持続的代理権法と代理意思決定について述べる。
3.考察と展望
現代日本における安楽死問題を考察し、展望を試みたい。

基本文献:
・『死をめぐる自己決定について-比較法的視座からの考察-』(批評社、  1997年)
・「英国のおける死をめぐる自己決定について」(『比較法制研究』第22号)
・「安楽死と疼痛緩和医療ーオランダ[要請による生命の集結および自殺幇助 (審査手続 き)法]施行を機に考える」(『尚美学園大学総合政策学部紀  要』第3・4合併号)
所属:尚美学園大学・総合政策学部教授

1月例会(前回・1月10日)の発表に関する問い合わせ
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◆12月総合部会例会(第119回)

日時12月6日(土) 午後2時-5時
場所:日本医科大学 第一講堂(5号館4階 エレベーターの前)
地下鉄南北線「東大前」、千代田線「千駄木」又は「根津」下車、
いずれも徒歩約10分。
※周辺地図・構内図等は、日本医大のホームページをごらん下さい。
http://www.nms.ac.jp/

【発表内容】(本月は発表者は2名です)

1.
演者:重野豊隆氏(東洋大学)
演題:終末期患者におけるDNR指示
―患者と家族にとっての蘇生率の意味を巡って―(仮題)
2.
演者:船木祝氏(トリア大学現代倫理学研究所研究員)
演題:ドイツにおける積極的安楽死をめぐる論争-人間の尊厳の所在-
要旨
ドイツ人道死協会は、2003年10月23日付けのその声明において、ドイツでは多くの市民が「尊厳のない、彼ら個人にとって耐えがたい状態で」死を迎 えていることを指摘し、「人間の尊厳」を守るためには積極的安楽死を容認すべきであると主張する。同声明に拠れば、「人間の尊厳」に関しては「各々の市民 が彼ら自身の個性的な尊厳理解を持ち得るものである」のであって、その個人の意志決定を尊重することが何よりも「人間の尊厳」を保護することになる。
一方ドイツ連邦医師会は、1998年に採択した『医師による死にゆくことの付き添いについての連邦医師会の基本的原則』の中で「積極的安楽死は、たとえ 患者の要請のもとに行われるにせよ許されない」ものであるとし、「人間の尊厳に相応しい世話、温かい処置、体の手入れ、痛みや呼吸困難や吐き気を和らげる こと、空腹やのどの渇きを鎮めること」などの緩和医療の重要性を強調した。ドイツ医師会第106回大会(2003年5月22日)に基づく声明においても、 ドイツ連邦医師会代表は「治療的療法の手立てがもはやないような患者との関わり」は「身体的、心理的、社会的、精神的苦悩」と結び付くものであるとし、緩 和医療の強化の必要性を呼びかけている。即ちそこではたとえ患者個人が積極的安楽死を望むとしても、「人間の尊厳」は「自己決定する自由」よりも高位にあ るものであるのであって、むしろそれを制限するものとしての意義を有するものとして位置付けられている。それゆえ「人間の尊厳」は患者個人だけによるので はなく、親族、看護にあたる人、医師、医療スタッフが共同で実現すべき課題として捉えられる。
このように「人間の尊厳」概念の解釈の違いから、全く異なる態度決定が導き出されることになる。「人間の尊厳」概念は元来、「あらゆる人間には、その身 体的、心理的、精神的、社会的状態如何に拘わらず無条件的価値があるものとする」ものである。そこでは他者が或る個人を尊厳あるものと見なすかどうかの評 価のみならず、各個人が自分自身をどのように評価するのかも重要な観点となる。「人間の尊厳」は従って既に完全に存立していたり、あるいは既に喪失してし まっているというものとしてではなく、自己並びに周囲の者が個々の状況でその都度実現すべき課題として与えられているものとして解されるべきものなのでは なかろうか。
基本文献:連邦医師会(http://www.bundesaerztekammer.de
ドイツ人道死協会(http://www.dghs.de/

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◆11月総合部会例会(第118回)

日時2003年11月9日() 午後2時30分-5時
場所:東洋大学白山校舎 井上円了記念館(正門を登ったところにある5号館) 5302号室
都営三田線「白山」駅下車5分
(大学周辺の地図等詳細につきましては、東洋大学のホ-ムページ
http://www.toyo.ac.jp の「キャンパス情報」をご参照ください。)

【発表内容】
演者:宮下 浩明(みやした ひろあき)氏(聖隷三方原病院)
演題:終末期医療における治療の選択について
~患者個別的な価値の視点から検討する
要旨
がん末期医療あるいは高齢者医療においては、 延命治療の拒否、侵襲的な処置が控えられるなど、結果的に医学的な適応よりも個人の嗜好が優先されることも多い。本人の意向に従った選択が結果的に生命の 短縮につながり得ることを考えるならば、個別的な価値が医学的治療方針に優先されるべき根拠を明らかにする必要があると考える。
はじめに尊厳死協会への入会の経緯についての記述および、尊厳死の宣言文の内容を検討し、患者個別的な価値観、ありように照らして治療が選択されること の重要性が言明されていることを示す。実際に、高齢者の末期癌患者が、栄養補給のための経鼻腔的的栄養チューブの装着を拒否する事例においては、苦しみの 拒否としての治療の選択がなされていることを確認する。
次に、欧米における終末期患者の研究から、終末期を生きる人々は、自らのありようから治療を選択する場合があることを述べる。そして、これらの研究の結 果から、自分の「あり方」から死が望まれていることを確認する。日本における臨床例として、耐え難い呼吸困難から鎮静に至った例を示す。本人の望んだ自ら の苦しまないあり方に照らして治療が選択されていることから、欧米と同様、日常の臨床現場においても本人のあり方から治療が選択されることがまれではない ことを確認する。
終末期にあって病者は、医学的な理由からではなく、個別の価値観にもとづいて治療が選択される場合があるといえ、終末期にあって表出される「あり方」
は、時として命を代償とすることをも辞さないほどの意味合いをもち得ることを、研究の結果から示す。患者にとってのあり方は、時に死の選択と同等の価値をもつものとしてあらわれ得ることを考慮するならば、医療的価値観は「あり方」において試されるべきである。

第118回・11月9日の発表に関する問い合わせ:
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◆10月総合部会例会(第117回)

日時2003年10月19日(日) 午後2時-5時
場所:東洋大学白山校舎2号館第2会議室
都営三田線「白山」駅下車5分
(大学周辺の地図等詳細につきましては、東洋大学のホ-ムページhttp://www.toyo.ac.jp の「キャンパス情報」をご参照ください。)

【発表内容】
演者:藤野昭宏氏(産業医科大学)
演題:産業医科大学における「医学概論」教育
要旨
産業医科大学では、「人間愛に徹し、生涯にわたって哲学する医師を養成する」という開学以来の建学の精神を重視し、医学部医学科の1年、2年、3年、5年、6年の学生を対象に下記に示す内容の講義と実習を行っている。

I. Early Medical Exposure(早期医療体験)(1年次) 講義と実習:28コマ
(2単位)
入学者全員を対象に、重症心身障害児施設で2泊3日の体験学習を行っている。これは、医学専門教育未修の新入生の立場で、いきなり治療困難な医療現場に遭遇し、医療の厳しさとその限界を身をもって体験することを目的としている。

II. 生命倫理・医学史(2年次) 講義:12コマ(2単位)
古典的な医の倫理から現代バイオエシックスまでを歴史的・体系的に講義している。講義テーマは、バイオエシックス入門、インフォームド・コンセントの基礎と実際、人格論、医療資源の配分、生殖医療、臓器移植、ヒトゲノム解析などである。

III. コミュニケーション医学、医療人類学(東洋医学)(3年次) 講義12コマ(2単位)
医療面接の方法について、症例のシナリオを用いて医師ー患者関係のロールプレイを行っている。これは、5年次の先取り学習として取り入れたものである。医療人類学では、臨床人類学や東洋医学の講義を行っている。

IV. 医療面接実習(5年次) 実習7コマ(臨床診断学の一部として実施)
OSCE (Objective Structured Clinical Examination)で医療面接を担当しているため、模擬患者 の方々に協力していただいて面接実習を行っている。模擬患者の方々は、自主的に参加されている市民の方々であり、医学概論教室が主催して月に1?2回の研究会を行っている。

V. 臨床死生学、臨床倫理(6年次) 講義:13コマ(2単位)
臨床実習が終了した最終学年ということで、死生学とClinical Case Studyの講義を行っている。また、模擬患者の参加による医療面接の上級編として、臨床判断が求められるシナリオで学生時代最後の実習を行っている。

VI. 産業医の倫理(卒後教育)
学内の産業医実務研修センターで、卒後4~6年目の医師を対象に「産業医の倫理」の基礎と実践演習を年に8コマ担当している。

発表当日は、上記の各々の詳細について、現状の紹介とともに今後の課題を含めて解説させていただきたい。

◆9月総合部会例会(第116回)

日時2003年9月6日() 午後2時-5時
場所:立正大学3号館2階、321教室

会場案内:立正大学大崎キャンパスへのアクセス
〒141-8602 東京都品川区大崎4-2-16
JR山手線 五反田駅または大崎駅下車徒歩7分
都営浅草線 五反田駅下車徒歩7分
東急池上線(JR五反田駅より) 大崎広小路駅下車徒歩3分
※会場への道について。
6月に五反田ないし、大崎広小路駅方面からお出でくださった方が、使った道は(コンビニを曲がって入る道は)、現在工事中のために通行できません。ですか ら、コンビニをまがらずに、まっすぐ進んで、大崎警察署を過ぎて、右にまがり、立正大学の正門から会場においでください。

【発表内容】
演者:冲永隆子(おきなが たかこ)氏 (帝京大学短期大学情報ビジネス学科)
演題:安楽死・尊厳死の課題
(仮)末期がん患者への宗教的アプローチによるスピリチュアル・ケアの可能性

要旨
本研究の目的は、我が国のターミナル・ケアにおける精神的援助、とりわけ、スピリチュアル・ケアや宗教的ケアの現状と問題点を探ることにある。スピリチュ アル・ケアは、定義上宗教的ケアよりは広い概念ではあるが、一部には宗教的ケアの一環として捉えられ、その評価に問題がある。
本研究では、概して私たち日本人は特定の宗教・信仰をもたないといわれる中で、実際に緩和ケアの現場でなされる、宗教的アプローチないしは非宗教的アプ ローチからのスピリチュアル・ケアの事例を通して、スピリチュアル・ケアとはいかなるものであるのかを検討する。本発表では、まず、1)先行研究からスピ リチュアル・ケアと宗教的ケアをめぐる概念整理を試み、従来いわれている問題点の整理を行なう。また、2)我が国におけるターミナル・ケアの宗教的ケアの 可能性について、宗教意識の地域的差異からの考察、及び宗教学考察の二つの観点から検討し、次いで、3)近年注目
されつつある、スピリチュアル・ケアの概念やあり方をめぐって、調査対象の各々緩和ケア病棟スタッフへのインタビューに基づく考察を行ない、精神的ケアの展望を探りたい。
最終的には、スピリチュアル・ケアに対する病院スタッフの評価に関する4者の事例に基づき、スピリチュアル・ケアは宗教的ケアを通して可能であるが、それを求めない人(患者)に対しても可能なケアであるということを結論づける。

キーワード:末期がん患者、緩和ケア、ターミナル・ケア、宗教的ケア、スピリチュアル・ケア

《基本文献》
1)武田文和訳、世界保健機関編『がんの痛みからの解放とパリアティブ・ケア
―がん患者の生命へのよき支援のために―』 金原出版株式会社、1999年。
2)窪寺俊之 『スピリチュアルケア入門』 三輪書店、2000年。
3)藤井理恵、藤井美和 『たましいのケア―病む人のかたわらに』 いのちのことば社、2000年。

《最近の著書/論文等》
1)中村(冲永)隆子「患者の心を支えるために―ホスピスとビハーラにおける宗教的援助の試み」共著、カール・ベッカー編『生と死のケアを考える』法蔵館、2000年、254‐263頁。
また、以下の論文を近日掲載予定。
・「末期がん患者への宗教的アプローチによるスピリチュアル・ケアの可能性」『ホスピスケアと在宅ケア』2003年(通巻29号)。
・「ホスピスとビハーラにおけるスピリチュアル・ケアの試み(仮)」共著、財団法人国際宗教研究所編集委員会(島薗進)編『現代宗教2004-特集「死の現在」』(2004年3月刊行予定)。

自己紹介:
1969年大阪生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科環境相関解析論講座(博士後期過程)単位取得満期修了。2000~2002年:国立医療・病院管理研究所 医療政策研究部 協力研究員(非常勤)としてがん対策班。2001年~現在に至る:
東京農業大学応用生物科学部 生物応用化学科及びバイオサイエンス学科にて「生命倫理」担当非常勤講師。2002年~現在に至る:国立成育医療センター研 究委託事業(厚生労働省健康局委託事業研究)「生殖補助医療に関する倫理的問題研究」協力研究員。2003年4月~現在に至る:帝京大学短期大学情報ビジ ネス学科にて「ライフサイエンス」専任講師。

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◆7月総合部会(第115回)

日時2003年7月5日() 午後2時30分-5時
場所:日本医科大学5号館4階第1講堂
地下鉄南北線「東大前」下車、千代田線「千駄木」あるいは「根津」下車、
いずれも徒歩約10分。
(周辺地図は、下記の日本医科大学のホ-ムページをご覧下さい。)
http://www.nms.ac.jp/pr/abt/abtcon/index.html

【発表内容】
演者:近藤均(こんどう ひとし)氏(旭川医科大学)
演題:医学教育モデル・コア・カリキュラムへの対応 -旭川医大の斬新な試み-

要旨
2001年3月に全国医学部共通の「医学教育モデル・コア・カリキュラム」(以下、コアカリ)が発表され、その後、各大学は対応におわれてきた。旭川医大 医学科でも急遽、カリキュラムの手直しを行なった。手直しの結果、昨年度入学生から、広義の「倫理」に関する本学のカリキュラム編成は以下のとおりとなっ た。

1.コアカリ「A 基本事項」の中核をなす「医の倫理と生命倫理」「患者の権利」「医師の義務と裁量権」「インフォームド・コンセント」「安全性の確保」 「危機管理」「コミュニケーション」「患者と医師の関係」「チーム医療」「医療の評価」については、60分授業で週1回ずつ、第1学年から第4学年まで、 計120時間・8単位にわたって講義する。
2.「課題探求・解決能力」「論理的思考と表現能力」「生涯学習への準備」は、第1学年前期と第4学年後期に展開される演習「医学チュートリアル」(計6単位)の中で涵養する。
3.コアカリ以外に、看護学科との合同による倫理関連選択科目として、「哲学基礎」「医療人間学」「応用倫理」(各60分×15コマ=1単位)があり、第1,2学年が選択できる。

このように旭川医大では、従来以上に倫理教育に力を注ぐことになった。しかも、他大学にはあまり見られない以下のような体制を整えている。

1.倫理教育は第1学年の前期を中心に90~100分授業で展開する大学が多いが、本学では、60分授業で週1回ずつ小刻みに4年間にわたって展開することにより、飽きのこない授業展開で医師・医学研究者としての素養をじっくり涵養することが可能となった。
2.本学では定員削減に伴って哲学・倫理学の専任教官はいなくなった。しかし、それだけにかえって、優秀な複数の非常勤講師を招聘して多角的な視野から倫理教育ができるようになった。
3.哲学・倫理学関係の複数の非常勤講師だけでなく、歴史学(医学医療史専攻)・社会学(医療社会学・医療人類学専攻)・ドイツ語(コミュニケーション論 専攻)の専任教官も協力し、さらに、法医学や内科学などの分野から倫理に造詣の深いMDも加わって、重層的な倫理教育を行なう体制が整った。

旭川医大は、独立行政法人化を控え、しかも、地理的事情から当面は他のいかなる大学とも統合はしないという方針を固め、単科医科大学として生き残りを賭け た戦いを展開している。教育理念は大学発足当初より「地域医療に貢献する立派な医療人の育成」であり、当該学生への倫理教育の重要性はいうまでもない。
医学(部)教育をめぐる諸情勢の激変の中で、専任の教員はもちろん、専任のポストをめざす非常勤講師にも意識改革が要求されている。本学の倫理教育をめぐる斬新な取り組みが各位の参考にもなればと思う。

演者略歴:
1954年東京生まれ。順天堂大学医学部講師(非常勤)などを経て、1998年から教授医学旭川医科大学部(基礎教育系 歴史)。共編『生命倫理事典』(2002年太陽出版刊)、共著『東と西の医療文化』(2001年思文閣出版刊)ほか。

第115回・7月5日の発表に関する問い合わせ
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◆6月総合部会(第114回)

日時:2003年6月7日(土)午後2時-5時
場所:立正大学(大崎校舎)1号館2階第2会議室〔2階の奥です〕
(案内の看板は、「立正大学哲学会(医学哲学倫理学関東支部)」となっています。)
※会場案内:立正大学大崎キャンパスへのアクセス
●〒141-8602 東京都品川区大崎4-2-16
●JR山手線 五反田駅または大崎駅下車徒歩7分
●都営浅草線 五反田駅下車徒歩7分
●東急池上線(JR五反田駅より) 大崎広小路駅下車徒歩3分
(会場周辺地図については、立正大学のホ-ム・ページをご覧ください。http://www.ris.ac.jp/access/index.html)

【発表内容】
演者:樫則章(かたぎ のりあき)氏(大阪歯科大学歯学部倫理学教室)
演題:医療倫理教育の課題――医療とは何か――
要旨
医療倫理教育にはさまざまな課題があるが、ここでは、歯学部の教員として、学生に医療倫理教育を担当している立場からひとつの問題について考えてみたい。 その問題とは、医療はビジネス(にすぎない)かという問題である。これは、一方で、あるべき医師‐患者関係について考察するときに避けて通れない問題であ るが、他方で、歯学部(医学部でも事情は同じであるだろうが)の学生に対して、歯科医師になるということはどういうことであるのか、なぜ患者の権利を尊重 しなければならないのかといった問題について教える際に中心的な意味をもつ問題であると考えられる。また、この問題は、たんなる知識教育にとどまらない態 度教育という観点からもきわめて重要な問題であると言える。はたして医療はビジネスであるのか、それともそうではないのか。最近、わが国でもしばしば耳に するようなった「医療消費者」という視点にも言及しながら検討したい。

《基本文献》
1)David T. Ozar and David J. Sokol, Dental Ethics At Chairside :Professional
Principles and Practical Applications (Mosby, 1994)
2)樫 則章「医師と患者」(石崎嘉彦、山内廣隆編『人間論の21世紀的課題』ナカニシヤ出版,1997年,156‐173頁)
3)樫 則章「医療はビジネスか」(『社会哲学研究資料集Ⅱ「21世紀日本の重要諸課題の総合的把握を目指す社会哲学的研究」』平成14年度科学研究費補助金(基盤(B)(1))研究成果報告書,研究代表者 加茂直樹,平成15年3月,40頁)

《最近の著書/論文等》
1)『歯科医療倫理』(共著)(医歯薬出版、2002年)
2)「自律をめぐる諸問題」(加茂直樹編『社会哲学を学ぶ人のために』世界思想社、2001年、66-77頁)
3)リチャード・ノーマン『道徳の哲学者たち 第2版』(共訳、ナカニシヤ出版、2001
年)
また、2003年中に、マイケル・スミス『道徳の中心問題』(ナカニシヤ出版)、ピーター
・シンガー『ひとつの世界』(昭和堂)を監訳して出版予定。

第114回・6月7日の発表に関するお問い合せ
当日配布原稿・資料は、事務局でお預かりしておりますので、ご希望の方は事務局までお問い合わせください。

◆第113回総合部会
(総合部会代表 黒須三惠)

期日:2003年5月10日()午後2時から5時頃まで
場所:日本医科大学5号館4階第2講堂
南北線「東大前」下車、千代田線「千駄木」あるいは「根津」下車、各徒歩10分程度 (周辺地図につきましては、以下の日本医科大学のホ-ムペイジをご覧下さい。http://www.nms.ac.jp/pr/abt/abtcon/index.html.)

