2004年度

◆3月例会(第133回総合部会例会)

例会
日時2005年3月5日(土) 15:00~17:30
会場:芝浦工業大学 本館2階第1会議室
※周辺地図・構内図等は、芝浦工業大学のホームページをごらん下さい。
→(案内図)

【発表内容】
演者:村松 聡(むらまつ あきら)氏

演題:ヒト胚の取り扱い方に関して、問題は何か

要旨
昨年6月、総合科学技術会議・生命倫理専門調査会は、「ヒト胚の取り扱い方
に関する基本的考え方」を提示し、基礎的研究のためのヒト・クローン胚作成
を認める方向を国として打ち出した。
ES細胞から形成されたニューロンがパーキンソン病の症状を軽減し、筋萎縮性
側索硬化症にまで有効であると聞くと、難病に悩む人々に福音をもたらす研究
に喝采を送りたくなるのが人情である。一方、ヒト胚は成長すれば人間になる
から、「人の生命の萌芽」を材料にしてよいのだろうか、と倫理的な負荷と不
安を感じる。漠然とした倫理的不安と、再生医療の目覚しい成果の間で揺れる。
これが、ヒト胚を巡る私たちの一般的な反応と言ってよいだろう。
しかし、ヒト胚の取り扱いで直面する問いは、「人の生命の萌芽」を目の前に
した多少の倫理的負荷感と、科学による恩恵の間の相克などといった単純なも
のではない。ヒト胚問題が突きつける問いは、以下のような多様な次元に応じ
て、その広がりと深さをもつことになる。
1) ヒト胚に関する法と倫理の関係の問題。
2) ES細胞の研究に関わる社会政策的問題。
3) 科学がもつ固有のダイナミズムと倫理的判断の関係の問題。
4) ヒト胚を人間やヒトとみるか、あるいは単なる細胞とみるか、人間観の問
題。
5) 功利主義的な姿勢をとるか、人間の尊厳に重きをおくか、根本的な倫理観
の問題。
6) ヒト胚問題の背景にある社会的あるいは文化的精神風土の問題。
7) ヒト胚を作成し使用する際の安全性などの技術的問題。
これだけの錯綜した問題を、抱えている。今回は、こういった問題の広がりと
深さがどこまで及ぶか、指摘し、「ヒト胚の取り扱い方に関する基本的考え
方」の不充分さ、問題点を明らかにしたい。同時に、ヒト胚の取り扱いをめぐ
る議論の状況から、現在取りうる具体的な対処がどういうものでありうるか、
述べたい。

専門:哲学、生命倫理
所属:横浜国立大学他、非常勤講師

◆2月例会(第132回総合部会例会)

例会
日時2005年2月6日(日) 15:30~17:30
会場:芝浦工業大学 アネックスの3階第4(A)
※いつもとは違い、道を隔てた外のビルです。
いつもの正門玄関の右手の横断歩道を渡ってすぐ。道路に面しています。
※周辺地図・構内図等は、芝浦工業大学のホームページをごらん下さい。
→(案内図)

【発表内容】
演者:岩倉 孝明(いわくら たかあき)氏
(司会:金子雅彦氏)
演題:医療事故に伏在する倫理的問題

要旨
医療事故はあとを絶たず、報道は毎日のようにくり返されている。
しかしこうした報道を含めて、医療事故の原因は、特定の人の不
注意等といった事故の直接的原因のみをクローズアップする傾向
がある。だがこうした事故の発生する背景にある問題を明らかに
しなければ、医療事故の効果的な防止を図ることは困難である。
このような事故の間接的原因(条件)となっている問題としては、
事故発生・防止の「いかに」をめぐる技術的・方法的問題ととも
に、そうした医療業務を導いている倫理にかかわる問題を考える
ことも必要である。

この発表では、医療事故をめぐる倫理的問題について、基本的な
事項・問題を確認し、さらにその背景となっている問題を考えて
みたい。すなわち、医療事故の防止、発生時の対応その他につい
て、どのよう倫理的誤りがおかされているかという問題、また、
そうした誤りを発生させやすい医療現場の環境ないし倫理観等の
問題は、どのようなものか。こうした問題についての議論を紹介
し、考察してみたい。

所属:川崎市立看護短期大学

◆1月例会(第131回総合部会例会)

例会
日時2005年1月8日(日) 14:00~17:00
会場:日本医科大学 5号館4階 第一講堂(エレベーターの正面)
※地下鉄南北線「東大前」下車、徒歩約10分
※千代田線「千駄木」又は「根津」下車、徒歩約10分
※周辺地図・構内図等は、日本医大のホームページをごらん下さい。
http://www.nms.ac.jp/

