2008年度

2008年度関東支部総合部会年間テーマ

「自己決定の尊重と人間の尊厳」→趣意書


◆3月例会 (第177回総合部会例会)

例会
日時:2009年3月7日(土) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:長島隆 氏 (司会: 小出泰士 氏)
演題:「情報移転に伴う個人情報と情報倫理」に関する研究

要旨:我々がその過中を生きている21世紀の社会は、爆発的に普及したインターネットを中心にした情報社会である。インターネットに取り込むことのできる情報の量も、ますます増大しつつある。具体的には、パソコンだけではなく、携帯電話や自動車や家電製品などの生活環境のなかに無数のICタグを埋め込むことで、また、私たち自身がそうした電子的な道具を身に付けることで、生活環境のあらゆる場面が情報技術に支援されるユビキタス技術が登場している。このように、私たちが生きていく現代社会というのは、休みなく情報化が進行しつつある社会なのである。

病院における医療もまた事情は同様である。情報化の波が押し寄せている。ITの進歩によってもたらされた恩恵も多くある。医療情報が電子化されることで、またネットワークの中を迅速に飛び交うことで、経営面ではレセプト処理の効率化がなされたし、医師はEBMデータベースにもアクセスでき、診断の有効な材料となっているのである。このように、妥当な認識と配慮をもてば、光と言える部分もあるが、しかし、これは同時に闇になりうる部分でもある。第一に、医療情報システムの管理技術がより高度化して、<情報倫理>も学ぶ医療情報技師が患者の個人情報としての医療情報が権利なき者にアクセスされたり、漏洩され目的外に利用されたり、改竄されたりすることをどこまで阻止できるか。第二に、患者にとって社会生活上の死活問題にもなりうる個人情報としての医療情報は、情報技術が高度化しただけでは守りきれない種類の、人間の尊厳が基になる<倫理性>が要求される場面が依然としてあるという点である。臨床の現場では、医師や看護師等に対して、適切な診断と有効な治療法の発見に寄与するために、患者は生活史など極めてプライベートな情報も語る場合があるし、患者の価値観を語って医師が勧める治療法を断ることもある。これらの深い個人情報もまた、データ化されて医療情報ネットワーク上には入らないことが患者にとって望ましいし入るべきではない類の、深い医療情報だと言えよう。そして、ここには、どんなにIT化が進んでも変わることのない、医師や看護師等の、個人情報としての医療情報の守秘の義務という倫理的領域があるのである。論の筋としてはナイーヴに見えるかもしれないが、ここには、情報社会の中にあっても、医師はEBMにのみ頼るデータ信奉主義にならないで、対面している生身の患者や家族のプライベートな情報や価値観をも考慮し、医療従事者チームの情報提供をももとにして、総合的に診断を下す倫理的主体であることが前提となっている。患者はそのように見做すから、信頼をしてそうした類の個人情報を隠すことなく提供するのである。医師は患者に、患者は医師に、手段としてだけではなく目的として、人間の尊厳を認め合うことで、そうした類の個人情報としての医療情報の守秘や提供は成立しているのである。以上のことを、研究発表当日は、立場により、また質的にも異なる諸医療情報の具体的概念整理、EBMに対する諸評価の概観、個人情報としての医療情報の管理技術や保護をめぐる具体的な法規制や倫理綱領等のチェックを通じて、検討する。

専門:哲学、応用倫理学(生命倫理、情報倫理)、図書館情報学

所属:東洋大学哲学科


◆2月例会 (第176回総合部会例会)