2時から2時10分まで 会員紹介

2時10分から5時頃まで 発表

演題:「医療倫理教育」を考える--歯学教育の現場で--
演者: 関根透氏(鶴見大学歯学部)
要旨:平成16年度から共用試験(CBT)が医学・歯学の教育現場で一斉に実施されます  。しかし、各大学間で共通の講義がされているわけでもありません。医学・歯学モデル・コア・カリキュラムで概括が示されているものの、あまり具体的ではあ りません。各大学で共通性のある試験問題が「CBT問題作成分科会」に送られているとは思われません。そこで、歯学教育の現場で、どの程度講義していいの か、国家試験問題との違いなどを明確にする必要があると思います。特に、「医の原則」は抽象的な表現で、範囲を限定するのが難しく、何処まで講義すべき か、苦慮しているのが現状です。私が歯学部で講義していないことが、他の歯科大学では教育され、共用試験に出題されていたら、受験生に対して責任を感じま す。是非ともこの学会なりで統一した「医の原則」の範囲を、具体的に話し合ってもらえればありがたいです。そのために、私が歯学部で教育している「医の原 則」の部分を、問題提起として示したいと思います。そのために、若干の資料を提供します。

その資料として、以下のような資料を配布する予定です。

① 医学教育モデル・コア・カリキュラム A 基本原則 1 医の原則
② 歯学教育モデル・コア・カリキュラム A 医の原則
③ 平成14年度「歯科医師国家試験出題基準」 歯科医療と倫理
④ 私が歯科大学で教育した「医の原則」(一部分)A・4 「インフォームド・コ
ンセント」
⑤ CBT問題作成用紙(本学用)

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2004年度

◆3月例会(第133回総合部会例会)

例会
日時2005年3月5日(土) 15:00~17:30
会場:芝浦工業大学 本館2階第1会議室
※周辺地図・構内図等は、芝浦工業大学のホームページをごらん下さい。
→(案内図)

【発表内容】
演者:村松 聡(むらまつ あきら)氏

演題:ヒト胚の取り扱い方に関して、問題は何か

要旨
昨年6月、総合科学技術会議・生命倫理専門調査会は、「ヒト胚の取り扱い方
に関する基本的考え方」を提示し、基礎的研究のためのヒト・クローン胚作成
を認める方向を国として打ち出した。
ES細胞から形成されたニューロンがパーキンソン病の症状を軽減し、筋萎縮性
側索硬化症にまで有効であると聞くと、難病に悩む人々に福音をもたらす研究
に喝采を送りたくなるのが人情である。一方、ヒト胚は成長すれば人間になる
から、「人の生命の萌芽」を材料にしてよいのだろうか、と倫理的な負荷と不
安を感じる。漠然とした倫理的不安と、再生医療の目覚しい成果の間で揺れる。
これが、ヒト胚を巡る私たちの一般的な反応と言ってよいだろう。
しかし、ヒト胚の取り扱いで直面する問いは、「人の生命の萌芽」を目の前に
した多少の倫理的負荷感と、科学による恩恵の間の相克などといった単純なも
のではない。ヒト胚問題が突きつける問いは、以下のような多様な次元に応じ
て、その広がりと深さをもつことになる。
1) ヒト胚に関する法と倫理の関係の問題。
2) ES細胞の研究に関わる社会政策的問題。
3) 科学がもつ固有のダイナミズムと倫理的判断の関係の問題。
4) ヒト胚を人間やヒトとみるか、あるいは単なる細胞とみるか、人間観の問
題。
5) 功利主義的な姿勢をとるか、人間の尊厳に重きをおくか、根本的な倫理観
の問題。
6) ヒト胚問題の背景にある社会的あるいは文化的精神風土の問題。
7) ヒト胚を作成し使用する際の安全性などの技術的問題。
これだけの錯綜した問題を、抱えている。今回は、こういった問題の広がりと
深さがどこまで及ぶか、指摘し、「ヒト胚の取り扱い方に関する基本的考え
方」の不充分さ、問題点を明らかにしたい。同時に、ヒト胚の取り扱いをめぐ
る議論の状況から、現在取りうる具体的な対処がどういうものでありうるか、
述べたい。

専門:哲学、生命倫理
所属:横浜国立大学他、非常勤講師

◆2月例会(第132回総合部会例会)

例会
日時2005年2月6日(日) 15:30~17:30
会場:芝浦工業大学 アネックスの3階第4(A)
※いつもとは違い、道を隔てた外のビルです。
いつもの正門玄関の右手の横断歩道を渡ってすぐ。道路に面しています。
※周辺地図・構内図等は、芝浦工業大学のホームページをごらん下さい。
→(案内図)

【発表内容】
演者:岩倉 孝明(いわくら たかあき)氏
(司会:金子雅彦氏)
演題:医療事故に伏在する倫理的問題

要旨
医療事故はあとを絶たず、報道は毎日のようにくり返されている。
しかしこうした報道を含めて、医療事故の原因は、特定の人の不
注意等といった事故の直接的原因のみをクローズアップする傾向
がある。だがこうした事故の発生する背景にある問題を明らかに
しなければ、医療事故の効果的な防止を図ることは困難である。
このような事故の間接的原因(条件)となっている問題としては、
事故発生・防止の「いかに」をめぐる技術的・方法的問題ととも
に、そうした医療業務を導いている倫理にかかわる問題を考える
ことも必要である。

この発表では、医療事故をめぐる倫理的問題について、基本的な
事項・問題を確認し、さらにその背景となっている問題を考えて
みたい。すなわち、医療事故の防止、発生時の対応その他につい
て、どのよう倫理的誤りがおかされているかという問題、また、
そうした誤りを発生させやすい医療現場の環境ないし倫理観等の
問題は、どのようなものか。こうした問題についての議論を紹介
し、考察してみたい。

所属:川崎市立看護短期大学

◆1月例会(第131回総合部会例会)

例会
日時2005年1月8日(日) 14:00~17:00
会場:日本医科大学 5号館4階 第一講堂(エレベーターの正面)
※地下鉄南北線「東大前」下車、徒歩約10分
※千代田線「千駄木」又は「根津」下車、徒歩約10分
※周辺地図・構内図等は、日本医大のホームページをごらん下さい。
http://www.nms.ac.jp/

【発表内容】
演者:北澤 恒人(きたざわ つねと)氏
(司会:柳堀素雅子氏)
演題:ジョン・ロックにおける自己所有とその根拠としての人格の概念について

要旨
バイオエシックス運動の中で自律、自己決定の思想は、その出発点であり到
達点であるとされてきた。その前提となっているのが自己所有という考え方であ
る。しかし、バイオエシックスが見直されるなかで、早くから自己所有という考え
方に対する異論が出されてきたし、最近では『自己決定権は幻想である』(小松
美彦)という主張もなされている。このような論点について考えてゆくために、英
米の倫理思想の源流の中でもっとも重要な思想家であるジョン・ロックの議論を
再検討してみたい。マイケル・トゥーリーの嬰児の「パーソン」論が出てから、パー
ソン論は線引きの論理として有名になった。だが、ロックの議論では「法廷用語」
として線引きするためにパーソンが規定されるだけではない。彼の『統治論』では、
自己所有の議論から財産所有が基礎づけられている。この論理を逆にパーソン概
念に適用することで、たんなる線引きの論理とは異なるパーソンの概念を考えるこ
とができるのではないか。このような観点から、ロックの議論を整理して、検討して
いただこうと考えている。

参考文献
・ジョン・ロック『人間知性論』第2巻第27章、『統治論』
・森村進『権利と人格』創文社、同『財産権の理論』弘文堂

所属:大東文化大学

◆12月例会(第130回総合部会例会)

例会
日時2004年12月5日(日) 15:00~17:30
会場:芝浦工業大学芝浦キャンパス 本館2階第1会議室
※JR山手線・京浜東北線・田町駅東口より徒歩3分
※都営三田線三田駅より徒歩5分
※周辺地図・構内図等は、芝浦工大のホームページをごらん下さい。
http://www.shibaura-it.ac.jp/access/index.html

【発表内容】
演者:上見幸司(かみ こうじ) 氏
(司会:岡本天晴氏)
演題:医療事故の教訓から学ぶ医療倫理
――医療の質の確保に向けた医療従事者の倫理的態度――
要旨
今、日本の医療は岐路にある。その分岐点の一つが昨今、連日のように報道される医
療事故であり、日本の医療が抱えた問題の多くが関わっていることから、日本の医療
全体を根本的に考え直す契機となっている。その具体的な課題の一つが医療倫理、つ
まり個人と病院の行動規範(moral)の構築にある。
ただし、ここで言うところの医療倫理は、単に心の中の思索の言語化だけではなく、
病院で組織だって合意を形成する手続きと、その成果の発露に焦点を定めた実践的な
活動のことである。
となれば、具体的な“失敗”の教訓から学ぶ謙虚さと真摯さが必須である。実際の医
療事故は医療従事者の連携のミス、誤認、医療水準の問題、手続きの不備、医療に対
する認識の食い違いなど、さまざまな要因が絡み合いながら発生する。その結果に
は、被害者には憎しみ、恨みなどの感情が沸き起こり、失敗の当事者には後悔が残
る。これらの問題を解決するためには調査、説明、謝罪、法廷での争いや調停、金銭
さえ絡む。
そこで実際に発生した(あるいは土俵際で食い止められた)具体的な“失敗”の教訓
に目を向けてみると、それらのほとんどに、その事故を構成する諸要素が人的要因と
絡み合っていることが指摘できる。しかも、その要素は①人間の傾性、②組織システ
ムの設計の不完全性、③防護装置の設計の不完全性という、生々しい要因である。ま
さにヒューマン・エラーであり、組織のエラーと呼ぶに相応しい。
その意味では、医療者は、医療の質を高めるための不断の努力と同時に、自分を守る
ことも考えなければならない。これは責任逃れをすることではない。医療の安全に常
に留意し、適切な手続きを怠らないことに配慮した医療専門職業人であると同時に病
院の組織人としての行動規範、すなわち質の高い安全医療を提供する当事者であるこ
とに、あらためて“誓いをたてる(profes)”ことを意味しているのである。
具体的には病院全体で成文化した行動規範を作成してシステム設計を図り、これを徹
底的に遵守し、制度や運営上の取り決めによって、国民の医療サービスに対する忖度
に応える。その基本的な態度(morale)形成こそ、医療の質の確保の方策を策出する
医療倫理の道標である。なお当日は、これらの問題を中心に発表する。

所属:常磐(ときわ)大学大学院人間科学研究科教授

◆11月例会(第129回総合部会例会)

例会

日時2004年11月6日(土) 14:30~17:00
会場:東洋大学甫水会館2階204号室
※地下鉄三田線白山駅「A3」出口より徒歩5分
※地下鉄南北線本駒込駅「A3」出口より徒歩8分
※周辺地図・構内図等は、昭和大学のホームページをごらん下さい。
http://hirc21.soc.toyo.ac.jp/images/img_map.gif
【発表内容】
演者:長島 隆(ながしま たかし) 氏
(司会:棚橋實氏)
演題:工科系大学における生命倫理、工学倫理教育について
要旨:現在工業大学、あるいは総合大学工学部において「Jabee対応」のカリキュ
ラム改変が進んでいる。Jabeeとは「国際技術者資格」である。これは国際的に通用
する技術者に関する資格制度がアメリカを中心にして存在しており、その資格を取得
する前提となる大学の課程カリキュラムを修了したことを保証する制度である。
とりわけ、現在日本で進行している事態は、この制度を基準にして、これまでの日
本の工学部のカリキュラムなど教育が根本的に国際的に通用しないという認識に基づ
き、日本の工学教育の根本的な底上げを行おうとする事態である。われわれにとって
も、この事態が無縁でないのは、このカリキュラムの中に、「工学倫理」ないしは
「技術者倫理」というような人文系の科目の必修化などがあり、われわれ哲学、倫理
学者もまた課題を投げかけられている状況にあることである。
日本のこの10数年の大学の歩みの中で見るならば、この事態は「大学設置基準の大
綱化」以後進行した事態が、根本的に「国際化の時代」にあって、逆行する歩みを遂
げてしまったことを示している。これは、なにも工学系大学ばかりではなく、社会科
学系大学でもまた同様である。
それではもう一度「大綱化以前に戻ること」が問題かといえば、そうではない。む
しろかつて教養、あるいは一般教育課目と言われたものがそれぞれの分野で「専門科
目」として復活したことである。つまり、専門課程でそれぞれの専門知識と問題意識
を持っている学生を対象としてその水準でわれわれが議論を展開することを要求して
いると言わなければならない。
この事態は、われわれのような人文社会系の研究者にとって追い風であるばかりで
はなく、われわれのあり方そのものに根本的な反省を要求するものである。それと同
時に、かつて医療系大学で進行した事態を再現する事態でもあるように思われる。つ
まり、「生命倫理」「医療倫理」が医療系大学で結局「医療」にかかわるがゆえに、
「医療の専門家」が「生命倫理」「医療倫理」も教えるべきだとして進行した事態で
ある。そして今看護系でも進行している事態である。
ここには、われわれ人文社会系の研究者にかかわる問題があるとともに、それぞれ
の分野の専門家と称する人たちの「専門性」に関するでたらめさ加減が存在するとい
わねばならない。

所属:東洋大学

◆10月例会(第128回総合部会例会)

例会
日時2004年10月3日(日) 14:30~17:00
会場:昭和大学旗の台校舎 2号館4階 大学院セミナー室
※東急大井町線・池上線「旗の台」駅より徒歩5分
※東急目黒線「洗足」駅より徒歩10分
※周辺地図・構内図等は、昭和大学のホームページをごらん下さい。
http://www.showa-u.ac.jp/univinfo/univinfo0105.html

【発表内容】
演者:一戸 真子(いちのへ しんこ) 氏
(司会:宮下浩明氏)
演題:医療の質と患者中心の医療
要旨
昨今の医療事故報道の多さも多分に影響し、わが国における医療の中心課題は「患
者中心の医療」、「患者の安全の確保」となっている。なぜ今改めて患者中心の医療
なのか、なぜ医療事故問題が患者中心の医療と関係しているのか。それはまぎれもな
く、医療事故の結果が患者に重大な影響を与えるからであろう。言い換えれば、医療
におけるアウトカムが死亡、後遺症など多くの場合、患者が直接的に犠牲となるから
である。医療事故を類型別に見ると、患者誤認、ベッドや車椅子からの転倒・転落、
与薬・点滴ミスなどさまざまな医療のプロセスにおいて発生している。
医療における一連のプロセスにおいて、患者が医療事故の予防に貢献すべく「参
加」できる部分はないのだろうか。ひとたび確定診断がなされると、患者自身はベル
トコンベア式に治療プロセスに乗せられる。医療現場では、パスを積極的に活用する
ことにより診療プロセスの標準化が進められており、患者用のパスで積極的な患者参
加を促している病院もある。訴訟になった医療事故の中には、乳房の左右取り違え
や、同姓同名による点滴間違いなど、きわめて臨床的判断が難しい事故ではなく、さ
まざまなプロセスの中で幾重にもリスクが重なって生じているものが見受けられる。
これらのプロセスにおいて、患者自身に意思決定能力がある場合、もしない場合には
家族または代理人が、リスク軽減に貢献できることがあるように思われる。ある程度
自身の病気についての知識があれば、今日の薬はなぜ飲むのか、何錠か、今日は検査
のある日かどうかなどかなりの部分に患者自らが参加可能であると思われる。また、
末期医療においては患者の意思が最大限尊重されるべきであることは言うまでもな
い。
しかし、ここで一つ考えなければならないことがあると思われる。救急を含む急性
期においては、多くの場合患者が正常な意思決定能力を保持しているとは考えがたい
のである。発表者自らも急性期で入院経験があるが、しばらくは自らの身体について
はどうすることもできる状態ではなく、ただただ今自分がいる病院のヘルスケアシス
テムをすべて信頼し、目の前にいる医師を信頼し、ステーションにいるナース達を信
頼するしかなかった。医療従事者にとっては、多くの患者の中の一人であっても、多
くの命の中の一つであっても、患者や家族にとっては、医療従事者は自らの病気を治
療してくれる、命を助けてくれるかけがえのない存在なのである。このような意味か
らすると、医療事故防止については、職員教育や勤務体系、医療機器の安全性の確保
なども含めて、医療従事者サイドは早急に全力をあげてトータル的にリスクマネジメ
ントに取り組み、患者が「安心」して療養に専念できる医療環境を整える必要がある
と思われる。
以上のようにさまざまな医療の場面ごとに患者中心の医療を真剣に検討していくこ
とが現在求められており、そのことが医療の質の向上につながると考える。

基本文献:共著 「福祉国家の医療改革」三重野卓・近藤克則編 東信堂 2003年
所属:上武大学看護学部 医療管理学講座

◆9月例会(第127回総合部会例会)

例会
日時2004年9月5日(日) 14:00~18:00
会場:昭和大学旗の台校舎 1号館5階 会議室
※東急大井町線・池上線「旗の台」駅より徒歩5分
※東急目黒線「洗足」駅より徒歩10分
※周辺地図・構内図等は、昭和大学のホームページをごらん下さい。
http://www.showa-u.ac.jp/univinfo/univinfo0105.html

【発表内容】
1.
演者:奈良雅俊 氏
演題:胎児に尊厳はあるか?
要旨
人工妊娠中絶について男性は何を語ることができるのか、そして何を語ること
ができないのか?欧米においては、中絶の是非をめぐる従来の議論の限界がフェミニ
ストたちによって指摘されている。たとえば、Sherwin〔1992〕は、従来の議論が、
胎児の道徳的地位という非常に抽象的な問いを中心に展開されてきたことを批判して
いる。女性の身体や人生、そして女性を取り巻く社会的政治的制度と無関係に、言い
換えればジェンダーに中立な仕方で中絶問題を考察することなどできない、というの
である。たしかに、従来のいわゆる男性中心主義的な考察が何を覆い隠してしまうか
に注目することは有益であろう。そうした観点からすれば、中絶の倫理的問題とは、
生殖に関して“誰が決めるべきか”であると言うこともできるだろう。しかし、女性
を取り囲むより広いコンテクストの中に中絶を位置づけたとしても、それでもなお、
女性にとって胎児は何ものなのかを問うことは依然として重要であるように思われ
る。やむにやまれぬ理由からなされる中絶においても、胎児とは女性にとってすでに
何者かであるのではないか。
胎児は女性の身体の一部なのか、それとも他者の出現なのかについて男性が語ること
はできないだろう。しかし、もし女性と男性パートナーとの関係が女性と胎児との関
係に何らかの影響を与えることがあるのだとすれば、男性はそのことについてなら語
ることができるかもしれない。そしてその限りで、胎児の道徳的地位を問い、その尊
厳に応じた扱いを語ることができるように思われる。
届出だけでも年間34万件もの中絶が実施されているという現実がある。この数字が物
語るのは、プロチョイスの思想が浸透しているということでも、また胎児の生命権や
尊厳が軽視されているというわけでもないだろう。そこにはプロチョイス対プロライ
フという二項対立で括りきれない日本的な現実が存在しているのだろう。私は、当事
者たちと胎児の間の関係性の濃淡に依拠する線引き論が展開されているのではないか
と考えている。そのように仮定した上で、私は、胎児の地位が「人でも物でもない第
三の存在」であったとしても、胎児に対してはその地位に対応した何らかの道徳的配
慮がなされねばならないと考える。そして、その根拠として、人に適用される「尊
厳」に準ずる概念を考えている。(以上)
所属:東京大学大学院医学系研究科

2.
演者:蔵田伸雄氏
(司会:青木茂氏)
演題:遺伝情報と人権-ユネスコ「ヒト遺伝データ国際宣言」について
要旨
2003年10月16日、ユネスコ総会で「ヒト遺伝データ国際宣言」が採択された。
この宣言は1997年にユネスコで採択された、「ヒトゲノムと人権に関する世界宣言」
の内容を具体化したものである。
この宣言は、個人遺伝情報の適切な取り扱いを各国政府や関係諸機関に求めてお
り、各国政府にとっては、遺伝データの保護のためにとるべき政策や必要な法規制の
ための指針となるものである。
全27条から構成されるこの宣言は、人の遺伝データを収集、処理、使用、保存する
際には、平等・正義・連帯を守ること、そして人権、人の尊厳、基本的自由を保護す
ることを求めている。また遺伝データは診断や医学研究のためにだけ集めることがで
き、差別を意図したデータ収集を行ってはならないとされている。
この宣言は、国家には個人の遺伝データを保護する義務があるとしている。主な内
容は以下のとおりである。

・遺伝データの収集が許されるのは、本人の診断と診療、 医学 研究、親子鑑定、
犯罪捜査等を目的とする場合に限られる。
・雇用者などの第三者や、家族に個人の遺伝データをむやみに開示してはならない。
・倫理委員会の設置。
・遺伝データの収集と保存のためには、本人の事前の同意が必要。
・収集された遺伝データの「匿名化」。
・遺伝データに本人がアクセスできる権利、検査結果を「知らないでいる権利」の保
証。
・検査・研究の際の遺伝カウンセリングの義務づけ。

また各国政府は、研究者や市民に対する倫理教育・研修・情報提供を行わなければ
ならないとされている。さらに遺伝データやサンプルが国境を越えて移動することも
多いので、そのような移動の規制の必要性についても述べられている。
この宣言の基礎にあるのは、遺伝情報に基づく差別を禁じた「ヒトゲノムと人権に
関する世界宣言」であり、さらに世界人権宣言である。世界人権宣言の第一条には、
すべての人間は権利につ
いて平等であると述べられており、また第二条はいかなる事由による差別を受けるこ
ともあってはならないとされている。そのため遺伝データによる差別もまた許されて
はならないのである。
今回の発表では、以上のようなヒト遺伝データ国際宣言の内容を踏まえて、個人遺
伝情報と人権との関連について、改めて考えてみたい。