【発表内容】
演者:北澤 恒人(きたざわ つねと)氏
(司会:柳堀素雅子氏)
演題:ジョン・ロックにおける自己所有とその根拠としての人格の概念について

要旨
バイオエシックス運動の中で自律、自己決定の思想は、その出発点であり到
達点であるとされてきた。その前提となっているのが自己所有という考え方であ
る。しかし、バイオエシックスが見直されるなかで、早くから自己所有という考え
方に対する異論が出されてきたし、最近では『自己決定権は幻想である』(小松
美彦)という主張もなされている。このような論点について考えてゆくために、英
米の倫理思想の源流の中でもっとも重要な思想家であるジョン・ロックの議論を
再検討してみたい。マイケル・トゥーリーの嬰児の「パーソン」論が出てから、パー
ソン論は線引きの論理として有名になった。だが、ロックの議論では「法廷用語」
として線引きするためにパーソンが規定されるだけではない。彼の『統治論』では、
自己所有の議論から財産所有が基礎づけられている。この論理を逆にパーソン概
念に適用することで、たんなる線引きの論理とは異なるパーソンの概念を考えるこ
とができるのではないか。このような観点から、ロックの議論を整理して、検討して
いただこうと考えている。

参考文献
・ジョン・ロック『人間知性論』第2巻第27章、『統治論』
・森村進『権利と人格』創文社、同『財産権の理論』弘文堂

所属:大東文化大学

◆12月例会(第130回総合部会例会)

例会
日時2004年12月5日(日) 15:00~17:30
会場:芝浦工業大学芝浦キャンパス 本館2階第1会議室
※JR山手線・京浜東北線・田町駅東口より徒歩3分
※都営三田線三田駅より徒歩5分
※周辺地図・構内図等は、芝浦工大のホームページをごらん下さい。
http://www.shibaura-it.ac.jp/access/index.html

【発表内容】
演者:上見幸司(かみ こうじ) 氏
(司会:岡本天晴氏)
演題:医療事故の教訓から学ぶ医療倫理
――医療の質の確保に向けた医療従事者の倫理的態度――
要旨
今、日本の医療は岐路にある。その分岐点の一つが昨今、連日のように報道される医
療事故であり、日本の医療が抱えた問題の多くが関わっていることから、日本の医療
全体を根本的に考え直す契機となっている。その具体的な課題の一つが医療倫理、つ
まり個人と病院の行動規範(moral)の構築にある。
ただし、ここで言うところの医療倫理は、単に心の中の思索の言語化だけではなく、
病院で組織だって合意を形成する手続きと、その成果の発露に焦点を定めた実践的な
活動のことである。
となれば、具体的な“失敗”の教訓から学ぶ謙虚さと真摯さが必須である。実際の医
療事故は医療従事者の連携のミス、誤認、医療水準の問題、手続きの不備、医療に対
する認識の食い違いなど、さまざまな要因が絡み合いながら発生する。その結果に
は、被害者には憎しみ、恨みなどの感情が沸き起こり、失敗の当事者には後悔が残
る。これらの問題を解決するためには調査、説明、謝罪、法廷での争いや調停、金銭
さえ絡む。
そこで実際に発生した(あるいは土俵際で食い止められた)具体的な“失敗”の教訓
に目を向けてみると、それらのほとんどに、その事故を構成する諸要素が人的要因と
絡み合っていることが指摘できる。しかも、その要素は①人間の傾性、②組織システ
ムの設計の不完全性、③防護装置の設計の不完全性という、生々しい要因である。ま
さにヒューマン・エラーであり、組織のエラーと呼ぶに相応しい。
その意味では、医療者は、医療の質を高めるための不断の努力と同時に、自分を守る
ことも考えなければならない。これは責任逃れをすることではない。医療の安全に常
に留意し、適切な手続きを怠らないことに配慮した医療専門職業人であると同時に病
院の組織人としての行動規範、すなわち質の高い安全医療を提供する当事者であるこ
とに、あらためて“誓いをたてる(profes)”ことを意味しているのである。
具体的には病院全体で成文化した行動規範を作成してシステム設計を図り、これを徹
底的に遵守し、制度や運営上の取り決めによって、国民の医療サービスに対する忖度
に応える。その基本的な態度(morale)形成こそ、医療の質の確保の方策を策出する
医療倫理の道標である。なお当日は、これらの問題を中心に発表する。