例会
日時:2009年2月8日(日) 15:00~17:30
会場:東京医科大学 総合情報棟1階 講義演習室

演者:田村京子 氏  (司会: 小山千加代 氏)
演題「Ashley Treatment」をめぐる議論
要旨:
アメリカ・シアトルこども病院において、2004年7月に重
度の身体的知的障害をかかえるAshley X(当時6歳)に対し
て、乳腺芽と子宮の摘出手術が行われ、その後エストロゲン
投与による成長抑制処置が行われた(骨端線閉鎖を起こさせ
て骨が伸びないようにする)。この処置は、2006年10月小児
学会誌に公表され、2007年1月2日に両親がブログで公開し、
その後Los Angels Times他で報道され、さまざまな議論を巻
き起こしたようである。
両親はこれら一連の処置を「Pillow Angel」(重度の身体
的知的障害があり24時間介護を必要とするこどもをこう呼ん
でいる)に対する「Ashley Treatment」と名づけている。
両親はブログに公開した文書のなかで、この「治療」は
AshleyのQOL改善のために行ったものであり、Ashleyに尊厳と
身体的統合性をもたらすものだと主張している。すなわち、
乳腺芽を摘出したのは、Ashleyにとって乳房の発育は車椅子
使用や自動車での移動や入浴等々において不愉快なものとな
るので、それを防ぐために行ったものであり、子宮摘出は生
理痛等による不快感を防ぐためであり、成長抑制は介護を受
けるのに適したサイズに保つためなので、この「治療」は
Ashleyの利益になるというのである。将来罹患しうる乳がん
や子宮がんの予防にもなりうるという理由もあげており、こ
れと同じ発症予防の理由から虫垂も摘出している。
これに対して、両親あてに同じ治療を求める声が寄せられ
ている一方で、批判や反対意見も多い。現在正常な身体にこ
のような処置を行うことは果たして「治療」として許される
のか(エンハンスメント?)、重度障害をもつ子どもに対し
て親はどこまで決定する権利をもつのか、子宮摘出は過去の
優生学的不妊手術と同等のものではないか等に加えて、この
治療を承認した倫理委員会への疑義も出されている。
発表では、この「治療」に関する論文、両親のブログ、法
的観点(ワシントン州法違反)から調査に入ったWashington
Protection& Academy Systemの報告書や、その他のブログか
らの資料を整理し、この「治療」をめぐる議論を紹介するこ
とにしたい。

専門: 倫理学
所属: 昭和大学富士吉田教育部


◆1月例会 (第175回総合部会例会)

例会
日時:2009年1月10日(土) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:松本直通 氏 (司会: 水野俊誠 氏)
演題:ヒトゲノム解析研究に携わって
要旨:
7年間の周産期を中心とする産婦人科臨床の間に、出生前診断
と遺伝カウンセリングに携わった。その後ヒトの遺伝学を深く
理解・追求するために、人類遺伝学を研究する生活に入って早
16年になる。この間、ヒト遺伝性疾患を中心に染色体検査・
遺伝子検査・全ゲノム解析を展開し、いくつかの遺伝性疾患の
原因を明らかにしてきた。そして2009年現在、テクノロジーの
めざましい進歩により個人のゲノムを完全に解読しようという
時代が到来しようとしている(パーソナルゲノム解析)。研究
の遂行における患者やその家族に対する倫理的配慮は今後ます
ます重要になる。本発表では、研究を通してゲノム研究者とし
て感じるいくつかのことを取り上げ意見交換したいと考えている。

専門: 人類遺伝学・ゲノム医学
所属: 横浜市立大学大学院医学研究科


◆12月例会 (第174回総合部会例会)

例会
日時:2008年12月6日(土) 14:00~17:00
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:高山裕 氏 (司会: 棚橋實 氏)
演題価値の序列と人間の尊厳 ~マックス・シェーラーの倫理学から~
要旨:
マックス・シェーラーの価値倫理学から、価値観と価値の序列に関
する問題を解釈することにする。とりわけ、社会問題と医療問題とし
て人間の尊厳に関わる問題へのアプローチとして、シェーラーの著作
『価値の転倒』(Vom Umsturz der Werte)から、逆説的な形で価値序列
の惑乱状態、そこから生じる社会問題(個人心理における消極的な感情、
ルサンティマンや嫉妬などのはたらき)を解釈して、問題を抽出し、明
確化してみたい。そこから人間存在にとって、有用価値-快適価値-生命
価値-精神価値-(聖価値)という諸価値のあり方を再検討することに
よって、シェーラーの主張する諸価値のあり方がいかなるものなのか
を考察することにする。生命価値と精神価値との高低を問題として、
人間存在の尊厳を『宇宙における人間の地位』
(Die Stellung des Menschen im Kosmos)その他のシェーラーの著作
から彼の主張する「人間の尊厳」について再検討する。

専門: 哲学的人間学
所属: 昭和大学診療放射線専門学校 その他


◆11月例会 (第173回総合部会例会)

例会
日時:2008年11月1日(土) 15:00~17:30

会場:東洋大学 2号館3階 第1会議室
演者:冲永隆子 氏 (司会: 岡本天晴 氏)
演題バイオエシックスにおける「生と死の教育」の可能性
――自己決定権と人間の尊厳の対立から――
要旨:

本発表では、従来のバイオエシックス(生命・医療倫理)教育の中で
語られてきた「いのち」をめぐる倫理的ジレンマを中心に、宗教学が社
会に問いかけてきた「いのちの価値」に視点を向けつつ、バイオエシッ
クスが抱える諸問題を今一度問い直してみたい。まず、原理的アプロー
チ(principle-based approach)から、自己決定尊重対人間の尊厳という
対立概念を再考し、次いで、終末期医療に関する教育現場での実態調査
(アンケート調査1、2)結果に基づき、バイオエシックスにおける「生
と死の教育」の可能性を模索したい。拙稿「バイオエシックスと死生ケア
教育の可能性―死の看取り・ターミナル・ケアを中心に」国際宗教研究所編
『現代宗教2007』、秋山書店、277-299頁。

専門: 生命倫理、死生学
所属: 帝京大学医療技術学部


◆10月例会 (第172回総合部会例会)

例会
日時:2008年10月4日(土) 15:00~17:30

会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:福田誠二 氏 (司会: 村松聡 氏)
演題キリスト教神学におけるペルソナ論の源泉
    ――三位一体論とキリスト論の観点から――
要旨:

生命倫理で用いられる「人格」「パーソン」という概念は、本来は、キ
リスト教神学の三位一体論における「父なる神」と「子であるイエス・キ
リストである神」と「聖霊である神」という「三つのペルソナ、persona、
位格」の各々を現す概念であったが、それが近世以降において、「本来は神
に対する概念であるペルソナ概念が無造作に人間に対して適用されてしまっ
た概念」である。キリスト教神学における「ペルソナ概念」にはボエティウ
ス・トマス・カント系の「理性的本性の個的実体(rationalis naturae
individua substantia)」という 定義と、リカルドゥス・スコトゥス系の
「知性的本性の非交流の実存(intellectualis naturae incommunicabilis
exsistentia)」という定義があるが、これらの概念の論拠を詳細に確認し
ながら、本来の「ペルソナ概念」を考察してみたい。

専門: キリスト教神学、キリスト教哲学、キリスト教倫理学
所属: 聖マリアンナ医科大学


◆9月例会(第171回総合部会例会)

例会
日時:2008年9月6日(土) 14:00~17:00

会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:中澤武 氏  (司会: 浅見昇吾 氏)
演題人間としての個人の尊厳
   ――〈人間尊厳の規範〉再考の一視点――
要旨:
我が国では、人間尊厳 (Menschenwürde) の概念がどのような意味で
受容されているのだろうか? その受容史は未開拓の研究分野である。
確かに同概念は国際憲章や各国の憲法に確固たる地位を占め、我が国で
も法規に取り入れられて、法的・倫理的葛藤状況を打開するための指導
理念としての役割を期待されている。反面、特に生命倫理の分野では人
間尊厳の規範的有効性が議論の的となる。同概念を単なるお題目の類と
見なす意見もある。このような懐疑の源は、どこにあるのか? M. H.
ヴェルナーの論文「生命倫理の論議における、人間としての尊厳」(2004)
を手掛かりとして、人間尊厳の規範性の根拠を問う。

専門: 哲学・倫理学・ドイツ18世紀啓蒙研究
所属: 早稲田大学


◆7月例会(第170回総合部会例会)

例会
日時:2008年7月5日(土) 15:00~17:30

会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:本田まり 氏  (司会: 小松楠緒子 氏)
演題妊娠中絶と私生活を尊重される権利
  (ヨーロッパ人権裁判所2007年3月20日判決, no 5410/03,Tysiac c. Pologne)
要旨:
本報告は、女性の生命または健康に危険をもたらす妊娠の事例として、
ヨーロッパ人権裁判所判決を紹介する。
原告となる女性は強度の近視であり、妊娠による視力の悪化を恐れて
医師に中絶を依頼するが、治療的堕胎が認められず、帝王切開により出
産する。その後、原告の視力は悪化し、廃疾(労働不能)者とされた。
原告は、妊娠中絶が許可されなかったことは条約8条等に違反するとして、
ポーランド政府を相手に人権裁判所へ提訴した。
人権裁判所は、妊婦の私生活は胎児と密接に結び付いているので、妊娠
中絶を規制する立法は私生活の領域に関わると指摘する。ポーランドでは、
妊娠が母親の生命または健康に危険をもたらす場合には、合法的に堕胎を
行うことができる。しかし人権裁判所は、治療的堕胎に関して妊婦と医師
ら、または医師ら相互の間で意見の不一致があった場合につき、保健省令
は特別な手続を何も規定していない等として、条約8条違反を認めた。

専門: 比較法(フランス)、民法(医事法・家族法)
所属: 芝浦工業大学


◆6月例会(第169回総合部会例会)