なおこの宣言の本文のURLは以下のとおり。
http://unesdoc.unesco.org/images/0013/001312/131204e.pdf

所属:北海道大学大学院文学研究科助教授(倫理学講座)

◆7月例会(第126回総合部会例会)

例会
日時2004年7月3日(土) 14:30~17:30
会場:芝浦工大 本館2階第1会議室
※JR山手線・京浜東北線・田町駅東口より徒歩3分
※周辺地図・構内図等は、昭和大学のホームページをごらん下さい。
http://www.shibaura-it.ac.jp/access/index.html

【発表内容】
演者:齋藤 有紀子(さいとう ゆきこ)氏
(司会:浜田正 氏)
演題:人工妊娠中絶をめぐる医療・倫理・制度
要旨
いま、さまざまな医療倫理の問題が人工妊娠中絶とつながっている。
今回の報告では、生殖補助医療・出生前診断・再生医療・臓器移植など、
現代的倫理課題とされているものが、中絶(あるいは受精卵をはじめとする
ヒト生命の萌芽の滅失)の問題とつながっていること、具体的には、多胎妊
娠に伴う減数手術、凍結胚の廃棄、障害胎児の選択的中絶、廃棄予定胚のE
S細胞研究利用、中絶胎児の幹細胞研究利用など、研究者も社会も「倫理的
に問題である」という言葉で思考停止し、審議会においても正面から向き合
われることなく先送りにされてきた問題について、状況の整理と問題提起を
行ないたい。
議論が先送りされがちなのは、人工妊娠中絶の議論自体がタブーであるこ
とに加え、さまざまな技術の関係当事者とその利害関係が多岐にわたり、収
拾困難と考えられていること、そもそも中絶に関する制度である堕胎罪と母
体保護法が、双方の法の意義・意味を希薄にし、私達の社会の規範を分かり
にくくしていること、中絶を議論することで「利益」を得る当事者がほとん
ど存在しないこと、が理由として考えられる。
また、妊娠経験者のうち43%が中絶経験者(NHK調査)、年間33万件以
上の中絶が行なわれている(母体保護統計報告)という日本の現状で、多く
の人にとって、中絶は、実はとても身近で語りにくい問題であることも、こ
の込みいった問題に粘り強く取りくみ、急速に変化する現代医療への提言に
つなげる作業から人々を遠ざけているようにみえる。
しかし、もはやいつまでも中絶の議論を先送りしたまま「生命倫理」「医
療倫理」の問題は語れないだろう。今回、医学哲学・倫理学会の皆さまと、
率直な意見交換をさせていただければと思っている。

基本文献 齋藤有紀子編著「母体保護法とわたしたち」明石書店2002
齋藤有紀子「女性・胎児・障害者の対立を越えて
-出生前検査の関係を読み解く-」助産婦雑誌 1999
齋藤有紀子「選択的中絶と法」法哲学年報 1997
所  属 北里大学医学部医学原論研究部門専任講師
専  門 法哲学・生命倫理

◆6月例会(第125回総合部会例会)

例会
日時2004年6月6日(日) 14:30~17:30
会場:昭和大学旗の台校舎 2号館4階 大学院セミナー室
※東急大井町線・池上線「旗の台」駅より徒歩5分
※東急目黒線「洗足」駅より徒歩10分
※周辺地図・構内図等は、昭和大学のホームページをごらん下さい。
http://www.showa-u.ac.jp/univinfo/univinfo0105.html

【発表内容】
演者:丸本 百合子(まるもと ゆりこ)氏
(司会:冲永 隆子 氏)
演題:中絶論争の行方
要旨
生殖テクノロジーの「進歩」によって、生命倫理は、いまさまざまな課題を
つきつけられているが、この議論はさかのぼれば、古くから続いてきて、未だ
決着を見ない中絶論争に行き着く。人工妊娠中絶に対するさまざまな論議を、
法律、文化、身体論、フェミニズム、優生思想、人口問題、リプロダクティブ
・ヘルス/ライツなどとの関係から整理してみた。特に生命論は、社会文化宗
教的風土によって、異なるものがあり、その点、日本とアメリカの中絶論争の
差異を見てゆくと、浮き彫りになってくるものがある。
もともと生命やからだのことは、法律や契約になじまないのではないか。法
律ですべてを決着つけようとすれば、「胎児の権利」と「女性の権利」が衝突
する論争が、果てしなく平行線をたどる。それに対して我が国では「権利」と
いうことを曖昧にしたまま、現状では中絶に支障がないような「逃げ道」が作
られている。
すなわち日本では、堕胎罪が存在していて法的には原則禁止になっているも
のの、実際の施行状況は緩やかである。しかし、中絶をする女性たちには「後
ろめたさ」がつきまとう。それに対して米国では1973年の連邦最高裁の判決以
後、中絶は女性のプライバシー権とされながら、実際の施行状況は困難な状況
にある。日本では普通の産婦人科診療所が医療の一環として行っているが、米
国ではもっぱら中絶だけにたずさわるクリニックが、テロの危険に脅かされな
がら行っている。
また、障害胎児に対する考え方の差もある。日本の、中絶合法化を訴える
フェミニストグループは、選択的中絶や減数中絶、出生前診断、受精卵診断な
どには否定的な立場をとるのに対して、欧米のフェミニストは、それらも女性
の権利と主張する。そこに文化的な生命観・身体観の差があるのだろう。
女性のからだ・生殖機能が、人口政策の手段として使われてきたことへの批
判を受けて、国連は、カイロ国際人口・開発会議(1994年)以後、リプロダク
ティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖における健康/権利)を行動計画に打ち出し
ている。1995年の第四回世界女性会議で採択された北京行動綱領、106項kにも
「違法な妊娠中絶を受けた女性に対する懲罰措置を含んでいる法律の再検討を
考慮すること。」とあるが、近年ではこういった国際的な女性の人権の確立と
尊重という潮流に反対する、バックラッシュも起こっている。

所属:百合レディスクリニック院長
ホームページ:http://www2.odn.ne.jp/yuricl

◆5月例会(第124回総合部会例会)

例会
日時2004年5月8日(土) 14:00~17:30
会場:東洋大学白山校舎 2号館3階 第1会議室
※都営三田線「白山」駅下車5分
※周辺地図・構内図等は、東洋大学のホームページをごらん下さい。
http://www.toyo.ac.jp/

【発表内容】
演者:清水 良昭(しみず よしあき)氏
(司会:岸本 良彦 氏)
演題:コア・カリキュラムに基づいた歯学部における医療倫理教育
要旨
医学,歯学におけるコア・カリキュラムが平成13年に文部科学省より通達された.
このコア・カリキュラムは,臨床実習において学生が患者にさわれるための履修内容
を示しており,医師,歯科医師の仮免許的役割を担っている.その中に医療倫理に関
する項目が組み込まれている.つまり,実際に患者にふれるためには技術的な面ばか
りではなく,患者の権利,インフォームド・コンセントなど倫理的側面も履修してい
なければならないことを意味している.
今回は歯学部におけるコア・カリキュラムに注目し,医療倫理教育の現状およびこ
れからの課題について問題提起を行いたい.現在歯学部における歯学教育は4年生ま
ででほぼ基礎,臨床科目は一通り終了し,5,6年生で実際の臨床実習および歯科医
師国家試験対策が行われている.そして,平成17年から本格実施される歯学共用試験
(CBT,OSCE)は4年生終了学生を対象として,臨床実習に進むための国家試験の予
備試験として位置づけられている.この歯学共用試験に合格しなければ臨床実習を行
うことができないのである.以上のコア・カリキュラム,歯科医師国家試験出題基準
および歯学共用試験を考えた時,医療倫理教育は必須の教育項目であることが理解で
きる.
ではその教育システムはどのようにしたらよいのだろうか.少なくとも1,2,
4,5,6年生においては行われなければならない教育であると思われる.その内容
は1,2年生では生命医倫理の基本的事項を,倫理学や哲学の専門家が教育する.4
年生では歯学共用試験を鑑み,医療倫理つまり臨床倫理を歯学の専門家が教育する.
5,6年生では国家試験対策のため,実際の臨床例にあてはめたケーススタディー教
育が歯学の専門家により行われることが必要であると考えられる.
しかし,現在の歯学教育では,倫理学や哲学の専門家による生命倫理の基本的事項
の教育に留まり,歯学の専門家による臨床倫理,ケーススタディー教育は行われてい
ないのが現状である.そこで今回,国家試験に出題された問題を閲覧し,これからの
医療倫理教育のあり方について議論できれば幸いである.

参考文献:21世紀における医学・歯学教育の改善方策について -学部教育の再構築
にために-.医学・歯学教育の在り方に関する調査研究協力者会議.文部科学省.

演者略歴:
1984年 城西歯科大学(現明海大学歯学部)卒業
1988年 城西歯科大学(現明海大学歯学部)大学院卒業 歯学博士
1988年 明海大学歯学部助手(小児歯科学)
1999年 明海大学歯学部講師(口腔衛生学)
現 在 明海大学歯学部口腔衛生学講座講師
明海大学病院障害者・地域連携ケアセンター医局長
研究課題:口腔衛生学
障害者歯科学
摂食・嚥下リハビリテーション学

◆4月例会(第123回総合部会例会)/ 2004年度支部総会のご案内
当日は月例会のほか、支部の総会が開催されます。

11:00~12:00 大会実行委員会
12:00~13:55 運営委員会
14:05~16:00 総合部会例会
16:10~17:40 総会

例会
日時2004年4月3日(土) 14:05~16:00
場所:東洋大学白山校舎 1号館3階 1301番教室
※都営三田線「白山」駅下車5分

【発表内容】
演者:尾崎 恭一(おざき きょういち)氏
(司会:櫻井 弘木(さくらい ひろしげ)氏
演題:「ドイツにおける医師介助自殺論議―法の前提としての道徳律と人間の尊厳―」
要旨
はじめに 自殺幇助における「人間の尊厳」理解の対立
1.自殺幇助の許容刑法下における禁止問題―ドイツ安楽死・自殺幇助論議の理念問題
2.自殺及び自殺関与に対する法規制と裁判―道徳的否認論から自己決定尊重論へ
3.医師会による自殺幇助禁止―医師のエートスを支えるものとしての「人間の尊厳」
4.法学者による解禁案―自己決定権の根拠としての「人間の尊厳」
5.人道死協会案―道徳律と「個人の尊厳」としての「人間の尊厳」
むすび 「人間の尊厳」理解をめぐる「個人の尊厳」・「生命の尊厳」対立

総会
日時2004年4月3日(土) 16:10~17:40
場所:東洋大学白山校舎 1号館3階 1301番教室
議題
1.入退会審査・会費納入状況報告
2.会計報告
3.2004年度総合部会の予定
・年間テーマ
・発表者(演者)
4.全国大会の準備状況等に関して
5.公開講座に関して
6.その他

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2006年度

◆3月例会(第155回総合部会例会)

例会
日時:2007年3月4日(日) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室
最寄駅:JR中央線・総武線/地下鉄丸ノ内線・南北線/四ッ谷駅下車徒歩3分
→(アクセス)
→(キャンパスマップ)
演者:小松楠緒子 氏
(司会: 櫻井引木 氏)
演題:響き合うことば-”総合人文”という試み
要旨:
1.はじめに-総合人文社会科学について
明治薬科大学では、平成14年度から総合人文社会科学という講義を設置して
いる。現在は4年次必修、6年制移行後は6年次必修の講義である。本講義は、
薬学教育に欠けがちな人文社会科学系の知識、考え方を卒前に補うことを目的
としている。一日2コマ、全部で6~7回の授業を実施、平常点・出席点・テ
ストの点で評価する。講師陣は多彩で、学内の教員(臨床薬学、医療社会学担
当)に加え、外部から有識者(臨床医学、プライマリ・ケア、社会保障制度、
在宅ケア、薬害等を担当)を招き、教育にあたっている。
この発表では、ビデオを用いて講義のデモストレーションを行い、現時点で
の問題点を挙げ、今後の課題を提示する。

2.改善を要する点
(1)マンパワー不足
(2)専属スタッフ不在
(3)資金不足
(4)コネクション不足
(5)認識が不十分
(6)運営システムが未整備

3.今後の課題
(1)マンパワーの充足
(2)専属スタッフの配置
(3)内外の理解の促進
(4)運営システムの改善
(5)負荷の軽減
(6)テキスト改訂
(7)学会等での発表
(8)データ分析

4.ヒヤリ・ハット報告
(1)そこまではやれません!!
(2)想定外でした・・
(3)え? この科目落ちるの?
(4)文の書き方がわからない
(5)ひきこもってました・・
(6)僕は卒業できますか?

5.ちょっとよい話
(1)おまえら聴けよ!!
(2)K試より大事
(3)癒されるよね・・
(4)頭をガツン!!
(5)涙がポロリ
(6)何やってたんだろう・・
(7)身が引き締まる
(8)キャッチボール
(9)ひとの役に立ちたい
(10)薬剤師ってサービス業!?
(11)あのひとと話したい
(12)先生、ありがとう!!
(13)新しい一歩
(14)また授業受けたいな

専門: 医療社会学、医療倫理学
所属: 明治薬科大学

◆2月例会(第154回総合部会例会)

例会
日時:2007年2月4日(日) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室
演者:Ulrich Lohmann 氏
(司会・通訳: 村松聡 氏)
演題:Informed Consent und Ersatzmöglichkeiten bei Einwilligungsunfähigkeit in Deutschland
― Ein Überblick
専門:Gesundheitspolitik und Medizinethik
所属:Alice Salomon Fachhochschule Berlin

◆1月例会(第153回総合部会例会)

例会
日時:2007年1月6日(土) 14:30~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室
演者:宮脇美保子 氏(順天堂大学)
(司会:鈴木正子 氏)
演題:患者-医療者の関係性とインフォームド・コンセント
要旨:
わが国でインフォームド・コンセントの概念が用いられるようになったのは、
1980年代後半ころからであり、1997年の医療法改正においては、インフォームド
・コンセントが医療者の努力義務として盛り込まれた。
では、その後の医療現場ではどのように努力されてきたのであろうか。「串刺
しの心」と書く患者はいつの間にか、サービスとして医療の象徴として「患者様」
と呼ばれるようになった。この呼称を歓迎する人もいるであろうが、多くの患者
は「様」と呼ばれるよりも、もっと本質的なところで医師や看護師と対等な関係
を築きたいと願っており、違和感を感じているのではのないかと考える。それは、
医療スタッフについても言えることであろう。「様」呼称に変わって確かに若干、
言葉遣いが丁寧になり接遇が改善されたところもあるかもしれない。しかしなが
ら、人間の存在や人生の質に直接関わる医療は、他のサービス業と同じというわ
けにはいかないであろう。
医師や看護師は、免許を持つが故に許され、課されるところの、不可侵で文化的
に禁忌であるような身体的行為を行うのである(Fox,2003)。
今回は、医療現場における患者と医療スタッフ(学生も含む)との関係性から見
たインフォームド・コンセントの課題について論じたい。

専門:看護学
所属:順天堂大学

◆12月例会(第152回総合部会例会)

例会
日時:2006年12月2日(土) 14:30~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室
最寄駅:JR中央線・総武線/地下鉄丸ノ内線・南北線/四ッ谷駅下車徒歩3分
演者:渡邉淳 氏(日本医科大学)
(司会:一戸真子 氏)
演題:本邦における遺伝診療の現状と課題
――日本医科大学付属病院遺伝診療科の取り組みを通して――
要旨:
本邦でも臨床遺伝専門職の確立や遺伝子医療の基盤が整備されつつあり、平成
16年に発表された「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いの
ためのガイドライン」で遺伝情報を診療に活用する場合の取り扱いについて述べ
られている。今後、「遺伝」問題への対応はどの医療従事者にも求められてくる
と予測される。
日本医科大学付属病院では、平成10年4月より遺伝外来を開設している。外
来担当者は分子遺伝学研究者(医師)2名、小児科医2名、産婦人科医1名(す
べて日本人類遺伝学会・日本遺伝カウンセリング学会臨床遺伝専門医)、看護師
2名、助産師1名から構成している。外来は複数の医師と看護婦がチームを組ん
で行っている。電話予約の後、初回来院時に受診者から情報を収集する。定期的
に行っている遺伝診療カンファレンス(現在は月1回)においては、担当者以外
に他科臨床医、研究者、臨床心理士も参加し、個々の症例における問題点を検討
する。カンファレンスでは、毎回多くの意見が出され熱心な議論が行われて外来
運営に反映されている。続く外来受診時に受診者自らが理解したうえで意思決定
ができるように情報の提供等を行っている。当初、小児科外来の特殊外来として
行ってきたが、平成15年5月から院内措置で遺伝診療科が発足した。
遺伝子医療部門として遺伝情報を適切に扱うための新たな診療科である「遺伝
診療科」をどのようにとらえていけばよいか、これまでの実践経過に検討を加え、
現在の取り組みも踏まえ報告する。

専門:遺伝診療、遺伝医学教育、遺伝子研究
所属:日本医科大学

◆11月例会(第151回総合部会例会)

例会
日時:2006年11月4日(土) 15:00~17:30
会場:昭和大学 病院 入院棟17F 第二会議室
中原街道沿いの入り口から入り,入って左手のエレベータにのってくださ い。
→(アクセス)
演者:打出喜義 氏(金沢大学)
(司会:岡本天晴 氏)
演題:「同意なき臨床試験」裁判から
要旨:
平成18年4月、最高裁判所第二小法廷は名古屋高等裁判所金沢支部平成
15年(ネ)第87号損害賠償請求事件について、同裁判所が平成17年4
月に言い渡した判決(*1)に対し行われた上告及び上告受理申し立てを棄
却する決定を下し、平成11年6月、「高用量」抗がん剤の無作為化比較臨
床試験の被験者に無断でされたとして遺族が提訴した裁判(*2)は、7年
の歳月を経て終結することになった。
そこで本発表では、この裁判の経過を振り返ることにより、(1)「同意
なき臨床試験」が行われた経緯と背景、(2)「被験者からの同意のない臨
床試験は不当である」とする至極当然の判決が確定するまでに、なぜ、7年
もの歳月を要したのか、(3)本件では「臨床試験におけるインフォームド・
コンセント」を当該裁判所はどう判示したのか、につき紹介してみたい。加
えて、本発表者はこの裁判に原告側から関わってきたため、(4)その立場
から見えて来た我が大学の現状を紹介し、もしそれが旧弊であるとすれば、
それを改める方法などについて、みなさまと共に考えてみたい。

参考資料 (*1)名古屋高等裁判所金沢支部 平成15年(ネ)第87号 損害賠償請
求控訴事件(H17. 4.13)
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/4A2BFEE0DA9D6BAD4925702E00030C6F.pdf
(*2)金沢地方裁判所第二部 平成11年(ワ)第307号 損害賠償請求
(H15. 2.17)
(3)・仲正 昌樹・打出 喜義・仁木 恒夫【著】
『人体実験』と患者の人格権―金沢大学付属病院無断臨床試験訴訟をめぐって
(御茶の水書房 、2003年)
(4)・仲正 昌樹・打出 喜義・安西 明子・仁木 恒夫【著】
『人体実験』と法―金沢大学附属病院無断臨床試験訴訟をめぐって
(御茶の水書房、2006年)
(4)「大学病院」のインフォームド・コンセントは危ない
http://www.shiojigyo.com/en/column/0602/main.cfm
(5)既承認薬のランダム化比較試験は臨床研究ではないので被験者のインフォ
ームドコンセントは必要ない、とする国および治験の権威者の見解を問い、被
験者保護法の確立を求める上申書
http://www.asahi-net.or.jp/~yz1m-krok/others/uchide.htm

専門:産婦人科
所属:金沢大学

◆10月例会(第150回総合部会例会)