所属:常磐(ときわ)大学大学院人間科学研究科教授

◆11月例会(第129回総合部会例会)

例会

日時2004年11月6日(土) 14:30~17:00
会場:東洋大学甫水会館2階204号室
※地下鉄三田線白山駅「A3」出口より徒歩5分
※地下鉄南北線本駒込駅「A3」出口より徒歩8分
※周辺地図・構内図等は、昭和大学のホームページをごらん下さい。
http://hirc21.soc.toyo.ac.jp/images/img_map.gif
【発表内容】
演者:長島 隆(ながしま たかし) 氏
(司会:棚橋實氏)
演題:工科系大学における生命倫理、工学倫理教育について
要旨:現在工業大学、あるいは総合大学工学部において「Jabee対応」のカリキュ
ラム改変が進んでいる。Jabeeとは「国際技術者資格」である。これは国際的に通用
する技術者に関する資格制度がアメリカを中心にして存在しており、その資格を取得
する前提となる大学の課程カリキュラムを修了したことを保証する制度である。
とりわけ、現在日本で進行している事態は、この制度を基準にして、これまでの日
本の工学部のカリキュラムなど教育が根本的に国際的に通用しないという認識に基づ
き、日本の工学教育の根本的な底上げを行おうとする事態である。われわれにとって
も、この事態が無縁でないのは、このカリキュラムの中に、「工学倫理」ないしは
「技術者倫理」というような人文系の科目の必修化などがあり、われわれ哲学、倫理
学者もまた課題を投げかけられている状況にあることである。
日本のこの10数年の大学の歩みの中で見るならば、この事態は「大学設置基準の大
綱化」以後進行した事態が、根本的に「国際化の時代」にあって、逆行する歩みを遂
げてしまったことを示している。これは、なにも工学系大学ばかりではなく、社会科
学系大学でもまた同様である。
それではもう一度「大綱化以前に戻ること」が問題かといえば、そうではない。む
しろかつて教養、あるいは一般教育課目と言われたものがそれぞれの分野で「専門科
目」として復活したことである。つまり、専門課程でそれぞれの専門知識と問題意識
を持っている学生を対象としてその水準でわれわれが議論を展開することを要求して
いると言わなければならない。
この事態は、われわれのような人文社会系の研究者にとって追い風であるばかりで
はなく、われわれのあり方そのものに根本的な反省を要求するものである。それと同
時に、かつて医療系大学で進行した事態を再現する事態でもあるように思われる。つ
まり、「生命倫理」「医療倫理」が医療系大学で結局「医療」にかかわるがゆえに、
「医療の専門家」が「生命倫理」「医療倫理」も教えるべきだとして進行した事態で
ある。そして今看護系でも進行している事態である。
ここには、われわれ人文社会系の研究者にかかわる問題があるとともに、それぞれ
の分野の専門家と称する人たちの「専門性」に関するでたらめさ加減が存在するとい
わねばならない。

所属:東洋大学

◆10月例会(第128回総合部会例会)

例会
日時2004年10月3日(日) 14:30~17:00
会場:昭和大学旗の台校舎 2号館4階 大学院セミナー室
※東急大井町線・池上線「旗の台」駅より徒歩5分
※東急目黒線「洗足」駅より徒歩10分
※周辺地図・構内図等は、昭和大学のホームページをごらん下さい。
http://www.showa-u.ac.jp/univinfo/univinfo0105.html