例会
日時:2008年6月7日(土) 14:00~17:00

会場:芝浦工業大学 豊洲校舎研究棟5階 小会議室(大会議室の手前)
演者:山本剛史 氏  (司会: 船木祝 氏)
演題:予防原則の倫理学へ向けて
要旨:
例えば2008年度からEUが施行する化学物質規制「REACH」は、EU域内
で使用されるあらゆる化学物質の安全性の挙証責任を企業側に負わせる
制度である。これは「リオ宣言」が提言する「予防原則」の具体的実践の一
例であり、EU域外への影響も非常に大きいと予想されるが、予防原則自
体の定義はまだ確立していないのが現状である。
予防原則とよく似た主張を展開するのが、ハンス・ヨナスである。将
来世代に対する義務を説くその「未来倫理」は、未来倫理を支える人間
の責任性に関する考察と共に予防原則の本質を照射する。本発表ではま
ず予防原則が求められる現状を化学物質の問題に焦点を当てて整理し、
倫理学において予防原則を語ることの是非を考えてみたい。次に、責任
倫理において予防原則を論じるに当たり、ヨナスの責任論に対して反論
するアーペルの議論を取り上げ、責任概念に関する相互の検証を試みる。
そして、両者の対立を乗り越え、科学技術を用いた集団的行為主体の責
任倫理を打ち立てることがいかにして可能か試論し、議論の糸口とした
い。

専門: 倫理学
所属: 慶應義塾大学


◆5月例会(第168回総合部会例会)

例会
日時:2008年5月10日(土) 14:00~17:00

会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:村松聡 氏  (司会: 江黒忠彦 氏)
演題バルセロナ宣言の挑戦を読み解く
要旨:
EUのプロジェクトの一つである生命・医療第Ⅱプロジェクト「生命倫理と
生命法における基礎倫理的原理」(1995-1998)は、1998年11月、EUのヨー
ロッパ委員会に対して、生命倫理と生命法に関する提言をまとめた。これが、
バルセロナ宣言である。
バルセロナ宣言は、単にEUの生命倫理に関する諮問会議の結果といったも
のではない。それは、英米系の自由主義的な倫理観に対する挑戦という意味を
もっている。ジョージタウンのマントラと呼ばれるボーシャンプとチルドレス
が打ち出した四原則に対して、ヨーロッパは、一線を画した生命倫理観をもつ、
という表明に他ならない。
バルセロナ宣言は、ヨーロッパ諸国二〇名以上の研究者を集めて、今後、生
命倫理の問いへの取り組み方の方向性を示す提案として書かれている。コンセ
ンサスの最大公約数をとった作業でもあり、曖昧さもある。今回は、宣言の目
指す方向性、可能性を探りながら、時に曖昧な包括的概念や表現が何を含意し
ているのか、それを読みとく試みをしてみたい。

専門: 哲学・倫理学
所属: 横浜市立大学


◆4月例会(第167回総合部会例会)

例会
日時:2008年4月6日(日) 16:00~17:30

会場:芝浦工業大学豊洲校舎 研究棟5階
演者:小出泰士 氏  (司会: 山本剛史 氏)
演題自己決定の尊重と人間の尊厳
要旨:
医療現場において、患者が治療や検査を受ける際に、最も基本的かつ重
要な原則の一つが、患者の自由な自己決定の尊重にあることは疑いない。
では次のような場合についても、本人またはその代理人の自由な決定に委
ねるべきだろうか?

①人体実験への参加、代理母への志願、終末期における治療停止、安楽死
②臓器や配偶子(精子、卵)などの提供、売買
③エンハンスメント
④胚、胎児、未成年者、保護下にある成人、死体等、未だ人格ならざるもの、
もしくは、すでに人格ならざるものの扱い

個人の自己決定を優位に置くアメリカ型の倫理においては、他人に危害を
加えさえしなければ、当事者の自己決定に反対する理由はないようにも思
われる。だが、人間の尊厳を優位に置くヨーロッパ型の倫理においては、
必ずしもそうではない。医療倫理における人間の尊厳のポイントは次の点
にある。

①人間の尊厳ということに関して、自分と他人の区別はない
②人体、人体の一部または人体の産物を侵害すれば、人間の尊厳を侵害しな
いわけにはいかない
③人間の尊厳は絶対的価値を有するものであり、時に個人の自由を制約する

医療技術の進歩した現代においては、すべてを本人またはその代理人の自
由な決定に委ねるのではなく、時に人間の尊厳の観点から社会が個人の自由
を制限することもまた必要なのではあるまいか。

専門: 倫理学・生命倫理学
所属: 芝浦工業大学

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