例会
日時:2006年10月7日(土) 14:30~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室
最寄駅:JR中央線・総武線/地下鉄丸ノ内線・南北線/四ッ谷駅下車徒歩3分
→(アクセス)
→(キャンパスマップ)
演者:江黒忠彦 氏(帝京平成大学)
(司会:棚橋實 氏)
演題:日本政府によるヒト胚の取扱いと未受精卵の入手のあり方
要旨:
平成16年7月23日、総合科学技術生命倫理専門調査会は、多くの反対意見の中
で「ヒト胚の取扱いに関する基本的考え方」の最終報告案を提出した。この案で
は、人クローン胚は、ヒト受精胚と同じ資格を有するとして、他に治療法のない
難病等に対する再生医療のための基礎的な研究に対して、ヒト受精杯と同様に
その作成・利用を容認される。従来の指針・報告書にはなかった、この立場変更
の決定にはいかなる背景があるのか、そして、どのような根拠からその決定が下
されたのか、これらを明らかにしながら、そこに伏在する問題を取り出してみた
い。
更に、総合科学技術会議によるこのヒト胚の取扱いを受けて、文部科学省は平
成16年10月に、科学技術・学術審議会生命倫理・安全部会特定胚及びヒトES細胞
研究会人クローン胚研究利用作業部会を設置した。人クローン胚研究作業部会は
平成18年6月20日に、「人クローン胚の研究目的の作成・利用のあり方について」
という中間取りまとめ案を提出した。この案で焦眉の問題となるのが、人クロー
ン胚作成で必要となる未受精卵の入手である。案では、手術により摘出された卵
巣や卵巣切片、生殖補助医療には利用されなかった未受精卵や非受精卵、卵子保
存の目的で作成されたが不要化された凍結未受精卵、これらの卵資源が、「適切な」
インフォームド・コンセントを受けた後、提供を受けることを認めるとするが、
無償ボランティアからの提供は当面認めないとする。しかし、人クローン胚の作
成も未だ実現できていないという事実、クローン胚研究の実効性への危惧、卵子
提供者への精神的身体的負担等を考えてみると、果して「適切な」インフォーム
ド・コンセントを取ることができるのか。このことを中間的取りまとめ案の中で
検証したい。

専門:倫理学、医療倫理学
所属:帝京平成大学

◆9月例会(第149回総合部会例会)

例会
日時:2006年9月2日(土) 14:30~17:00
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:黒須三惠 氏(東京医大)
(司会:朝倉輝一 氏)
演題:人クローン胚の研究目的の作成・利用のあり方について(中間取りまとめ)」について(報告)

演者:関根透 氏(鶴見大学)
(司会:朝倉輝一 氏)
演題:江戸時代の医の倫理の標語

◆7月例会(第148回総合部会例会)

例会
日時:2006年7月1日(土) 12:00~14:00
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室
最寄駅:JR中央線・総武線/地下鉄丸ノ内線・南北線/四ッ谷駅下車徒歩3分
演者:奈良雅俊 氏
(司会:小松奈美子 氏)
演題:インフォームド・コンセントに関するフランスの法制
要旨:
本発表の目的は、インフォームド・コンセントに関するフランスの法制を概観
することである。フランスでは生物医学研究や臨床における実践を規制するにあ
たって、規制の倫理原則を(ガイドラインや専門職綱領によってではなく)法律
によって規定してきた。このような規制の根幹をなしてきたのが、1988年のいわ
ゆる「ユリエ=セリュスキュラ法」であり、1994年のいわゆる「生命倫理法」で
ある。ところで近年フランスでは、科学研究の進歩や患者の権利の進展に対応す
るために、法律の改正や立法が行われている。生命倫理法の改正(2004年)をは
じめとして、臨床行為に関しては、「患者の権利および保健システムの質に関す
る2002年3月4日の法律第2002-303号」が制定され、さらにその延長線上に「患者
の権利と生の終焉に関する2005年4月22日の法律第2005-370号」が制定された。
この二つの法律は、パターナリズムの傾向が強い臨床現場において患者の権利を
確立することを目的としていた。他方で、生物医学研究や臨床試験に関しては、
「公衆衛生政策に関する2004年8月9日の法律第2004-806号」が制定された。これ
は上記の「患者の権利および保健システムの質に関する」法律との整合性をはか
るとともに、他方で「欧州臨床試験指令(Directive 2001/20/EC)」の施行にとも
なう国内法の整備という目的からなされた立法である。このようにして公衆衛生
法典等の大幅な改正が行われた。本発表では、研究倫理と医療倫理の諸問題の中
からインフォームド・コンセントに論点を絞り、研究と臨床のそれぞれの領域で
のインフォームド・コンセントのあり方が現行の法律の枠組みの中でどのように
規定されているかを報告したい。このようなフランスの動向紹介に加えて、フラ
ンスの臨床倫理および研究倫理の推移と特徴のいくつかに言及したい。

専門:倫理学、医療倫理学
所属:東京大学大学院医学系研究科

◆6月例会(第147回総合部会例会)

例会
日時:2006年6月3日(土) 14:30~17:00
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室
最寄駅:JR中央線・総武線/地下鉄丸ノ内線・南北線/四ッ谷駅下車徒歩3分
演者:浜田正 氏
(司会:宮下浩明 氏)
演題:インフォームド・コンセント再考
―治験・臨床試験におけるインフォームド・コンセント
要旨:
被験者の人権を尊重するために、日本では治験のルールとしてGCP(good
clinical practice)が制定されたのは、1980年代末であった。しかしながら、こ
のルールは守られず、ソリブジン事件などがあって、ようやく1990年代末になっ
て、新GCPが作られ、被験者の人権を尊重するための基礎作りがなされるように
なった。
とはいえ、新薬の候補物質の「効果」と「副作用」が被験者に情報提供される
ようになると、被験者の数が激減し、治験の実施が困難になっていった。日本製
薬工業会は国民に対して治験参加を促すために(協力を要請するために)2つの
テレビ番組を作成し、キャンペーンを行った。あるいは大新聞などで治験参加者
の募集などを行っている。治験の制度も変化し、とりわけ治験コーディネーター
(経験豊富な看護師、薬剤師など)を導入し、被験者の「ケア」を心がけている。
今回の発表では、被験者の人権を尊重するために治験のプロトコールを吟味検
討し、適切なインフォームド・コンセントの実施を促す役割を果たすべき「治験
審査員会」に関して考察を加えることにする。この考察は、先端医療、臨床試験、
通常の治療の場に導入されつつあるインフォームド・コンセントの再考に繋が
ってゆくだろう。患者・被験者の自己決定は果たして可能になるのだろうか。こ
の問題を検討してゆきたい。

専門:哲学、倫理学、生命倫理
所属:新宿鍼灸柔整専門学校、昭和薬科大学

◆5月例会(第146回総合部会例会)

例会
日時:2006年5月7日(日) 14:30~17:00
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室
最寄駅:JR中央線・総武線/地下鉄丸ノ内線・南北線/四ッ谷駅下車徒歩3分

演者:小館貴幸 氏
(司会:小山千加代 氏)
演題:人工呼吸器の意味
要旨:
先月、富山の射水市民病院で、患者7人が人工呼吸器を外されて死亡したとい
うニュースが、大々的に報じられたことは、記憶に新しいことであろう。この事
件を受け、各機関が延命治療に関するアンケートを実施した結果、「生命維持装
置をつけた無駄な延命治療を望まない」という答えが多くを占めている。これは、
尊厳死の保護、延命の否定を示していると言えるのだが、「尊厳ある死とは何か?」、
「延命とは何か?」ということは、曖昧なままである。
実際に生命維持装置には、人工呼吸器、人工透析装置、血漿交換装置等があるの
だが、一般的には人工呼吸器によって、それが代表される。人工呼吸器は医学・
科学技術の偉大なる成果であるが、かつては自発呼吸の有無が生死の境界を測る
一つの目安であり、現在の三徴候説においても、依然としてこのことが根づいて
いることもあり、ともすればそれは、「不自然な生」の象徴となり、無駄な延命
という考えにもつながる。
しかしながら、先行しているイメージに対して、人工呼吸器についての知識は
浸透しているとは言えない。各状況や個々の死生観によって異なるのは言うまで
もないが、人工呼吸器の装着を拒否する人が多い一方で、それを装着して生きる
人々が存在する。また、人工呼吸器装着の有無に関しては、医師の説明、語りの
仕方が大きな影響を占めるだけでなく、その決断を迫られた時の家族を含めた周
囲の態度も大きく作用する。
以上のことを踏まえ、本発表においては、まず人工呼吸器そのものに焦点をあ
てる。次いで、「人工呼吸器をつけて生きる」ということはどういうことである
のか?に関して、ALSという難病を患いながら、実際に人工呼吸器をつけて生
きておられる方の生き様を例にして、臨床的視点から、人工呼吸器の意味に対し
て考えてみたい。

小館貴幸 氏
専門:哲学、死生学、生命倫理
所属:立正大学


◆4月例会(第145回総合部会例会)

例会
日時:2006年4月2日(日) 16:00~18:00
会場:東京医科大学 総合情報部棟 1階講義演習室(第一校舎の裏側)
(大学キャンパスの方で、病院の方ではない)
最寄駅は丸の内線「新宿御苑前」下車5分
→(アクセス)
→(MapFan地図)
演者:黒須三惠 氏/岩倉孝明 氏
(司会:木阪昌知 氏)
演題:包括的同意について考える――国立がんセンター中央病院を例に――
要旨:
国立がんセンター中央病院では、検査試料・生検組織・手術摘出組織などの
研究利用について、患者から研究利用の包括的同意が得られなくても、研究利
用に関するお願い文書を患者が受け取ってから、同意するかしないかの意思表
示書が「2ヶ月を経ても提出されない場合は、同意をいただいたとみな」す、
いわゆるオプトアウト方式を採用しているということを知った。
包括的同意が開始された2002年当初は、患者の同意が得られた場合のみ研究
利用する、オプトイン方式で開始された。しかし、2年経っても説明済みの状
態のままで、同意が得られたケースが少なかったので、オプトアウト方式への
変更を検討し、倫理審査委員会にかけ承認を得たという。「このシステムに対
する批判意見は患者さんからは一度も出ていない。また、実際みなし同意の撤
回等もごく少数だが認められ、システムは機能していると考えられる」と関係
する医師は述べている。
臓器移植法において臓器提供はオプトイン方式を採用している。意思表示し
なくても、そっとしておかれていた、意思表示を強制されるという権利侵害で
はないだろうか。
本発表では、2006年度年間テーマであるインフォームド・コンセントの現状
と問題を概観したうえで、上述の問題を考える。すなわち、そもそも未来の研
究利用についても同意を与える「包括的同意」自体に問題はないか。患者に不
利益が及ばず、かつ患者が同意すればよいのか。未来を予測することは容易で
はないのに、患者個人や社会への不利益の防止は如何に可能なのか。正義原則
からは何がいえるのかなどを論じる。

黒須三惠 氏
専門:医学、生命倫理
所属:東京医科大学

岩倉孝明 氏
専門:哲学、生命倫理学
所属:川崎市立看護短期大学

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2007年度

◆3月例会(第166回総合部会例会)

例会
日時:2008年3月8日(土) 14:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室
最寄駅:JR中央線・総武線/地下鉄丸ノ内線・南北線/四ッ谷駅下車徒歩3分
→(アクセス)
→(キャンパスマップ)
演者:雨宮久美氏
(司会: 関根透 氏)
演題ルソーの平等論と障害児教育
要旨:
ルソーは『エミール』の序論の中で、あらゆる有用なことのなかでもいちば
ん有用なことは、人間をつくる技術であるとしている。この「人間」をつくる
技術を独自の観点から展開した作品が『エミール』である。ルソーの教育論は、
健常者である児童に対しては容易に適応することができるだろう。しかし全て
の人間が必ずしも健常児として生まれてくるとは限らない。健常者で無い障害
児に対しての教育は、健常者と同様に実施することは不可能ではないだろうか。
またルソーは、この著書において「障害」を持った子供に関する発言を幾度か
用いている。その中でも障害者の感覚を取り上げ、障害児の例を掲げている。
『エミール』を手がかりに、ルソーの考える「教育論」と「障害児」の関係に
ついてルソーは平等論の提唱者であるのか検討してみることにする。そこでル
ソーの教育論と障害者への評価について考えてみようと思う。そしてルソーの
障害児に対する問題点を考えてみたい。

専門: 哲学、倫理学
所属: 日本大学

◆2月例会(第165回総合部会例会)

例会
日時:2008年2月3日(日) 14:30~17:00
会場:東洋大学 甫水(ほすい)会館3階302号室
最寄駅:地下鉄三田線「白山」、南北線「本駒込」
→(アクセス)(白山キャンパスです)
演者:水野俊誠 氏
(司会: 坪井雅史 氏)
演題新型インフルエンザ・パンデミックにおける医療従事者の診療義務
要旨:
平成19年3月に厚生労働省の新型インフルエンザ専門家会議がまとめた『新型
インフルエンザ対策ガイドライン(フェーズ4以降)』は、新型インフルエンザが
蔓延した場合にすべての医療従事者が新型インフルエンザの患者を診療すること
を要求している。しかし、多くの医療従事者が『指針』のこの要求をよく知って
いるのか、それを納得して受け入れているのかどうかは疑わしい。この事実は、
医療従事者には当人自身にどれほど大きな危険をもたらす治療でも行う義務があ
るとすれば、問題を引き起こさないだろう。しかし、そのような義務が医療従事
者にないとすれば、この事実は問題を引き起こす可能性がある。本発表では、医
療従事者にきわめて大きな危険をもたらす診療は医療従事者の義務の限界を越え
るという考え方と、医療従事者には当人にどれほど大きな危険をもたらす診療で
も行う義務があるという考え方を取り上げて考察を加える。

専門: 精神医学、倫理学
所属: 東京大学医学系研究科生命・医療人材養成ユニット
慶応大学大学院文学研究科倫理学専攻

◆1月例会(第164回総合部会例会)

例会
日時:2008年1月12日(土) 14:00~17:00
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室
最寄駅:JR中央線・総武線/地下鉄丸ノ内線・南北線/四ッ谷駅下車徒歩3分
→(アクセス)
→(キャンパスマップ)
演者:福山隆夫 氏
(司会: 冲永隆子 氏)
演題スピリチュアリティに哲学はどうかかわるのか
要旨:
スピリチュアリティについての議論がさかんになっている。本報告はこのテ
ーマを、①医療の立場、特に緩和ケア、終末期のケアをどのように取り組むか
と言う立場に限定し、②宗教の立場とは異なった、哲学の立場からのケアを論
じたい。
WHOの緩和ケアの定義には「スピリチュアルケア」が明記されている。またそ
れに伴い、ケアの現場ではこの言葉はすでにごく普通に用いられている。とこ
ろでその内容を考えてみる時、宗教的な立場のアプローチが存在するとともに、
他方では非宗教的な「死の受容」という観点からも用いられていることがわかる。
つまり宗教よりはより広い立場からこの語は用いられている。現在の医療の現場
や周辺の議論では、この語をどのような意味で使うかと言う点である種の混乱が
見られるように思われる。科学と宗教と哲学の関係を整理しながら、哲学の果た
す役割を明確にするよう試みたい。

専門: フランクフルト学派研究
所属: 東京慈恵会医科大学 人間科学教室 人文科学研究室

◆12月例会(第163回総合部会例会)

例会
日時:2007年12月1日(土) 14:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室
最寄駅:JR中央線・総武線/地下鉄丸ノ内線・南北線/四ッ谷駅下車徒歩3分
→(アクセス)
→(キャンパスマップ)
演者:清水良昭 氏
(司会: 岩倉孝明 氏)
演題水道水へのフッ化物添加を医学・倫理学的に考察する
要旨:
現在、むし歯予防に対して、アメリカを始めとして世界56か国では水道水への
フッ化物添加が行われている。しかし、日本においては水道水へのフッ化物添加
は行われておらず、おもに歯面塗布、洗口、歯磨き剤への添加など局所的な応用
のみにとどまっている。実施している諸外国においては、むし歯は減少し、日本
も減少はしているものの諸外国と比較すると罹患率は高い。人体への悪影響はな
く、しかも医療費抑制という大きな利益が想定されるにもかかわらず、なぜ上水
道へフッ化物を添加しないのか?実際に埼玉県では上水道へのフッ化物添加を議
会で議論しながら断念した経緯がある.これらを踏まえ水道水へのフッ化物添加
について医学・倫理学立場から会員諸氏のご意見を伺いたい。

専門: 障害者歯科学
所属: 明海大学

◆11月例会(第162回総合部会例会)

例会
日時:2007年11月3日(土) 15:00~17:30
会場:芝浦工業大学豊洲校舎 研究棟5階 大会議室

●会場が芝浦工業大学です。ご注意下さい。
アクセス: 東京メトロ有楽町線の有楽町駅から新木場方面へ、所要時間約10分で、
豊洲駅下車
→(最寄駅までの案内)
→(最寄り駅からキャンパスまでの案内)
有楽町線豊洲駅3番出口のエスカレーターを上ると、円形広場に出ます。円の中心
を通る直径に沿って広場を横切り、そのまま前方に階段を上がります。階段を上がっ
て真っ直ぐ進むと、十字路に出ます。
正面に運動場のような高い柵のある公園、右手に大きなホームセンター(ビバ・
ホーム)があります。道路を正面に渡って左方向へ、公園を右に見ながら歩道を真っ直
ぐに少し進むと、右側に新しい芝浦工業大学の校舎が見えます。
正面から見ると、凱旋門を真似たような中がくりぬかれた建物です。道路を挟んで
反対側には、マクドナルド、牛丼の松屋、セブンエレブンがあります。駅から大学ま
で10分足らずです。
大学の建物はL字型で、L字型の折れた曲がった部分、凱旋門の左足の根元に入り
口があります。
入り口を入ると右手にエレベーターがあります。そのエレベーターで5階に上がっ
てください。エレベーターを出て右手奥が会場の研究棟大会議室です。
万一、会場の場所がわからない場合には、建物の入り口を入って左側にある守衛室
で聞いてください。
(なお、「ゆりかもめ」豊洲駅から来られる方は、ホームセンター(ビバ・ホーム)
を目指し、ホームセンターを右に見ながら歩道を真っ直ぐにしばらく進むと、右側に
新しい芝浦工業大学の校舎があります。)

演者:宮嶋俊一 氏
(司会: 棚橋實 氏)
演題:医療と宗教・スピリチュアリティ
要旨:
医療現場、とりわけ終末期医療において「スピリチュアル・ケア」の重要性が
説かれるようになり、「スピリチュアル」「スピリチュアリティ」といった語も
頻繁に目にするようになった。だがその一方で、「スピリチュアリティ」とは何
かということについて共通了解が形成されているとは言い難い。管見では、「伝
統宗教」から「スピリチュアリティ」へと継承されたものと、そうではないもの
があるように思われる。そこで本発表では、宗教学・死生学の立場から「宗教」や
「スピリチュアリティ」について考え、それらが医療とどのように関わ(りう)る
のか、また医学哲学・倫理学とどのような関係にあるのか、といった問題について
考えてみたい。

専門: 宗教学、死生学
所属: 大正大学

◆10月例会(第161回総合部会例会)

例会
日時:2007年10月6日(土) 14:30~17:30
会場:鶴見大学歯学部3号館2階 3-4教室
最寄駅はJR鶴見駅、京急鶴見駅。下車して5分ほどで鶴見大学歯学部に
着きます。
●会場が横浜の鶴見大学です。ご注意下さい。
→(アクセス)
演者:浅見昇吾 氏
(司会: 村松聡 氏)
演題:生命倫理の基礎付けには、実体的理性は必要か? ――究極的基礎付けの射程を巡って――
要旨:
現代の哲学界でもっとも強い理性主義者と言われるヴィットリオ・ヘスレは、
様々な生命倫理の問題に積極的に発言している。その中で生命倫理を基礎付けるに
は、「価値」というものに根本的な基礎付けが必要であり、功利主義的な計算など
は適さない、と強く主張する。その基礎付けを根本から支えるのが、「究極的基礎
付け」(Letztbegruendung) に他ならない。この「究極的基礎付け」、生命倫理の
基礎付けはどのようなものだろうか。そして、どの程度の説得力を持つのだろうか。
ヘスレの生命倫理の議論の功罪はどのようなものだろうか。このようなことを吟味
していきたい。

専門: 哲学、倫理学
所属: 上智大学

◆9月例会(第160回総合部会例会)

例会
日時:2007年9月1日(土) 14:30~17:30
会場:鶴見大学歯学部3号館2階 3-4教室
最寄駅はJR鶴見駅、京急鶴見駅。下車して5分ほどで鶴見大学歯学部に
着きます。
●会場が横浜の鶴見大学です。ご注意下さい。
→(アクセス)
演者:児玉正幸 氏
(司会: 田辺英 氏)
演題:無償の代理出産(借り腹)に対する肯定的所見―日本学術会議への提言
要旨:
諏訪マタニィティークリニック院長・根津八紘医師は2006年10月15日、
東京都内で記者会見を開き、日本産科婦人科学会(以下日産婦)が会告
「代理懐胎に関する見解」(平成15年4月)で禁止する代理出産(借り腹)
を新たに3例(通算5例)実施した旨、公表した。同医師に依れば、2例が
子宮を摘出した姉妹間での代理出産であるのに対して、他の1例は「祖
母が孫を生む代理出産」、つまり、子宮癌で子宮摘出手術を受けた30代
の娘の代わりに実母(50代後半)が代理出産(2005年春)したケースであっ
た。
不妊患者に真正面から向き合う同医師の相次ぐ社会への問題提起に対
して、政府(法務・厚生労働両省)は2006年11月30日、代理出産を中心と
する生殖補助医療(不妊治療)のあり方について、日本学術会議(金沢一
郎会長)に審議を要請した。同会議は代理出産の是非などについて幅広
く議論するために、2007年1月17日に第1回生殖補助医療の在り方検討委
員会を開き、1年をめどに(2008年早々にも)見解をとりまとめる作業に
入った。同委員会は以後、順調に会合を重ねて、現在に至る。
上記実情を踏まえて、代理出産を審議する日本学術会議に対して、姉
妹や実母が無償の人間愛と相互扶助精神に基づいて行う無償の代理出産
(借り腹)に対する肯定的所見を提言したい。論旨の展開は、以下の通り。