【発表内容】
演者:一戸 真子(いちのへ しんこ) 氏
(司会:宮下浩明氏)
演題:医療の質と患者中心の医療
要旨
昨今の医療事故報道の多さも多分に影響し、わが国における医療の中心課題は「患
者中心の医療」、「患者の安全の確保」となっている。なぜ今改めて患者中心の医療
なのか、なぜ医療事故問題が患者中心の医療と関係しているのか。それはまぎれもな
く、医療事故の結果が患者に重大な影響を与えるからであろう。言い換えれば、医療
におけるアウトカムが死亡、後遺症など多くの場合、患者が直接的に犠牲となるから
である。医療事故を類型別に見ると、患者誤認、ベッドや車椅子からの転倒・転落、
与薬・点滴ミスなどさまざまな医療のプロセスにおいて発生している。
医療における一連のプロセスにおいて、患者が医療事故の予防に貢献すべく「参
加」できる部分はないのだろうか。ひとたび確定診断がなされると、患者自身はベル
トコンベア式に治療プロセスに乗せられる。医療現場では、パスを積極的に活用する
ことにより診療プロセスの標準化が進められており、患者用のパスで積極的な患者参
加を促している病院もある。訴訟になった医療事故の中には、乳房の左右取り違え
や、同姓同名による点滴間違いなど、きわめて臨床的判断が難しい事故ではなく、さ
まざまなプロセスの中で幾重にもリスクが重なって生じているものが見受けられる。
これらのプロセスにおいて、患者自身に意思決定能力がある場合、もしない場合には
家族または代理人が、リスク軽減に貢献できることがあるように思われる。ある程度
自身の病気についての知識があれば、今日の薬はなぜ飲むのか、何錠か、今日は検査
のある日かどうかなどかなりの部分に患者自らが参加可能であると思われる。また、
末期医療においては患者の意思が最大限尊重されるべきであることは言うまでもな
い。
しかし、ここで一つ考えなければならないことがあると思われる。救急を含む急性
期においては、多くの場合患者が正常な意思決定能力を保持しているとは考えがたい
のである。発表者自らも急性期で入院経験があるが、しばらくは自らの身体について
はどうすることもできる状態ではなく、ただただ今自分がいる病院のヘルスケアシス
テムをすべて信頼し、目の前にいる医師を信頼し、ステーションにいるナース達を信
頼するしかなかった。医療従事者にとっては、多くの患者の中の一人であっても、多
くの命の中の一つであっても、患者や家族にとっては、医療従事者は自らの病気を治
療してくれる、命を助けてくれるかけがえのない存在なのである。このような意味か
らすると、医療事故防止については、職員教育や勤務体系、医療機器の安全性の確保
なども含めて、医療従事者サイドは早急に全力をあげてトータル的にリスクマネジメ
ントに取り組み、患者が「安心」して療養に専念できる医療環境を整える必要がある
と思われる。
以上のようにさまざまな医療の場面ごとに患者中心の医療を真剣に検討していくこ
とが現在求められており、そのことが医療の質の向上につながると考える。

基本文献:共著 「福祉国家の医療改革」三重野卓・近藤克則編 東信堂 2003年
所属:上武大学看護学部 医療管理学講座

◆9月例会(第127回総合部会例会)

例会
日時2004年9月5日(日) 14:00~18:00
会場:昭和大学旗の台校舎 1号館5階 会議室
※東急大井町線・池上線「旗の台」駅より徒歩5分
※東急目黒線「洗足」駅より徒歩10分
※周辺地図・構内図等は、昭和大学のホームページをごらん下さい。
http://www.showa-u.ac.jp/univinfo/univinfo0105.html

【発表内容】
1.
演者:奈良雅俊 氏
演題:胎児に尊厳はあるか?
要旨
人工妊娠中絶について男性は何を語ることができるのか、そして何を語ること
ができないのか?欧米においては、中絶の是非をめぐる従来の議論の限界がフェミニ
ストたちによって指摘されている。たとえば、Sherwin〔1992〕は、従来の議論が、
胎児の道徳的地位という非常に抽象的な問いを中心に展開されてきたことを批判して
いる。女性の身体や人生、そして女性を取り巻く社会的政治的制度と無関係に、言い
換えればジェンダーに中立な仕方で中絶問題を考察することなどできない、というの
である。たしかに、従来のいわゆる男性中心主義的な考察が何を覆い隠してしまうか
に注目することは有益であろう。そうした観点からすれば、中絶の倫理的問題とは、
生殖に関して“誰が決めるべきか”であると言うこともできるだろう。しかし、女性
を取り囲むより広いコンテクストの中に中絶を位置づけたとしても、それでもなお、
女性にとって胎児は何ものなのかを問うことは依然として重要であるように思われ
る。やむにやまれぬ理由からなされる中絶においても、胎児とは女性にとってすでに
何者かであるのではないか。
胎児は女性の身体の一部なのか、それとも他者の出現なのかについて男性が語ること
はできないだろう。しかし、もし女性と男性パートナーとの関係が女性と胎児との関
係に何らかの影響を与えることがあるのだとすれば、男性はそのことについてなら語
ることができるかもしれない。そしてその限りで、胎児の道徳的地位を問い、その尊
厳に応じた扱いを語ることができるように思われる。
届出だけでも年間34万件もの中絶が実施されているという現実がある。この数字が物
語るのは、プロチョイスの思想が浸透しているということでも、また胎児の生命権や
尊厳が軽視されているというわけでもないだろう。そこにはプロチョイス対プロライ
フという二項対立で括りきれない日本的な現実が存在しているのだろう。私は、当事
者たちと胎児の間の関係性の濃淡に依拠する線引き論が展開されているのではないか
と考えている。そのように仮定した上で、私は、胎児の地位が「人でも物でもない第
三の存在」であったとしても、胎児に対してはその地位に対応した何らかの道徳的配
慮がなされねばならないと考える。そして、その根拠として、人に適用される「尊
厳」に準ずる概念を考えている。(以上)
所属:東京大学大学院医学系研究科