(1)国(「厚生科学審議会生殖補助医療部会」)が「代理懐胎surrogate
conception(代理母genetic surrogacy=伝統的代理母traditional
surrogacy=人口授精型代理母IUI surrogacy・借り腹=代理出産(妊娠上
の代理母)gestational surrogacy=体外受精型代理母IVF surrogacy)」
を刑事罰で禁止すべしとする理由
(2)「代理懐胎(代理母・借り腹=代理出産)」に対する日産婦の批判的見

(3)「代理懐胎(代理母・借り腹=代理出産)」に対する日本弁護士連合会
(以下日弁連)の批判的見解
(4)所見
(5)補遺―江湖の代理出産批判に対する所見
(なお、上記下線部は、国と日産婦および日弁連が使用する用語)

専門: 哲学・倫理学
所属: 鹿屋体育大学

◆7月例会(第159回総合部会例会)

例会
日時:2007年7月7日(土) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室
最寄駅:JR中央線・総武線/地下鉄丸ノ内線・南北線/四ッ谷駅下車徒歩3分
→(アクセス)
→(キャンパスマップ)
演者:長島隆 氏
(司会: 北澤恒人 氏)
演題:「生命政策(Biopolitik)」と「人間の尊厳」-ドイツにおけるBiopolitikの現在
要旨:
「人間の尊厳」をめぐる議論はすでに国際的な認知を得てユネスコ
の「生命倫理」宣言における「生命倫理の4原則」を統括する位置にお
かれた。だが、どのように体系化されるかは今後の問題である。
ドイツにおいてはこの議論は依然として続いており、しかも二つ
の論拠(①基本法第1章第1項、②思想史的文脈)のうち第1の論拠を
めぐって大きく現実的な課題となっている。今回の報告では、こ
の第1条第1項をめぐる議論を紹介する。私の見解では、その伏流
がすでに1980年代のハーバーマスらの「歴史家論争」あたりにまで
さかのぼり、さらに言えばドイツの戦後史そのものを問う議論へ
とむかっていることである。このような議論の仕方は日本におい
てもすでに日本における「医療倫理」の議論を発信する際に、常に
日本の戦後史とりわけ、第二次世界大戦時の日本の医師集団の「人
体実験」に対する総括を迫るものになっている。しかも、この議論
の背景には、すでにミシェル・フーコーに発するBiopolitikの議論
があることを指摘できる。
フーコーのBiopolitikの議論はドイツではAgnes HellerらのBiopo
litikを経てハート・ネグりの「帝国」の議論を批判的に摂取するプ
ロセスとして現れている。
もう少し詳しいレジュメと文献表を配布することにしたい。

専門: 哲学
所属: 東洋大学

◆6月例会(第158回総合部会例会)

例会
日時:2007年6月2日(土) 14:30~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室
最寄駅:JR中央線・総武線/地下鉄丸ノ内線・南北線/四ッ谷駅下車徒歩3分
→(アクセス)
→(キャンパスマップ)
演者:近藤まゆみ 氏
(司会: 柳堀素雅子 氏)
演題:がん医療における予後告知と患者・家族・医療者の体験
要旨:
現在のがん医療の現場では、15~20年前に比べて病名や病状を患
者自身に伝えることが多くなってきた。これは病気について知りたい
と思う患者が増えてきたこともあるが、医療者の<伝えたほうが良
い>とする思いやポリシー、スムーズな治療の確保、隠すことにか
けるエネルギーの回避、誠実さなどが関係しているように思う。そ
の中で予後告知は病名告知と違い、患者に近い将来死が訪れること
を宣告することにつながるため、医療者も慎重になる。治療の継続
・中止において患者自身の意思を尊重した医療は重要であるが、こ
れは患者に予後告知を行うことと関係しているため、重要性は理解
していても躊躇する医療者も多い。
患者に病気の深刻さや予後を伝えることに、医療者が悩む背景に
あるものは何であろうか。患者自身の受け止めていく強さと弱さ、
医療者個人の価値観・死生観、患者の「知りたいけど知りたくない」
というアンビバレントな思い、患者の情報探求パターン、家族の強
い反対、Bad Newsを伝える難しさ、治療医としてのアイデンティテ
ィ、告知後のサ ポート体制の未整備。背景にあることも簡単に取り
組めることではない。
患者に何をどのように伝えるかの問題を考える上で、家族の意思も
考慮した医療を行うことは大切なことである。しかし、医療者が大
切にしている患者の意思と、家族が語られる思いに相違がある場合
、医療者の葛藤は大きい。葛藤は苦しい体験であるがそこから逃げ
ずに、家族とこの問題について話し合いながら、患者にとって最善
の方向性は何かを共に考えていくプロセスを歩むことが大切だ。家
族はなぜ患者の利益に反することを希望するのか。家族の思いをど
こまで尊重するべきなのか。医療者は家族をどう捉えているのか。
今回の会合では、特に予後や病気の深刻さを伝えることにおける
患者・家族の体験・思い、医療者の体験・葛藤・対応などの現状を
お伝えしたい。今後の議論の参考になればと思う。

専門: がん看護専門看護師
所属: 北里大学病院

◆5月例会(第157回総合部会例会)

例会
日時:2007年5月6日(日) 14:00~17:00
会場:東京医科大学 総合情報部棟 1階講義演習室(第一校舎の裏側)
(大学キャンパスの方で、病院の方ではない)
最寄駅は丸の内線「新宿御苑前」下車5分
→(アクセス)
演者:坪井雅史 氏
(司会: 奈良雅俊 氏)
演題:「医療情報と物語―NBMの視点―」について
要旨:
この度の例会では、本学会がシリーズで刊行している『生命倫理
コロッキウム3 医療情報と生命倫理』第10章所収の拙論「医療情
報と物語 -NBMの視点-」の合評会としていただくことでご了承
いただきました。 この小論では、NBM(物語と対話にもとづく医
療)の背景、およびその内容と意義について、特にNBMの基礎にな
る世界観と人間観について、EBMとの対比、また「情報と物語」と
の対比のなかで論じております。そしてそこから、NBMが持つ臨床
倫理学的な意義として、既に生じた問題を解決するための手法とし
てだけでなく、倫理的問題が生じないようにするための臨床の倫理
としての重要性を指摘しました。 なお当日は、内容を簡単に紹介
し、(準備が間に合えば)少しばかり補足させていただいた上で、
皆様にご意見を頂きたく存じます。

専門: 倫理学
所属: 神奈川大学

◆4月例会(第156回総合部会例会)

例会
日時:2007年4月7日(土) 16:00~17:30
会場:東京医科大学 総合情報部棟 1階講義演習室(第一校舎の裏側)
(大学キャンパスの方で、病院の方ではない)
最寄駅は丸の内線「新宿御苑前」下車5分
→(アクセス)
演者:小出泰士 氏
(司会: 大井賢一 氏)
演題:臓器移植におけるジレンマ―臓器提供をめぐる家族の役割について―
要旨:
臓器移植は今日世界的には通常の医療とみなされている。日本においても、
1997年の「臓器移植法」施行により、脳死の人からの心臓移植や肝臓移植が
法律で認められた。だが、たとえば日本における心臓移植の実施件数は、そ
れ以来年に平均してわずか5件位にとどまっている。そのため現在国会議員の
間では臓器提供条件の見直しも検討されている。臓器移植という医療は、一
般市民からの臓器提供がなければ成り立たないいわば社会ぐるみの医療であ
るが、はたして人々は臓器提供に関して十分に理解し納得しているのだろう
か。移植のための臓器提供の是非に関するさまざまな考え方(患者本人の身
体の不可処分、連帯性による臓器提供の義務、死体に対する家族の権利等々)
とそこにおける家族の役割を、日本とフランスの考え方を視野に入れて検討す
る。
専門: 倫理学、生命倫理学
所属: 芝浦工業大学

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2008年度

2008年度関東支部総合部会年間テーマ

「自己決定の尊重と人間の尊厳」→趣意書


◆3月例会 (第177回総合部会例会)

例会
日時:2009年3月7日(土) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:長島隆 氏 (司会: 小出泰士 氏)
演題:「情報移転に伴う個人情報と情報倫理」に関する研究

要旨:我々がその過中を生きている21世紀の社会は、爆発的に普及したインターネットを中心にした情報社会である。インターネットに取り込むことのできる情報の量も、ますます増大しつつある。具体的には、パソコンだけではなく、携帯電話や自動車や家電製品などの生活環境のなかに無数のICタグを埋め込むことで、また、私たち自身がそうした電子的な道具を身に付けることで、生活環境のあらゆる場面が情報技術に支援されるユビキタス技術が登場している。このように、私たちが生きていく現代社会というのは、休みなく情報化が進行しつつある社会なのである。

病院における医療もまた事情は同様である。情報化の波が押し寄せている。ITの進歩によってもたらされた恩恵も多くある。医療情報が電子化されることで、またネットワークの中を迅速に飛び交うことで、経営面ではレセプト処理の効率化がなされたし、医師はEBMデータベースにもアクセスでき、診断の有効な材料となっているのである。このように、妥当な認識と配慮をもてば、光と言える部分もあるが、しかし、これは同時に闇になりうる部分でもある。第一に、医療情報システムの管理技術がより高度化して、<情報倫理>も学ぶ医療情報技師が患者の個人情報としての医療情報が権利なき者にアクセスされたり、漏洩され目的外に利用されたり、改竄されたりすることをどこまで阻止できるか。第二に、患者にとって社会生活上の死活問題にもなりうる個人情報としての医療情報は、情報技術が高度化しただけでは守りきれない種類の、人間の尊厳が基になる<倫理性>が要求される場面が依然としてあるという点である。臨床の現場では、医師や看護師等に対して、適切な診断と有効な治療法の発見に寄与するために、患者は生活史など極めてプライベートな情報も語る場合があるし、患者の価値観を語って医師が勧める治療法を断ることもある。これらの深い個人情報もまた、データ化されて医療情報ネットワーク上には入らないことが患者にとって望ましいし入るべきではない類の、深い医療情報だと言えよう。そして、ここには、どんなにIT化が進んでも変わることのない、医師や看護師等の、個人情報としての医療情報の守秘の義務という倫理的領域があるのである。論の筋としてはナイーヴに見えるかもしれないが、ここには、情報社会の中にあっても、医師はEBMにのみ頼るデータ信奉主義にならないで、対面している生身の患者や家族のプライベートな情報や価値観をも考慮し、医療従事者チームの情報提供をももとにして、総合的に診断を下す倫理的主体であることが前提となっている。患者はそのように見做すから、信頼をしてそうした類の個人情報を隠すことなく提供するのである。医師は患者に、患者は医師に、手段としてだけではなく目的として、人間の尊厳を認め合うことで、そうした類の個人情報としての医療情報の守秘や提供は成立しているのである。以上のことを、研究発表当日は、立場により、また質的にも異なる諸医療情報の具体的概念整理、EBMに対する諸評価の概観、個人情報としての医療情報の管理技術や保護をめぐる具体的な法規制や倫理綱領等のチェックを通じて、検討する。

専門:哲学、応用倫理学(生命倫理、情報倫理)、図書館情報学

所属:東洋大学哲学科


◆2月例会 (第176回総合部会例会)

例会
日時:2009年2月8日(日) 15:00~17:30
会場:東京医科大学 総合情報棟1階 講義演習室

演者:田村京子 氏  (司会: 小山千加代 氏)
演題「Ashley Treatment」をめぐる議論
要旨:
アメリカ・シアトルこども病院において、2004年7月に重
度の身体的知的障害をかかえるAshley X(当時6歳)に対し
て、乳腺芽と子宮の摘出手術が行われ、その後エストロゲン
投与による成長抑制処置が行われた(骨端線閉鎖を起こさせ
て骨が伸びないようにする)。この処置は、2006年10月小児
学会誌に公表され、2007年1月2日に両親がブログで公開し、
その後Los Angels Times他で報道され、さまざまな議論を巻
き起こしたようである。
両親はこれら一連の処置を「Pillow Angel」(重度の身体
的知的障害があり24時間介護を必要とするこどもをこう呼ん
でいる)に対する「Ashley Treatment」と名づけている。
両親はブログに公開した文書のなかで、この「治療」は
AshleyのQOL改善のために行ったものであり、Ashleyに尊厳と
身体的統合性をもたらすものだと主張している。すなわち、
乳腺芽を摘出したのは、Ashleyにとって乳房の発育は車椅子
使用や自動車での移動や入浴等々において不愉快なものとな
るので、それを防ぐために行ったものであり、子宮摘出は生
理痛等による不快感を防ぐためであり、成長抑制は介護を受
けるのに適したサイズに保つためなので、この「治療」は
Ashleyの利益になるというのである。将来罹患しうる乳がん
や子宮がんの予防にもなりうるという理由もあげており、こ
れと同じ発症予防の理由から虫垂も摘出している。
これに対して、両親あてに同じ治療を求める声が寄せられ
ている一方で、批判や反対意見も多い。現在正常な身体にこ
のような処置を行うことは果たして「治療」として許される
のか(エンハンスメント?)、重度障害をもつ子どもに対し
て親はどこまで決定する権利をもつのか、子宮摘出は過去の
優生学的不妊手術と同等のものではないか等に加えて、この
治療を承認した倫理委員会への疑義も出されている。
発表では、この「治療」に関する論文、両親のブログ、法
的観点(ワシントン州法違反)から調査に入ったWashington
Protection& Academy Systemの報告書や、その他のブログか
らの資料を整理し、この「治療」をめぐる議論を紹介するこ
とにしたい。

専門: 倫理学
所属: 昭和大学富士吉田教育部


◆1月例会 (第175回総合部会例会)

例会
日時:2009年1月10日(土) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:松本直通 氏 (司会: 水野俊誠 氏)
演題:ヒトゲノム解析研究に携わって
要旨:
7年間の周産期を中心とする産婦人科臨床の間に、出生前診断
と遺伝カウンセリングに携わった。その後ヒトの遺伝学を深く
理解・追求するために、人類遺伝学を研究する生活に入って早
16年になる。この間、ヒト遺伝性疾患を中心に染色体検査・
遺伝子検査・全ゲノム解析を展開し、いくつかの遺伝性疾患の
原因を明らかにしてきた。そして2009年現在、テクノロジーの
めざましい進歩により個人のゲノムを完全に解読しようという
時代が到来しようとしている(パーソナルゲノム解析)。研究
の遂行における患者やその家族に対する倫理的配慮は今後ます
ます重要になる。本発表では、研究を通してゲノム研究者とし
て感じるいくつかのことを取り上げ意見交換したいと考えている。

専門: 人類遺伝学・ゲノム医学
所属: 横浜市立大学大学院医学研究科


◆12月例会 (第174回総合部会例会)

例会
日時:2008年12月6日(土) 14:00~17:00
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:高山裕 氏 (司会: 棚橋實 氏)
演題価値の序列と人間の尊厳 ~マックス・シェーラーの倫理学から~
要旨:
マックス・シェーラーの価値倫理学から、価値観と価値の序列に関
する問題を解釈することにする。とりわけ、社会問題と医療問題とし
て人間の尊厳に関わる問題へのアプローチとして、シェーラーの著作
『価値の転倒』(Vom Umsturz der Werte)から、逆説的な形で価値序列
の惑乱状態、そこから生じる社会問題(個人心理における消極的な感情、
ルサンティマンや嫉妬などのはたらき)を解釈して、問題を抽出し、明
確化してみたい。そこから人間存在にとって、有用価値-快適価値-生命
価値-精神価値-(聖価値)という諸価値のあり方を再検討することに
よって、シェーラーの主張する諸価値のあり方がいかなるものなのか
を考察することにする。生命価値と精神価値との高低を問題として、
人間存在の尊厳を『宇宙における人間の地位』
(Die Stellung des Menschen im Kosmos)その他のシェーラーの著作
から彼の主張する「人間の尊厳」について再検討する。

専門: 哲学的人間学
所属: 昭和大学診療放射線専門学校 その他


◆11月例会 (第173回総合部会例会)

例会
日時:2008年11月1日(土) 15:00~17:30

会場:東洋大学 2号館3階 第1会議室
演者:冲永隆子 氏 (司会: 岡本天晴 氏)
演題バイオエシックスにおける「生と死の教育」の可能性
――自己決定権と人間の尊厳の対立から――
要旨:

本発表では、従来のバイオエシックス(生命・医療倫理)教育の中で
語られてきた「いのち」をめぐる倫理的ジレンマを中心に、宗教学が社
会に問いかけてきた「いのちの価値」に視点を向けつつ、バイオエシッ
クスが抱える諸問題を今一度問い直してみたい。まず、原理的アプロー
チ(principle-based approach)から、自己決定尊重対人間の尊厳という
対立概念を再考し、次いで、終末期医療に関する教育現場での実態調査
(アンケート調査1、2)結果に基づき、バイオエシックスにおける「生
と死の教育」の可能性を模索したい。拙稿「バイオエシックスと死生ケア
教育の可能性―死の看取り・ターミナル・ケアを中心に」国際宗教研究所編
『現代宗教2007』、秋山書店、277-299頁。

専門: 生命倫理、死生学
所属: 帝京大学医療技術学部


◆10月例会 (第172回総合部会例会)

例会
日時:2008年10月4日(土) 15:00~17:30

会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:福田誠二 氏 (司会: 村松聡 氏)
演題キリスト教神学におけるペルソナ論の源泉
    ――三位一体論とキリスト論の観点から――
要旨:

生命倫理で用いられる「人格」「パーソン」という概念は、本来は、キ
リスト教神学の三位一体論における「父なる神」と「子であるイエス・キ
リストである神」と「聖霊である神」という「三つのペルソナ、persona、
位格」の各々を現す概念であったが、それが近世以降において、「本来は神
に対する概念であるペルソナ概念が無造作に人間に対して適用されてしまっ
た概念」である。キリスト教神学における「ペルソナ概念」にはボエティウ
ス・トマス・カント系の「理性的本性の個的実体(rationalis naturae
individua substantia)」という 定義と、リカルドゥス・スコトゥス系の
「知性的本性の非交流の実存(intellectualis naturae incommunicabilis
exsistentia)」という定義があるが、これらの概念の論拠を詳細に確認し
ながら、本来の「ペルソナ概念」を考察してみたい。

専門: キリスト教神学、キリスト教哲学、キリスト教倫理学
所属: 聖マリアンナ医科大学


◆9月例会(第171回総合部会例会)

例会
日時:2008年9月6日(土) 14:00~17:00

会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:中澤武 氏  (司会: 浅見昇吾 氏)
演題人間としての個人の尊厳
   ――〈人間尊厳の規範〉再考の一視点――
要旨:
我が国では、人間尊厳 (Menschenwürde) の概念がどのような意味で
受容されているのだろうか? その受容史は未開拓の研究分野である。
確かに同概念は国際憲章や各国の憲法に確固たる地位を占め、我が国で
も法規に取り入れられて、法的・倫理的葛藤状況を打開するための指導
理念としての役割を期待されている。反面、特に生命倫理の分野では人
間尊厳の規範的有効性が議論の的となる。同概念を単なるお題目の類と
見なす意見もある。このような懐疑の源は、どこにあるのか? M. H.
ヴェルナーの論文「生命倫理の論議における、人間としての尊厳」(2004)
を手掛かりとして、人間尊厳の規範性の根拠を問う。

専門: 哲学・倫理学・ドイツ18世紀啓蒙研究
所属: 早稲田大学


◆7月例会(第170回総合部会例会)

例会
日時:2008年7月5日(土) 15:00~17:30

会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:本田まり 氏  (司会: 小松楠緒子 氏)
演題妊娠中絶と私生活を尊重される権利
  (ヨーロッパ人権裁判所2007年3月20日判決, no 5410/03,Tysiac c. Pologne)
要旨:
本報告は、女性の生命または健康に危険をもたらす妊娠の事例として、
ヨーロッパ人権裁判所判決を紹介する。
原告となる女性は強度の近視であり、妊娠による視力の悪化を恐れて
医師に中絶を依頼するが、治療的堕胎が認められず、帝王切開により出
産する。その後、原告の視力は悪化し、廃疾(労働不能)者とされた。
原告は、妊娠中絶が許可されなかったことは条約8条等に違反するとして、
ポーランド政府を相手に人権裁判所へ提訴した。
人権裁判所は、妊婦の私生活は胎児と密接に結び付いているので、妊娠
中絶を規制する立法は私生活の領域に関わると指摘する。ポーランドでは、
妊娠が母親の生命または健康に危険をもたらす場合には、合法的に堕胎を
行うことができる。しかし人権裁判所は、治療的堕胎に関して妊婦と医師
ら、または医師ら相互の間で意見の不一致があった場合につき、保健省令
は特別な手続を何も規定していない等として、条約8条違反を認めた。

専門: 比較法(フランス)、民法(医事法・家族法)
所属: 芝浦工業大学


◆6月例会(第169回総合部会例会)

例会
日時:2008年6月7日(土) 14:00~17:00

会場:芝浦工業大学 豊洲校舎研究棟5階 小会議室(大会議室の手前)
演者:山本剛史 氏  (司会: 船木祝 氏)
演題:予防原則の倫理学へ向けて
要旨:
例えば2008年度からEUが施行する化学物質規制「REACH」は、EU域内
で使用されるあらゆる化学物質の安全性の挙証責任を企業側に負わせる
制度である。これは「リオ宣言」が提言する「予防原則」の具体的実践の一
例であり、EU域外への影響も非常に大きいと予想されるが、予防原則自
体の定義はまだ確立していないのが現状である。
予防原則とよく似た主張を展開するのが、ハンス・ヨナスである。将
来世代に対する義務を説くその「未来倫理」は、未来倫理を支える人間
の責任性に関する考察と共に予防原則の本質を照射する。本発表ではま
ず予防原則が求められる現状を化学物質の問題に焦点を当てて整理し、
倫理学において予防原則を語ることの是非を考えてみたい。次に、責任
倫理において予防原則を論じるに当たり、ヨナスの責任論に対して反論
するアーペルの議論を取り上げ、責任概念に関する相互の検証を試みる。
そして、両者の対立を乗り越え、科学技術を用いた集団的行為主体の責
任倫理を打ち立てることがいかにして可能か試論し、議論の糸口とした
い。

専門: 倫理学
所属: 慶應義塾大学


◆5月例会(第168回総合部会例会)

例会
日時:2008年5月10日(土) 14:00~17:00

会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:村松聡 氏  (司会: 江黒忠彦 氏)
演題バルセロナ宣言の挑戦を読み解く
要旨:
EUのプロジェクトの一つである生命・医療第Ⅱプロジェクト「生命倫理と
生命法における基礎倫理的原理」(1995-1998)は、1998年11月、EUのヨー
ロッパ委員会に対して、生命倫理と生命法に関する提言をまとめた。これが、
バルセロナ宣言である。
バルセロナ宣言は、単にEUの生命倫理に関する諮問会議の結果といったも
のではない。それは、英米系の自由主義的な倫理観に対する挑戦という意味を
もっている。ジョージタウンのマントラと呼ばれるボーシャンプとチルドレス
が打ち出した四原則に対して、ヨーロッパは、一線を画した生命倫理観をもつ、
という表明に他ならない。
バルセロナ宣言は、ヨーロッパ諸国二〇名以上の研究者を集めて、今後、生
命倫理の問いへの取り組み方の方向性を示す提案として書かれている。コンセ
ンサスの最大公約数をとった作業でもあり、曖昧さもある。今回は、宣言の目
指す方向性、可能性を探りながら、時に曖昧な包括的概念や表現が何を含意し
ているのか、それを読みとく試みをしてみたい。

専門: 哲学・倫理学
所属: 横浜市立大学


◆4月例会(第167回総合部会例会)

例会
日時:2008年4月6日(日) 16:00~17:30

会場:芝浦工業大学豊洲校舎 研究棟5階
演者:小出泰士 氏  (司会: 山本剛史 氏)
演題自己決定の尊重と人間の尊厳
要旨:
医療現場において、患者が治療や検査を受ける際に、最も基本的かつ重
要な原則の一つが、患者の自由な自己決定の尊重にあることは疑いない。
では次のような場合についても、本人またはその代理人の自由な決定に委
ねるべきだろうか?

①人体実験への参加、代理母への志願、終末期における治療停止、安楽死
②臓器や配偶子(精子、卵)などの提供、売買
③エンハンスメント
④胚、胎児、未成年者、保護下にある成人、死体等、未だ人格ならざるもの、
もしくは、すでに人格ならざるものの扱い

個人の自己決定を優位に置くアメリカ型の倫理においては、他人に危害を
加えさえしなければ、当事者の自己決定に反対する理由はないようにも思
われる。だが、人間の尊厳を優位に置くヨーロッパ型の倫理においては、
必ずしもそうではない。医療倫理における人間の尊厳のポイントは次の点
にある。

①人間の尊厳ということに関して、自分と他人の区別はない
②人体、人体の一部または人体の産物を侵害すれば、人間の尊厳を侵害しな
いわけにはいかない
③人間の尊厳は絶対的価値を有するものであり、時に個人の自由を制約する

医療技術の進歩した現代においては、すべてを本人またはその代理人の自
由な決定に委ねるのではなく、時に人間の尊厳の観点から社会が個人の自由
を制限することもまた必要なのではあるまいか。

専門: 倫理学・生命倫理学
所属: 芝浦工業大学

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2009年度

2009年度関東支部総合部会年間テーマ

「身体および人由来の試料・データの利用の是非を問う」→趣意書


◆3月例会 (第188回総合部会例会)

例会
日時:2010年3月6日(土) 14:00~17:0
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:飯塚 美子 氏 (司会:江黒 忠彦 氏)

演題:聞き取り調査及び新聞ニュースから見る女性性
    ―富士見産婦人科病院事件の事例から―
要旨
わが国において国民の耳目を集めることとなり、当時の多くの人々の記憶の中にある 医療過誤事件が、1980年に埼玉県所沢市において発生した。当時のマスメディアが大 きく取り上げた、いわゆる「富士見産婦人科病院事件」である。この事件は、現在も 続く医療過誤事件の一つではあるが、社会的に認識された最初の事例であると思われ る。被害患者らが1980年9月20日に告訴を行ってから、2009年5月に最高裁判所で元院 長の上告が棄却されたことですべての決着を見たことになるが、事件発覚から医療過 誤裁判が結審するまで、実に30年近い年月を要した。
しかし、被害患者らにとっては忘れることのない30年であり、今後も女性性の喪失感 を受容しながら生きていかなければならない。この事件は単なる医療過誤で終息され る性格のものではない。芦野はこの事件に関して、「医療の場では医師=強者、患者 =弱者という構造がぬきがたくあり、そこに性がからむと女性はさらに弱い立場に立 たされがちだ」と述べ、東京地方裁判所判決文も「事柄が子宮、卵巣等の疾患という 大きな声では会話しにくい主題である」医療過誤事件と断じている。事件発生の根は 深く、社会的である。
この事件の問題の解決は、病院内の情報秘匿的体制の中で行われた理事長及び医師の 行為の倫理が問われ、理事長及び医師らの「乱診乱療」を指弾され、医師に対して 「共同不法行為」の判決がなされたことで終息したが、この事件の被害者の聞き取り 調査とマスメディア報道から見えてきた女性性についての問題を論じたい。

専門:看護、社会福祉
所属:足利短期大学看護学科

参加費:300円


◆2月例会 (第187回総合部会例会)

例会
日時:2010年2月14日(日) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:山本 剛史 氏  (司会:北澤 恒人 氏)

演題:ハンス・ヨナス『生命の哲学』を読む
要旨
1973年に刊行されたハンス・ヨナスの著書“Organisum und Freiheit”(後に“Das Prinzip Leben”と改称)は、1950年代から60年代にかけて書かれた諸論文を集めて一つの書物として編まれたものである。ヨナスの(途中第二次世界大戦や 第一次中東戦争を挟んで)半世紀以上におよぶ長い研究生活の中で、これは初期のグノーシス研究と、『責任という原理』に代表される倫理学との間に位置して いる。また、 10年以上にわたって少しずつ書き溜められたものにも関わらず、この本全体が後にヨナスが責任概念を倫理学的に基礎付けるための一つの土台となっていると 考えられる。
邦訳『グノーシスの宗教』の末尾に既に掲載されていた「グノーシス、実存主義、ニヒリズム」が第11章として再掲されているが、そこに示されているの は、人間と自然との間の断絶を意味する二元論の極北が実存主義であるとの診断であり、また、二元論を克服しようとする唯物論が「人間を真に人間たらしめて いる理念」を廃棄するという診断であった。この診断に基づき、ヨナスは“Organisum und Freiheit”において、人間と自然との断絶を唯物論とは異なる形で架橋する哲学を提示しようとしたのである。
先ごろ、本書の邦訳『生命の哲学』(法政大学出版局)が上梓された。本発表では、主に後の『責任という原理』との関係に焦点を当てて、この本全体から重要な課題をいくつか浮かび上がらせて問題提起としたい。

専門:倫理学
所属:慶應義塾大学

参加費:300円


◆1月例会 (第186回総合部会例会)

例会
日時:2010年1月9日(土) 15:30~18:00
会場:芝浦工業大学 豊洲校舎 教室棟5階 515番教室※後記参照

演者:皆吉 淳平 氏  (司会:坪井 雅史 氏)

演題:脳死臓器移植の歴史的現在 ―メタバイオエシックスからのアプローチ
要旨
バイオエシックスは、自らを反省的に問い直す時期を迎えている。メタバイオエシックス研究は、「バイオエシックス/生命倫理」が自覚的/無自覚的に論じ てこなかったことを明らかにし、「バイオエシックス/生命倫理」という営みそれ自体を批判的に検討することを目指す「問い直し」の試みのひとつである。
本報告ではこのメタバイオエシックスの視角に、「バイオエシックスの社会学」からの視点を交えて、「2009年臓器移植法改正」論議に至る日本の「脳死 臓器移植」問題の歴史的現在を検討する。とくに「脳死」をめぐる議論の現在とWHOの新移植指針をめぐる「外圧」の社会的構成過程の検討、そして「社会的 合意論」の衰退が意味することの検討を通して、「何が論じられなかったのか」を明らかにする。そのうえで、「1997年法」と「改正法」との比較から浮か び上がる「家族」中心の「問題解決」の意味することを検討する。このように「脳死臓器移植」をめぐる議論を通して、日本の「生命倫理」の歴史的現在を検討 する視座を提示することを試みたい。

専門:社会学・生命倫理
所属:芝浦工業大学・慶應義塾大学

参加費:300円


◆12月例会 (第185回総合部会例会)

例会
日時:2009年12月12日(土) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階ドイツ語学科会議室

演者:船木 祝 氏 (司会:皆見 浩史 氏)

演題:人間に対する遺伝子技術介入の倫理的問題
――「自律」か「傷つきやすさ」か――
要旨
近年の生命科学技術をめぐる話題は、ヒト余剰胚研究よりもむし ろ人クローン胚研究、そして着床前診断、さらには遺伝子技術が能力や 性質の改良をめざしてヒト生殖細胞へと介入する遺伝子増強(エンハン スメント)へと移っている観がある。こうした一連の動きに対して、生 命倫理の分野において、人間の「傷つきやすさ(vulnerability)」を巡 ってさまざまな議論が展開されている。そうした議論においては、主に 二つの立場が対立し合っているように思われる。一つは、人間の「傷つ きやすさ」とはそもそも克服されるべきものなのであって、かりに将来 世代も含めた安全性が確保されることになるとするならば、当事者の意 思決定を極力尊重して、遺伝子技術を積極的に利用すべきであるとする ものである。もう一つの立場によれば、人間とは本来、運命、事故、病 気などによりいつ他者依存的になるかもしれない存在である。受精卵や ヒト生殖細胞への遺伝子技術の応用をさらに助長していくことは、「傷 つきやすい」存在としての人間観を見失わせ、社会で苦しむ人々への共 感や尊敬の念を弱めることになるとされる。こうした対立は、1960年代 以降、「自律モデル」を模範にアメリカで起こったところの生命倫理が、 いま暗中模索の時期に差し掛かっていることを物語っている。

専門:哲学・生命倫理
所属:早稲田大学・明海大学

参加費:300円


◆11月例会 (第184回総合部会例会)

例会
日時:2009年11月7日(土) 15:00~17:30
会場:東京医科大学総合情報部棟 1F講義演習室

演者:小館 貴幸 氏  (司会:岩倉 孝明 氏)

演題:ケアされる存在としての人間
要旨
現在、我が国では既に超高齢社会を迎え、日々のニュースで医療や介護の話題 が取り上げられない日はない程であり、これらは喫緊の課題として、私たちが取り組 むべき課題として突きつけられている。そこでは、様々な問題が山積しているわけで あるが、やはり本質的な問題は、人間の問題である。現場で起こる具体的なケアの諸 問題の背後で、大きな根となって横たわっているのは、「人間をどのような存在とし て捉え、どのように扱うべきであり、またそれはなぜなのか?」ということに他なら ない。
従来、ケアが語られる場合には、具体的なケアの仕方やケアの在り方が問題となるこ とが多く、たとえケアそのものが語られたとしても、ケアする側に主眼が置かれた議 論が多かった。しかし、ケアは人間の間になされる交わりであり、お互いの身体を介 した具体的な対話であり、関係そのものである。そこで本発表では、介護の現場に携 わっているという臨床の経験を踏まえ、対話的原理に依拠しつつ、「ケアする」とい う観点からさらに「ケアされる」という観点にまで踏み込み、ケアという関係性の基 礎づけを試みたい。

専門:哲学・死生学・介護
所属:立正大学

参加費:300円


◆10月例会 (第183回総合部会例会)

例会
日時:2009年10月4日(日) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階ドイツ語学科会議室

演者:大井 賢一 氏 (司会:棚橋實 氏)

演題:臨床研究を行う研究者に対する倫理教育の在り方
   ―「臨床研究に関する倫理指針」の改正を受けて
要旨
臨床研究は新たな医療のエビデンスの創出を目的としており、基礎研究と並 んで重要な研究領域である が、わが国では臨床研究は基礎研究に比べて重要視され てこなかった。しかし近年、新薬の治験の活性化、革新的医薬および医療機器の開発 を進めるうえで臨床研究の重要性が認識され、その充実および強化が喫緊の課題とし て取り上げられている。同時に臨床研究は、ヒトを対象とした研究であることから、 2003年に「臨床研究に関する倫理指針」が策定され、本年4月1日に改正施行された。 今回の改正での注目点は、「ヒトを対象とした研究が行われる施設の長」は「ヒトを 対象とした臨床研究をする研究者」に臨床研究のための倫理教育をしなければならな いこと、「ヒトを対象とした臨床研究をする研究者」は倫理教育を受けた研究者でな ければならないこと、である。
今は改正施行されたばかりであるため、急にこのことで今までの臨床研究がストップ されることはないと思われるが、近い将来に何らかの検証があり、体制が整っていな ければ、その施設は臨床研究ができない事態を招くことが予想される。その結果、ヒ トを対象とする臨床研究が現状(注)から後退する事態を招くことも当然予想され る。
そこで、今後のわが国におけるヒトを対象とする臨床研究の発展に寄与するため、 本発表では今後重要な位置を占めると考えられる倫理審査委員会における倫理に関わ る委員の役割、および臨床研究をする研究者に対する倫理教育のあり方について考察 する。

注: わが国の基礎・臨床両研究分野の主要医学雑誌の掲載論文数は、基礎研究分野 で1998年以降、米国、ドイツに次いで3番目に多かった。それに対して臨床研究分野 では2002年まで12番目であったものが2003年以降は18番目と順位を下げている。

専門:医療倫理
所属:NPO法人ジャパン・ウェルネス、防衛医科大学校、埼玉医科大学


◆9月例会 (第182回総合部会例会)

例会
日時:2009年9月5日(土) 15:00~17:30
会場:東京医科大学 総合情報部棟 1F講義演習室

演者:森 禎徳 氏 (司会:小阪康治 氏)

演題:生命の商品化と統制――当事者不在の医療制度改革
要旨:
医療制度のあり方を考える際に経済を度外視することは非現実的であるが、経済=市場という短絡もまた危険である。医療の市場化は経済的に見ても非効率的 であり、医療は市場メカニズムが機能しない分野である点もさることながら、そもそも市場の失敗に備えるべき社会保障制度を市場に委ねることは、生命や健康 を市場的価値に還元し、社会的排除を促すという倫理的な問題を生じさせるからである。そこで市場を抑制・管理し、有限な医療資源を適正に配分する政府の役 割が重要となる。皆保険を中心とする日本の公的医療保険制度は医療へのアクセスの平等を最優先する点で高く評価されるべきであるが、現在政府が行っている 医療制度改革は医療費抑制を追求するあまり、市場原理の導入と当事者への統制強化という矛盾した二つの方向性を無秩序に推進し、医療の効率も公正も損ねた 結果、未曾有の医療危機を招いた。この「政府の失敗」を修正することは焦眉の課題であるが、既存の制度が随所で破綻しつつある現状では、単なる現行のレ ジームの部分的手直しでは不十分である。公正でしかも持続可能な公的医療保険制度を原点から再構築することはいかにして可能か、その条件を検討したい。

専門:カント実践哲学、医療倫理
所属:東邦大学医学部


◆7月例会 (第181回総合部会例会)

例会
日時:2009年7月4日(土) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:後藤 英司 氏  (司会:岸本良彦 氏)

演題:医学教育の現状について
要旨:
わが国の医学教育の基礎は明治時代にドイツ医学の教育方法の導入によって築かれた。戦後、GHQの指導により米国の教育制度の導入が試みられ、医師国家 試験やインターン制度が導入された。しかし、大学における医学教育は温存され、70年代に至るまで戦前とほぼ同じカリキュラムで教育が行われた。その後、 大多数の医科大学でベッドサイドでの実習、一部の大学で機能系統別のカリキュラムや問題基盤型PBL教育等が導入された。しかし、90年代になって、米国 等と比較してわが国の臨床教育が劣っているとの批判が高まり、平成13年に文部科学省は「医学教育モデル・コアカリキュラム」という形で、医科大学で教育 すべき内容を具体的に提示した。あわせて、4年次生で学生の習熟度を測定する共用試験の導入も図られ、平成17年から正式に実施されるようになった。その 後、19年に医療安全、地域医療、腫瘍などに関してコアカリキュラムの一部改正があった。一方、16年に導入された臨床研修制度は地方の医師不足を招いた として,20年から臨床研修制度の政治家主導の見直しがなされ、これに伴い、大学における臨床教育の前倒しや強化が文科省から提言されている。

専門:医学教育学
所属:横浜市立大学


◆6月例会 (第180回総合部会例会)

例会
日時:2009年6月6日(土) 15:00~17:30
会場:東洋大学(白山校舎)6号館1階第3会議室

演者:盛永 審一郎 氏  (司会:尾崎恭一 氏)

演題:iPS細胞の倫理的問題
要旨:
iPS細胞とは、すでに分化し終えた体細胞にいくつかの遺伝子を導入す ることにより、いわば初期化して、ES細胞と同じように多様な細胞に成長で きる能力を獲得した幹細胞のことである。最新の研究では細胞のテロメアも もとの長さに戻ると言われている。従って、癌化の危険性だけ取り除けば、 ES細胞とは異なり、倫理的問題(胚や受精卵を壊すこと)をクリアーしてい るだけに、再生医療に繋がる期待が大きい。しかし、その期待が、いつのま にか、「難病の治療法の解決のために」という目的から「生殖補助医療目的」 にすり替えられ、生殖のメカニズムをひもとくために利用されようとしてい る。すなわち、iPSを誘導して、ES細胞指針で禁止されていた精子や卵子とい う生殖細胞を実験室で作製する研究をはじめようというのである。最近の文 部科学省・厚生労働省合同専門委員会・総合科学技術会議の議論がそのこと を示している。これは、iPS細胞が日本では「人工多能性幹細胞」と訳された ことによると思われる。まさにこれまで神秘以外のものでな かった「生殖」 の模擬実験simulationに利用されるという宿命を負わされたのである。
かつてザイスの神殿の帳を開いたものはそこに自分自身を見たという。受 精卵に自分の娘を見た山中教授はiPS細胞に何を見たのだろうか?

専門:倫理学
所属:富山大学大学院医学薬学研究部医療基礎哲学


◆5月例会 (第179回総合部会例会)

例会
日時:2009年5月10日(日) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:関根 透、 島田道子 氏 (司会:浜田 正 氏)

演題:『臨床研究に関する倫理指針』と倫理審査委員会の役割
要旨:
『臨床研究に関する倫理指針』の遵守が、平成21年4月1日からいっそう厳し くなり、臨床研究を実施する研究者には、予め「講習」と「臨床教育」が義務付けら れることになった。今回の指針では、被験者への福利が厚くなり、研究者、研究責任 者、臨床研究機関の長の責務が強化されている。そこで、この倫理指針が実施される ようになった歴史的な経緯の概略を説明し、『臨床研究に関する倫理指針』について の目的や内容、改正の背景、さらには倫理審査委員会の役割などを説明したいと思 う。倫理審査委員の講習等は努力目標なっているものの、研究者や研究責任者の責務 は強化されており、実際には倫理審査委員会が大きな役割を果たさなければならない と思われる。つまり、機関の長に代わって研究者や研究責任者の指導をしなければ、 被験者の保護や社会から理解が得られないと思われるからである。田村氏が指摘する ように、研究者は研究が中心となり、「個人情報管理の認識度が低い」、「事後承諾 が多い」等(『医学哲学・医学倫理』24号、2006年)が指摘されている。そのために 倫理審査委員会が被験者の個人情報保護や補償に積極的な役割を果たすべきだと思っ ている。どうか会員の皆さんから忌憚のないご教示を賜りたいと願っている。

専門:関根透氏(倫理学、医の倫理の歴史)  島田道子氏(ドイツ語)
所属:鶴見大学歯学部


◆4月例会 (第178回総合部会例会)

例会
日時:2009年4月4日(土) 16:00~17:30
会場:芝浦工業大学 豊洲校舎 教室棟5階 515番教室※後記参照

演者:黒須 三惠 氏  (司会:福田誠二 氏)
演題:人の臓器等の利用における倫理的問題を考える
   ―特に乳幼児の場合
要旨
近年、産学連携が重視される中、人の臓器等の利用が 高まっているが、倫理的にも適切な利用のあり方とはな んだろうか。何故利用できるのであろうか。現代におい ては、本人の自由意思は最大限尊重される。このことは、 人体実験に関する指針の基礎となった二ュルンベルグ綱 領に次のように記されている。「他の研究法や手段では 得られない社会の善となる結果を生む」という理由のみ では正当化されず、「被験者の自発的同意は絶対的本質 的なものである」と。では、同意を得ることが不可能な 乳幼児の場合はどうなるだろうか。人体実験でも、動物 実験や成人対象の実験や臨床経験の積み重ねから、乳幼 児に利益がもたらされると推測されるなら、親の承諾で も倫理的に許されるだろう。しかし、臓器や血液等の提 供のように本人に直接的利益をもたらさない場合はどう か。本人意思は乳幼児であっては未発達であり、それを 推測することは、親であっても乳幼児では不可能である。 未発達だから尊重することはないとすると、精神障害者 や認知症の場合にはどうなるのか。自由意思を尊重する 限り、乳幼児からの提供は不可能だろう。では、死亡後 はどうか。遺族から同意を得れば、臓器等を移植や研究 等に利用することは倫理的に問題はないのか。このこと は遺体をどう捉えるかにかかわるのである。

専門: 生命倫理・医療倫理
所属: 東京医科大学

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2010年度

2010年度関東支部総合部会年間テーマ

「人体組織の医学・医療上の利用をめぐる倫理問題」→趣意書


◆3月例会(第199回総合部会例会)

日時:3月5日(土) 14:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

アクセス:http://www.sophia.ac.jp/J/sogo.nsf/Content/access_yotsuya

演者:船木 祝氏(司会:小山 千加代氏)
演題:グリーフケアについての哲学的考察
要旨
世界保健機関は、緩和ケアにおいて、「生命を脅かす疾患による問題に直面し ている患者」だけではなく、その家族をもその対象としなければならないことを 強調している。そして、その実施項目として、家族が、「死別後の生活に適応で きるように支える」ことを明記している(2002年WHO)。一方、坂口幸弘氏らの 調査によれば、わが国ではまだ、死別後の遺族ケアを提供している施設は、ホス ピス・緩和ケア病棟以外では少数となっている。わが国におけるグリーフケアの パイオニアとも言える、哲学者アルフォンス・デーケンは、悲嘆は、専門知識や 技術を駆使して客観的に解決できる問題ではない点に、その難点を見出している。 その一方で、喪失や別離は誰にでも起こり得るものとして、それに対し準備する ことの必要性を説く。小此木啓吾氏は、すでに30年ほど前に、現代社会における 悲しみを遠ざけようとする風潮や、悲嘆に苦しむ人の孤立化する傾向を指摘して いる。本発表は、グリーフケアの現状を踏まえ、かつ諸分野の識者の見解を参考 しつつ、グリーフケアのあり方について哲学的に考察することを目標とする。

専門:哲学 医療倫理
所属:明海大学歯学部

参加費:300円


◆2月例会(第198回総合部会例会)

日時:2011年2月6日(日) 15:00~17:30
会場:東京医大病院 教育棟2階 セミナー室 201
※地図(pdfファイル)はこちら

演者:浜田正氏(司会:福田誠二氏)
演題:Subjetsからparticipantsへの困難な途
―臨床研究倫理指針再考(仮題)
要旨
厚生労働省は臨床研究の倫理指針を2003年に作成し、2008年に改定が行われた。改 定は、①医学研究者への倫理講習会受講義務付け(研究機関の長;倫理講習会実施義 務)②被験者・研究協力者の有害事象への補償義務(保険措置)③介入研究の場合、 データベースへの登録義務④個人情報保護;匿名化・連結可能匿名化・連結不可能匿 名化⑤有害事象の報告義務、等である。本発表では、改定の論議が行われた厚生科学 審議会科学技術部会(07~08年)[a臨床研究倫理指針の対象範囲と研究の類型b研究 の倫理c有害事象の補償・賠償、補償の保険d欧米における規制と倫理審査委員会e国 内;倫理指針の運用状況調査f臨床試験登録と研究倫理g改正案]の議論を考察しながら、臨床研究の倫理指針のも つ意義(改定の意義)と問題点を明らかにしていきたい。その際、重要となるのが、 臨床研究の対象である人間存在の臨床研究における「地位=在り方」である。被験者 Subjectsという在り方から研究協力者participantsという人間的な在り方への移行は 困難な途となっているのではないか。

専門:倫理学、哲学、生命倫理
所属:首都医校

参加費:300円


◆1月例会(第197回総合部会例会)

日時:2011年1月8日(日) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:大井 賢一氏(司会 小阪康治氏)
演題:がん患者はどのように共同意思決定を行うのか?
―状況要因および決定因子をめぐって―
要旨
がんは1981年からわが国の死因の第1位を占め、年間30万人以上が亡くなって いる。年間50万人が新たにがんと診断され、治療選択の意思決定を行っている。 現在、がんと向き合う300万人のうち、151万8,000人は継続的に医療を受けてお り、常に難しい治療選択の意思決定に直面している。
がん医療において、多くの医師が重視している治療結果は、根治可能な状況で あれば「根治」、根治不能であれば「延命」である。がん医療が目指すべき治療 結果は、人間の幸福である。生存およびQOLは、幸福に直接関わるという意味で、 真の評価項目(true endpoint)と呼ばれるが、幸福との相関の度合いは、人そ れぞれの価値観によって様々である。生存の代用評価項目である腫瘍縮小効果で 幸福を推し量ることはさらに困難である。幸福を客観的に評価する指標が存在し 得ない以上、エビデンスで万人に通用する結論を出すことはできないのであり、 結局は、個々の患者の治療目標に応じて、エビデンスを主観的に解釈する作業が 不可欠となる。
患者と医師とが明確な治療目標を共有しないまま治療を行うのでは、治療が医 師の自己満足にしかならない危険性がある。このような医師が一方的に意思決定 を行い患者がそれに従うことは、これまでパターナリズム(paternalism)とし て、できるだけ避けなければならない医師の態度とされ、むしろ患者の確かな同 意および満足度が得られるためには、患者および医師の相互参加(mutual participation)の関係が必要であるといわれている。
がん医療における意思決定は、医師が自らの専門的知識・技術を患者に提示し、 患者が自らの病気との向き合い方、治療目標、人生観および死生観を含む価値観 を医師に提示し、それらの情報にエビデンスを統合させ、両者の納得する合意に 至る、という共同意思決定(shared decision making)でなければならない。  本発表では、がん患者が自らの治療選択において医師と共同意思決定を行うに あたり、(A)がんの初発期(primary cancer)、(B)がんの再発・転移期 (recurrence or metastatic cancer)、および(C)がんの終末期(end-stage cancer)といった各患者の状況において、(a) 信頼度の高いエビデンス、(b) 医 師の専門的知識・技術、および(c) 患者の価値観といった意思決定因子の関わり について考察を試みる。

専門:医療倫理
所属:NPO法人ジャパン・ウェルネス事務局長、防衛医科大学校非常勤講師、埼玉医科大学非常勤講師

参加費:300円


◆12月例会(第196回総合部会例会)

日時:2010年12月5日(日) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

アクセス:http://www.sophia.ac.jp/J/sogo.nsf/Content/access_yotsuya

演者:朝倉 輝一氏(司会:小館 貴幸氏)
演題:「みなし末期」と「尊厳死」の間で
――「福祉のターミナルケア」論争を振り返る――
要旨
1998年から2001年ごろまで『社会保険旬報』誌上を中心に『「福祉のターミナ ルケア」に関する調査研究事業報告書』(以下『報告書』)の内容をめぐっていわ ゆる「福祉のターミナルケア」をめぐる論争があった。対立点の中心はいわゆる 「みなし末期」と「限定医療」であった。その後、「福祉のターミナルケア」は 各種の「終末期医療に関するガイドライン」等の策定や日本介護支援協会の『高 齢者介護における福祉ターミナルケア・マニュアル集』などに反映されて決着を 見たかのようである。この論争を振り返ることで、残された問題点があるのか、 あるとすればどのような問題なのかを探ることにしたい。

専門:哲学・倫理学
所属:東洋大学

参加費:300円


◆11月例会(第195回総合部会例会)

日時:2010年11月6日(土) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:中澤 武氏(司会 森 禎徳氏)
演題: ニューロエンハンスメントに倫理問題は在るか?
――ドイツ脳神経倫理学のトポイ――
要旨
本報告の目的は、ニューロエンハンスメント(=NE)に関してドイツで行われ ている議論の動向に注目し、脳科学をめぐる倫理的問題の所在をはっきりさせる ことにある。
脳は可塑性に富む臓器である。もしも適切な手法で脳活動に介入すれば、認知 能力やコミュニケーション能力などを意図的に改変することも不可能ではない。 現代の脳科学は、脳機能を非侵襲的に計測する手法の開発に始まり、いまや従来 の治療の範囲を超えて、脳の機能を増強する技術までをも実現しつつある。この 過程で、脳科学は、医学だけにとどまらず、心理学や教育学、経済学あるいは倫 理学の分野にまでその応用範囲を広げてきた。その一方では、脳の話題に世の関 心が集まり、「神経神話」の影響力が強まっていることも事実である。たとえば、 「脳トレーニング」のための商品が次々と売り出され、脳活(脳の活性化)を標 榜するセミナーには受講者が殺到している。NEに対する潜在的需要は、相当なも のであると言わざるをえない。
NEの技術的可能性については、生体工学を応用した侵襲的介入がまだ基礎研究 の段階であるのに対して、神経薬理学の分野では、記憶力や注意力を増進すると されるスマートドラッグの利用が始まっている。薬剤による脳機能の増強は、す でに現実の問題なのである。
このようなテクノロジーの進展に対して、NE慎重派の側からは様々な懸念が表 明されている。だが、そこで問題になっているのは、多くは法規制や社会政策な どによって解決され得る事柄であるか、あるいは、新技術の人体への応用に関す る一般的問題であり、特にNEに固有の倫理的問題が指摘されているとは言い難い。 では、いったいNEには倫理問題など無いのだろうか? もしも、この問いに接し て「そんなはずは、あるまい」という直感が働くとすれば、その直感の中味は、 どうなっているのだろうか? そこには果たして、確とした倫理問題が潜んでい るのだろうか?
本報告は、このような問いの答えを、ドイツにおける最近のNE論争の中に見出 す。その際には、要求工学で用いられる「トポイ図」を参考に、ドイツでの多岐 にわたる論点を整理し、NE問題の位置づけを明らかにする。その結果、議論は社 会論と人間学との2つの問題圏に分けられる。最終的には、NEの目的ないし価値 の中に倫理問題が見定められ、「人間としての自然」という概念の可能性と限界 が問題になる。

専門:ドイツ18世紀啓蒙研究・医療倫理・ビジネス倫理
所属:早稲田大学

参加費:300円


◆10月例会(第194回総合部会例会)

日時:2010年10月2日(土) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:一戸 真子 氏(司会 小松 楠緒子 氏)
演題: チーム医療・連携時代の医療倫理
要旨
医療を取り巻く環境はめまぐるしく変化している。カルテ一つを例にとっ ても、ドイツ語で書かれていた時代から英語の時代へ、そして日本語になり、今で は電子カルテの普及により、医師の診療録、検査データ、看護記録などが複合的に 患者情報と一緒に参照できるシステムも存在している。これまでは、医師と患者関 係における医の倫理、あるいは看護師の患者に対する看護倫理といった個々の従事 者における倫理についての検討が多かったが、これからは治療においては、医師や 看護師、薬剤師や管理栄養士などとのチーム医療によるアウトカムの成果が求めら れ、検査や手術などにおいても同様にチームによる医療の質向上が求められてい る。さらに、平均在院日数の短縮や、がんを代表とする生活習慣病が日本人の死因 の上位を占めていることから、様々な医療機関間での連携や、病院と診療所の連携 が現実的となってきた。本格的なチーム医療・連携時代における医療倫理について 検討したい。

専門:医療管理学・医療政策学
所属:上武大学

参加費:300円


◆9月例会(第193回総合部会例会)

日時:2010年9月4日(土) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:奥田 純一郎 氏 (司会:奈良 雅俊 氏)
演題: iPS細胞研究と法の役割
――「生命倫理と法の関係」の一般理論に向けて――
要旨
この報告では、人工多能性幹細胞(iPS細胞)研究の倫理問題を検討するこ とを通じて、より一般的に、生命倫理に関して法が果たすべき役割やそのある べき指針・方向性を検討することを試みたい。
ヒトのクローン胚やES細胞を用いた研究は、その効用への期待の半面、独 立した人になりうる存在を研究利用のために犠牲にする事への、倫理的懸念 がついて回っていた。これに対しiPS細胞は、ヒトの体細胞に由来する事から、 倫理的懸念を生じることなく「期待」に応えられる存在として注目を浴びている。 しかしその多能性を利用し生殖細胞への分化を容認するに至り、iPS細胞に も倫理的懸念を向けられている。 本報告では、倫理的懸念に対する応答に 関し、法(実定法に限らず、立法論や法的思考)に何が出来るか(あるいは、 出来ないか)を検討する。特に「ヒト胚の法的(道徳的)地位」という「論争」の 本来の意味を考え直してみたい。そのことから「生命倫理と法」をより一般的 に考える手がかりを探りたい。従って報告というより問題提起に留まることを 御寛恕願いたい。

専門:法哲学、生命倫理と法
所属:上智大学法学部

参加費:300円


◆7月例会(第192回総合部会例会)

日時:2010年7月3日(土) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:宮下 浩明 氏(司会 高山 裕 氏)
演題:中山間へき地の無床診療所活動の報告
―高齢者を対象とした医療活動の倫理性についての検討
要旨
過疎地域の人口は1056万人で全人口の8.3%(平成17年国勢調査)であり、 面積は204201km2で全国土の54%(平成19年10月1日)を占め、過疎地域を含む市 町村数は730市町村で全市町村の41%(平成21年4月1日現在)である。過疎地域、 へき地における地域の特徴のひとつに人口の減少が顕著であることがあげられる。
このような地域における無床診療所活動の一例をしめすことで、地域人口の減 少にともなう受診患者数の減少、受診患者の高齢化、地方交付金の補助を受ける ことで運営が成り立っているという特徴があることを紹介する。
一方、限界集落の住民の76.1%が将来においても現在の集落に居住し続けたい との意思を持っていることが確認されている。また、高齢者にあっては移動など の身体能力の低下がある。
過疎地域、へき地における医療・福祉活動に従事するものの姿勢として、居住 する高齢者の生き方に対する希望を尊重する必要があること、高齢者の弱さに対 する配慮が必要であることを述べたい。

専門:医学、一般内科
所属:新見市国民健康保険神代診療所

参加費:300円


◆6月例会 (第191回総合部会例会)

日時:2010年6月5日(土) 14:30~17:30
会場:芝浦工業大学 豊洲校舎教室棟 512教室

* 研究棟1階入り口の自動ドアが開きませんでしたら、入り口の右手に
あるインターフォンで、中にいる職員にお願いして開けていただいて
ください。
最寄駅:有楽町線「豊洲駅」1a又は3番出口から徒歩7分
JR京葉線「越中島駅」徒歩15分
アクセス:東京メトロ有楽町線の有楽町駅から新木場方面へ、
所要時間約10分で、豊洲駅下車
→(最寄駅までの案内)
→(最寄り駅からキャンパスまでの案内)
→(校内地図)

演者:岩江 荘介 氏(司会 皆吉 淳平 氏)
演題:ヒトiPS細胞研究の倫理・法・社会的側面に関する論点整理
要旨
2007年11月にヒトiPS細胞の樹立が発表されて以来、ヒトiPS細胞は再生医 療研究の中心的な存在となり、大規模な政策的支援を受けながら推進されている。 また、新しい治療方法や新薬開発への期待から、社会全体からも期待と注目が集 まっている。その一方で、再生医療研究がヒトを対象とする以上、科学的なだけ でなく倫理・コンプライアンス・社会的にも相当な慎重さをもって研究が推進さ れなければならない。そこで、生命倫理的な視点からもヒトiPS細胞研究につい て相当な質・量の議論が必要となってくる。
しかし、わが国において、この類の議論がさかんに行われてきているとは言い 難い。その一理由として、わが国では「ヒトiPS細胞研究を進める上で、どのよ うな倫理・法・社会的問題が考えられるか?」に関する議論、つまり重要な論点 を俯瞰する作業がきちんと行われてこなかったことが挙げられる。
そこで本発表では、ヒトiPS細胞研究の倫理・法・社会的側面について論点整 理を試みる。予め重要な論点を洗い出して整理し、議論のポイントを明らかにす ることにより、ヒトiPS細胞研究を巡る生命倫理的な議論の活性化に貢献できる ものと考える。

専門:医療倫理・科学技術政策
所属:京都大学人文科学研究所・研究員

参加費:300円


◆5月例会(第190回総合部会例会)

日時:2010年5月8日(土) 14:00~17:00
会場:芝浦工業大学 豊洲校舎教室棟 512教室

演者:宮嶋 俊一 氏 (司会:小阪 康治 氏)
演題:ヘッケルの優生思想と一元論宗教(仮)
要旨
エルンスト・ヘッケル(1834-1919)は、ドイツの著名な生物学者・動物学者で、専 門領域は放散虫やクラゲなどの下等海産動物の形態学・分類学・発生学であった。 イギリスのダーウィン進化論をドイツにおいていち早く受容し、それを基礎に形態 学を体系化した『有機体の一般形態学』を著した。その後一般向けの啓蒙書として 『自然創造史』、『宇宙の謎』、『生命の不可思議』などの著作を出し、いずれも 当時のベストセラーとなった。彼はダーウィン進化論に独自の思想を加え「一元論 (Monismus)」という哲学思想へと変容させそれを普及させたが、その社会ダーウィ ニズム思想は優生思想を生むことともなった。それがナチスドイツの人種主義に与 えた影響についても指摘されている。本発表では、まずヘッケルの優生思想の内容 を、次に「一元論思想」を紹介し、さらにそれを普及させるための一元論運動につ いて当時のドイツにおける宗教状況の中で考えていきたい。

専門:宗教学・死生学
所属:東京外国語大学・大正大学(等)非常勤講師

参加費:300円


◆4月例会(第189回総合部会例会)

日時:2010年4月3日(土) 16:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:黒須 三恵 氏
演題:人体組織の医学・医療上の利用について
要旨
新年度最初の例会が開催されるにあたり、例会責任者の立場から、年間テーマの趣旨説明を兼ねた発表を行う。例会の年間テーマは「人体組織の医学・医療上の利用における倫理問題」が予定されている。
そこで、昨年に「改正」された臓器移植法が本年7月に全面的に施行されることから、移植実施例の検証を含めた移植医療の倫理問題が取り上げることを期待 する。本人の事前の拒否意思表示がなければ遺族の同意で臓器提供が可能であること及び、家族への優先提供が家族内に何をもたらすか。さらに、脳死が一律に 人の死と規定されたことで脳死状態の患者家族と医療者の関係はどうなるか。
ES細胞やiPS細胞の臨床研究を念頭においた、ヒト幹細胞を用い臨床研究に関する指針の見直しが検討されている。このような細胞移植に関しては安全性 以外にどのような問題があるのか。他人の臓器に頼るため臓器不足が大きな課題となっている臓器移植に代わる医療として期待されている再生医慮の倫理的課題 についても検討の対象である。
自らの臓器等を死後も含めて提供することがなぜ、認められているか。身体論からみると、臓器等の提供はどのように理解できるのか。文明史の視点からは移 植医療はどう位置づけられるか。過渡期の医療なのか。このような課題についても議論が必要であるので、会員の方々からの積極的な演題応募を期待する。

専門:生命倫理学
所属:東京医科大学

参加費:300円

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2011年度

 

2011年度に行われた総合部会例会の記録

2011年度関東支部総合部会年間テーマ:「多文化社会における医学哲学・倫理」 →趣意書


◆3月例会(第210回総合部会例会)

日時:3月4日(日)15:00~17:30
会場:上智大学2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:今井 道夫 氏(司会 尾崎 恭一 氏)
演題:ニーチェの病、ニーチェの哲学
要旨
医科大学を退職するまで、私はかなりの力を生命倫理学に割いてきた。今後、 以前より関心があった医学哲学的研究を多少でも推し進めることができればと考 えている。とりあえずは、哲学・思想史的な視点から入ってゆきたい。
2年前に「ニーチェと病――ハンマーをもって哲学する――」と題して最終講 義をし、その端緒とした。ニーチェの生涯は病との闘いの連続であった。ニーチェ の哲学がその影を多少とも背負うことになったのは、自然な成り行きであった。 しかし、その哲学を彼の病の産物とするような暴論もあったため、これまで哲学 の側からそれに深入りすることには慎重にならざるをえなかった。とはいえ、そ こに由来するところのある彼の健康や病にかんする考察は注目してよいはずであ る。
ニーチェの病、その病状、病因については医学的観点からは長く議論されてき た。近年にも大部の研究書が刊行されているので、そうした文献を参考に彼の病 歴を見てみる。それを踏まえつつ、彼の哲学における彼の病の反映を検討する。 その際、哲学的内容にとどまらず、表現や文体上の特色も考慮する。なにか特別 の結論を得ることは望むべくもないけれども、哲学思想史や文化史との連関で病 気を、医学医療を考察する道を示すことができればと思っている。

所属:札幌医科大学名誉教授

参加費:300円


◆2月例会(第209回総合部会例会)

日時:2月4日(土)15:00~17:30
会場:東洋大学白山校舎 6214番教室(6号館2階)

アクセス:http://www.toyo.ac.jp/access/hakusan_j.html

演者:上原 雅文 氏(司会:関根 透 氏)
演題:日本人の霊魂観
要旨
死は必ず迎えなければならない未知の領域である。人間は自己自身の死に対す る不安や恐怖心を抱き、また親しい人の死に底知れない悲しみを抱く。死の問題 は、倫理学にとって不可欠の領域である。古来、死への不安・恐怖心、悲しみを 克服するために様々な信仰や儀礼があった。それらの前提にあるのは霊魂の存続 である。しかし、現代の多くの日本人は「無宗教」を標榜している。では、霊魂 の存続への信仰や儀礼は形骸化しているのだろうか。決してそうではあるまい。 日本人は、親しい人の死に際しての、あるいは死後の儀礼を重視し意義を感じて いる。しかし、多くの場合、その儀礼の前提となっている霊魂観を明確に自覚し ているわけではないのである。このような中で、死の問題を考える倫理学にとっ て必要な基礎作業の一つは、日本の伝統的な霊魂観を把握し、その意味について 再検討することであろう。周知のように、そこには仏教・儒教・神道のいずれの 霊魂観でもない独自の霊魂観がみられる。しかも、伝統的霊魂観の中には、霊魂 “否定”論も古くからあった。本発表では、霊魂“否定”論も含めた伝統的な霊 魂観について、「よく生きる」ことと関係させつつ考えてみたい。

所属:神奈川大学外国語学部
専門:倫理学・日本倫理思想史

参加費:300円


◆1月例会(第208回総合部会例会)

日時:1月7日(土)15:00~17:30
会場:上智大学2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:小松 楠緒子 氏(司会:長島 隆 氏)
演題:総合人文社会科学の現状と課題-6年制薬学部における試み
要旨
本発表では、明治薬科大学における総合人文社会科学の実践および今後の課題を取り扱う。今年度は、薬学部が6年制になってから、はじめての開講であった。ここでは特に、4年制時からの改定点を中心に発表する。そして、今後の課題を提示する所存である。
総合人文社会科学の概要、目的(含 就職の経緯)に関しては、『薬剤師と社会』(小松楠緒子編著)の第1章およびあとがきをもとに当日発表する(前掲書をお持ちの方はご持参ください)。次 に、6年制化にともなう変更点を挙げる。第一に、特別講師を大幅入れ替えした。基本的にコアカリに対応した布陣への改編を行った。さらに、本講義における 新たな試みとしては、テキストの作成、刊行が挙げられる。『薬剤師と社会』を北樹出版から刊行した。この他の、新たな試みとしては、有志による発表が挙げ られる。
今後の課題としては、サポート体制の充実が望まれる。参加型講義を行っているため、常に人手不足であり、教員の負担は重い。担当教員は、講義のコーディ ネイト、特別講師の接遇、印刷物の配布、カードリーダーによる出欠確認を基本的にひとりで実施している。これからは、TA等のサポートが必要である。この 他の課題としては、教育工学的アプローチによる分析、考察、発表がある。

所属:明治薬科大学
専門:社会学

参加費:300円


◆12月例会(第207回総合部会例会)

日時:12月4日(日)15:00~17:30
会場:上智大学2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:半田 栄一 氏(司会:江黒 忠彦 氏)
演題:現代の医療と禅 -白隠に関して-
要旨
現代医療の性格と現状、問題点を捉えた上で、白隠の禅と健康法について述べ、 統合医療、医療と宗教の関係について考察してみたい。
白隠は厳しい修行生活の中で、いわゆる禅病と結核を患う。種々の治療を試み たが効果なく、白幽子より神仙錬丹の極意を学び、その実践によって鍼灸や医薬 によらず治したとされる。白幽子より学んだとされる秘訣を記したものが『夜船 閑話』であるが、これは神仙思想や老荘思想に基づくものといえる。この錬丹術 は、丹田呼吸と内観の瞑想によるイメージ療法としての「軟酥の法」である。
『夜船閑話』および『遠羅天釜』は、仏教以外にも易、道教、神仙、儒教等多 様な思想や医学的身体論に基づいており、それらの思想が生かされつつまとめら れており「習合的」である。陰陽の和合により人が生じ、天の元気が全身心をめ ぐること、また孟子の浩然の気を気海丹田に収め、養うことによって、宇宙と一 である「大環丹」となること等である。禅病は「心火逆上」によって起こり、呼 吸と内観によって、気を丹田に収めることにより癒され、本来の安定した心身の 調和が回復するという。白隠は、こうした「習合的」ともいえる多様な思想や身 体的技法を学ぶと同時に、自らの治病体験を通してこの健康法を見出すに至った。 この健康法は、心身一体の行における禅本来の修証に連なっているのである。 「転々治せば転々参ぜよ。」と治病や健康法のみが目的ではなく、弁道修行をめ ざしていたのであり、治病や健康法がそのまま修証に他ならない。
白隠の禅と健康法は、現代の全人的医療の視点から重要な要素を含む。近代の 科学主義に根ざす医学は、医療と宗教・信仰を、次元を異にするものとして捉え るが、同時に心身二元論や機械論的捉え方の限界が指摘され精神医学、心理学、 内科学・生理学等において心身の相関性がいわれるようになった現代、身体に基 礎を置き、内観を説く白隠の持つ意味は大きい。また現代の統合医療の中に、白 隠の呼吸法や内観はその地位を得て生き続けている。白隠の呼吸法・内観は真正 の禅道と悟りへと導くものであり、ここから宗教体験を介した精神療法の可能性 も開かれる。

所属:元嘉悦大学講師

参加費:300円


◆11月例会(第206回総合部会例会)

日時:11月12日(土)15:00~17:30
会場:東洋大学白山校舎 6号館2階6213番教室
アクセス:http://www.toyo.ac.jp/access/access_j.html

演者:石田 安実 氏(司会:坪井雅史氏)
演題:脳神経科学における多層的説明
要旨
「脳神経倫理学」の一つの理解は、私たちの行う倫理的判断の脳神経科学的研究だが、それは、(判断という)心理的活動を脳神経に関する知見でいかに機械 論的あるいは“ボトム-アップ”で説明するか、という試みと理解できよう。それは、心理的活動に関する理論(心理学)と脳神経科学理論の間の理論間還元、 さらに前者の後者への還元による“統一理論”を促すと見えるかもしれない。つまり、脳神経科学はそのような理論間還元を必然的に含意すると考えられるかも しれない。そうした理解で脳神経倫理学を展開する論者も多い。
しかし、脳神経科学的探求は、良く見ると必ずしもそうした「統一化」を論理的に導かない。むしろ、理論的説明においては、上記のような統一理論でなくさ まざまな理論が混在することで脳神経科学が発展しているといえるのではないか。それを、還元に関する最近の議論を紹介する形で考察したい。

所属:横浜市立大学 非常勤講師
専門:専門:哲学(特に、心の哲学、認識論)、倫理学

参加費:300円


◆10月例会(第205回総合部会例会)

日時:10月8日(土)15:00~17:30
会場:上智大学2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:伊野 連 氏(司会:奥田 純一郎 氏)
演題:iPS細胞と現代再生医療の倫理性について
要旨
ES細胞[胚性幹細胞]をめぐる倫理的障壁によって行く手を阻まれていた再 生医療研究は、iPS細胞[人工多能性幹細胞]の研究・開発により新たな局面 を迎えることとなった。作成者である山中教授の京大iPS細胞研究所[CiR A]、東大、慶應義塾大、理化学研の国内四拠点をはじめ、我が国のその他の大 学・研究機関でも意気が上がっている。山中方式は米国・欧州といずれも特許を 取得し、従来の遅れを取り戻し、さらに将来は日本が世界をリードするのだとい うムードすら感じられる。
胚を傷つけることがなく、また女性に身体的負担を強いることのないiPS細胞 の登場は、たしかに現代再生医療にとっての福音とも思われる。早くもヴァチカ ンが讃意を表明し、例えば世界で最も厳しいと目されるドイツの胚保護法に鑑み ても、その健全性は保たれているかに思われた。
しかし一方で、iPS細胞のさらなる研究推進にあたっては、従前のES細胞 研究もまた不可欠であるとの指摘(いわゆる「共犯性」の問題)もある。この数 年にわたる我が国の一連のライフ・サイエンス政策の展開においても、従来激し い議論が繰り広げられてきた胚をめぐる倫理性の問題が完全にクリアーされたわ けではない。我々生命医療倫理学者にとっての課題が解決されたわけではまった くない。研究人口の急速な底上げは、確実に技術革新・技術向上へと貢献するで あろう。しかしだからといって、古代から我々に突きつけられた問いである「人 が神を演じてよいのか」について何らかの明確な答えが見出されたわけではない のである。
懸念されていた高発癌率に関してGlis-1の投入による大幅な抑制が確認 できるなど、明るいニュースも次々飛び込むなか、iPS細胞の意義をあらため て問い、またさらにその代替手段などにも目を向けつつ、現段階での最新再生医 療をめぐる倫理性の是非について検討したい。

専門:哲学・倫理学
所属:慈恵看護専門学校

参加費:300円


◆9月例会(第204回総合部会例会)

日時:9月4日(日)15:00~17:30
会場:上智大学2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:仙波 由加里 氏(司会:森 禎徳 氏)
演題:米国における補完代替医療 ― 不妊治療への利用を参考に
要旨
現在米国では、すべてのカップルの7~17%が不妊の問題を抱えているといわれている(Smith 2010, Weiss 2011)。そして近年、不妊の問題を抱える人の補完代替医療(CAM)の利用はめずらしくない。米国では不妊治療にかかる医療費が高いことから、不妊治 療に健康保険がきかない人たちの中にはCAMを使って安い費用で妊娠を試みようとする者がいる。また費用面の問題だけでなく、人工的すぎる医療介入を避 け、自然妊娠を望む人や、不妊治療と並行して、より妊娠しやすい体づくりのためにCAMを利用する者もいる。(Domar, 2006)不妊治療、とくにIVFを受けている患者の間で、伝統中国医療を利用する人が増えつつあり、カリフォルニア州は他州に比べると、不妊患者に鍼治 療や漢方(中国医薬品)を提供するクリニックが目立つ。
そこで本報告では、米国でのCAMに注目し、特に鍼治療を中心とする伝統中国医療の米国への普及の歴史や、現在、人々の間でどのくらいCAMが受け入れ られ、特にカリフォルニア州におけるCAMに関する教育や規制への取り組みを紹介するとともに、不妊治療にCAMがどのようにとりいれられているかを踏ま え、CAMの今後のあり方に言及したい。

専門:バイオエシックス
所属:桜美林大学、スタンフォード大学 客員研究員

参加費:300円

※なお今回は、在米の報告者との、インターネット通信による会議となります。ご承知おき下さい。


◆7月例会(第203回総合部会例会)

日時:7月2日(土)15:00~17:30
会場:東洋大学白山校舎 1号館6階1601教室
アクセス:http://www.toyo.ac.jp/access/access_j.html

演者:杉岡 良彦 氏(司会:森 禎徳 氏)
演題:代替・補完医療とスピリチュアリティ――科学かトリックか――
要旨
まず、代替・補完医療(CAM)がなぜ今日論じられなければならないのか、そ れを生みだす現代医学の問題点を整理したい。次に、それではCAMが、現代医学 の諸問題を解決しうるのか、その可能性を論じる(しかし実際のところ、CAMは 現代医学と同様の、あるいはそれ以上の問題点を抱えているように思える)。発 表者の問題意識は、現代医学もCAMも、共に人間(あるいは病む人)を対象とし つつも、両者の実践の根拠となる人間観が明確に意識されていないこと、あるい は、その人間観と科学の関係が明確にされていない可能性を考察する。
一方で、現代医学には、分子生物学に代表される還元主義的な方法と同時に、 集団を対象とした臨床疫学の方法がある。これらの方法は、CAMと現代医学にど のような反省を迫るのかも、特にスピリチュアリティと健康の関係を論じた論文 を具体的に取り上げながら紹介する。
最後に、今後、CAMと現代医学はどのような関係を模索するべきであるのかを、 特に患者医療者関係の視点から具体例を挙げつつ考察したい。

所属:旭川医科大学

参加費:300円


◆6月例会(第202回総合部会例会)

日時:6月4日(土)15:00~17:30
会場:上智大学2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:住吉 義光 氏(司会:大井 賢一 氏)
演題:がんの補完代替医療 ―臨床試験による科学的検証―
要旨
わが国では、がん患者の約半数が補完代替医療(complementary and alternative medicine, CAM)を利用し、ほとんどは健康食品(キノコ系)であった。
さらに、患者が知りたい情報は治療効果や副作用などであるが、医療従事者に相 談することは稀であった。患者―医療従事者のコミュニケーション不足は否めな いのが現実である。これを改善するためには、信頼できる情報を患者に提供しな ければならない。そのためにはわが国ではほとんど行われていない臨床試験によ る科学的検証が重要である。
この講演では、厚労省がん研究助成金による研究により判明したがん領域での CAMの実態、臨床試験などについて解説し、今後の展望について考察する。

(参考文献)
1.がんの補完代替医療ガイドブック
http://www.shikoku-cc.go.jp/kranke/cam/index.html
2.「がんに効く」民間療法のホント・ウソ-補完代替医療を検証する
住吉義光、大野智 中央法規出版
3.Hyodo I,et al.: Nationwide survey on complementary and alternative medicine in cancer patients in Japan.
Journal of Clinical Oncology 23:2645-2654, 2005.
4.Sumiyoshi Y, et al.:Dietary administration of mushroom mycelium extracts in patients with early stage prostate cancers managed expectantly: a phase II study
Japanese Journal of Clinical Oncology 40: 967-972, 2010

所属:玄々堂木更津クリニック

参加費:300円


◆5月例会(第201回総合部会例会)

日時:5月7日(土)15:00~17:30
会場:上智大学2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:長島 隆 氏(司会:村松 聡 氏)
演題:ドイツにおける自然療法とHeilpraktiker
    -ドイツのおける近代医学、ドイツ医師会の変遷を視野に入れて
要旨
本発表では、ドイツにおける自然療法の現在を19世紀からのドイツ医師会の 形成と近代医学の成立のプロセスから明らかにすることを目的とする。ドイツ の自然療法は近代においてはChristoph Wilhelm Hufelandらを中心とする 1800年前後の「治療」のコンセプトの争いに端を発する。「自然治癒説」と「人 工治癒説」という治療のコンセプトは現在に至るまで大きな枠組みでは変わっ ていない。この「自然治癒説」を代表したのがフーフェラントであり、ここにドイ ツの自然療法は一つの根を持っている。ホメオパシーのSamuel Hahnemann もまた意志であり、そういう意味では大きく近代医学から外れた両方ではな く、この自然療法が「民間療法」へと転換し、ある意味で胡散臭い療法へと転 じるのは、近代医学がその力を増し、ドイツにおいて医師会という形で成立す るプロセスにおいてであり、19世紀を通じての「治療の禁止」と「治療の自由」 をめぐる争いにおいてである。この争いは、結局Heilpraktikergesetzという形 で一応の決着がついた。それは、「治療の」水準、質をどのように保証するの かという問題であった。私の発表では、このプロセスをフォローしながら、「自 然療法」そのものが提起する理論問題にまで迫ることができるように努力し たいと思う。また当日いくつかの資料を配布する予定である。

専門:哲学、ドイツ観念論における自然哲学(ヘーゲル、シェリングを中心とする)および社会哲学の研究。
また応用倫理学(医療倫理、情報倫理、工学倫理、研究倫理など)
所属:東洋大学文学部哲学科教授。東京薬科大学客員教授。

参加費:300円


◆4月例会(第200回総合部会例会)

日時:4月2日(土) 16:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:黒須 三惠氏(総合部会長)(司会 宮下 浩明氏)
演題:「多文化社会における医学哲学・倫理」
    ―2011年度年間テ-マについて
要旨
本年は11月に第1回国際大会が、本学会主催で全国大会に引き続き開催される。両大会の共通テーマが、「多文化社会における医学哲学・倫理」であり、国 際シンポジウムは「多文化社会における医療倫理」がテーマとなっている。この歴史的取り組みである両大会を内容の面からも充実させるために、総合部会でも 両大会の共通テーマである「多文化社会における医学哲学・倫理」が年間テーマとして提案されている。
また、本学会主催の公開講座が「代替・補完医療の可能性と限界の検証」のテ-マのもと、全国大会の直前に関東支部が中心となって開催される。
現代の医学・医療はいわゆる西洋の医学・医療が多様な文化や歴史の相違を超えて世界的主流となっている。その一方で、鍼灸などの伝統医療・民間療法が根 強く行われている。それらの科学的分析が進行しているが、どのような生命や病についての捉え方や倫理観に基づいて実践されているのだろうか。
患者・家族と医師・医療者との関係における倫理的在り方は、文化によってどう異なるのか。しかし、それでも貫かれている普遍的なものはあるのか。「ユネ スコの人権と生命倫理に関する世界宣言」には、人間の尊厳、人権、自律尊重、脆弱性などが掲げられている。また、いのち、身体、病、健康などは文化の相違 においてどのように理解されているのだろうか。
多くの支部会員が例会の議論をふまえて、全国大会および国際大会における発表に向け積極的に取り組むことを多いに期待する。

専門:生命倫理学
所属:東京医科大学

参加費:300円

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総合部会 2011年度年間テーマ 趣意書

年間テーマ:「多文化社会における医学哲学・倫理」

 本年は11月に第1回国際大会が、本学会主催で全国大会に引き続き開催される。両大会の共通テーマが、「多文化社会における医学哲学・倫理」であり、国際シンポジウムは「多文化社会における医療倫理」がテーマとなっている。この歴史的取り組みである両大会を内容の面からも充実させるために、総合部会でも両大会の共通テーマである「多文化社会における医学哲学・倫理」が年間テーマとして提案されている。

 また、本学会主催の公開講座が「代替・補完医療の可能性と限界の検証」のテ-マのもと、全国大会の直前に関東支部が中心となって開催される。

 現代の医学・医療はいわゆる西洋の医学・医療が多様な文化や歴史の相違を超えて世界的主流となっている。その一方で、鍼灸などの伝統医療・民間療法が根強く行われている。それらの科学的分析が進行しているが、どのような生命や病についての捉え方や倫理観に基づいて実践されているのだろうか。

 患者・家族と医師・医療者との関係における倫理的在り方は、文化によってどう異なるのか。しかし、それでも貫かれている普遍的なものはあるのか。「ユネスコの人権と生命倫理に関する世界宣言」には、人間の尊厳、人権、自律尊重、脆弱性などが掲げられている。また、いのち、身体、病、健康などは文化の相違においてどのように理解されているのだろうか。

 多くの支部会員が例会の議論をふまえて、全国大会および国際大会における発表に向け積極的に取り組むことを多いに期待する。
(文責:部会長 黒須三惠)

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