2.
演者:蔵田伸雄氏
(司会:青木茂氏)
演題:遺伝情報と人権-ユネスコ「ヒト遺伝データ国際宣言」について
要旨
2003年10月16日、ユネスコ総会で「ヒト遺伝データ国際宣言」が採択された。
この宣言は1997年にユネスコで採択された、「ヒトゲノムと人権に関する世界宣言」
の内容を具体化したものである。
この宣言は、個人遺伝情報の適切な取り扱いを各国政府や関係諸機関に求めてお
り、各国政府にとっては、遺伝データの保護のためにとるべき政策や必要な法規制の
ための指針となるものである。
全27条から構成されるこの宣言は、人の遺伝データを収集、処理、使用、保存する
際には、平等・正義・連帯を守ること、そして人権、人の尊厳、基本的自由を保護す
ることを求めている。また遺伝データは診断や医学研究のためにだけ集めることがで
き、差別を意図したデータ収集を行ってはならないとされている。
この宣言は、国家には個人の遺伝データを保護する義務があるとしている。主な内
容は以下のとおりである。

・遺伝データの収集が許されるのは、本人の診断と診療、 医学 研究、親子鑑定、
犯罪捜査等を目的とする場合に限られる。
・雇用者などの第三者や、家族に個人の遺伝データをむやみに開示してはならない。
・倫理委員会の設置。
・遺伝データの収集と保存のためには、本人の事前の同意が必要。
・収集された遺伝データの「匿名化」。
・遺伝データに本人がアクセスできる権利、検査結果を「知らないでいる権利」の保
証。
・検査・研究の際の遺伝カウンセリングの義務づけ。

また各国政府は、研究者や市民に対する倫理教育・研修・情報提供を行わなければ
ならないとされている。さらに遺伝データやサンプルが国境を越えて移動することも
多いので、そのような移動の規制の必要性についても述べられている。
この宣言の基礎にあるのは、遺伝情報に基づく差別を禁じた「ヒトゲノムと人権に
関する世界宣言」であり、さらに世界人権宣言である。世界人権宣言の第一条には、
すべての人間は権利につ
いて平等であると述べられており、また第二条はいかなる事由による差別を受けるこ
ともあってはならないとされている。そのため遺伝データによる差別もまた許されて
はならないのである。
今回の発表では、以上のようなヒト遺伝データ国際宣言の内容を踏まえて、個人遺
伝情報と人権との関連について、改めて考えてみたい。

なおこの宣言の本文のURLは以下のとおり。
http://unesdoc.unesco.org/images/0013/001312/131204e.pdf

所属:北海道大学大学院文学研究科助教授(倫理学講座)

◆7月例会(第126回総合部会例会)

例会
日時2004年7月3日(土) 14:30~17:30
会場:芝浦工大 本館2階第1会議室
※JR山手線・京浜東北線・田町駅東口より徒歩3分
※周辺地図・構内図等は、昭和大学のホームページをごらん下さい。
http://www.shibaura-it.ac.jp/access/index.html

【発表内容】
演者:齋藤 有紀子(さいとう ゆきこ)氏
(司会:浜田正 氏)
演題:人工妊娠中絶をめぐる医療・倫理・制度
要旨
いま、さまざまな医療倫理の問題が人工妊娠中絶とつながっている。
今回の報告では、生殖補助医療・出生前診断・再生医療・臓器移植など、
現代的倫理課題とされているものが、中絶(あるいは受精卵をはじめとする
ヒト生命の萌芽の滅失)の問題とつながっていること、具体的には、多胎妊
娠に伴う減数手術、凍結胚の廃棄、障害胎児の選択的中絶、廃棄予定胚のE
S細胞研究利用、中絶胎児の幹細胞研究利用など、研究者も社会も「倫理的
に問題である」という言葉で思考停止し、審議会においても正面から向き合
われることなく先送りにされてきた問題について、状況の整理と問題提起を
行ないたい。
議論が先送りされがちなのは、人工妊娠中絶の議論自体がタブーであるこ
とに加え、さまざまな技術の関係当事者とその利害関係が多岐にわたり、収
拾困難と考えられていること、そもそも中絶に関する制度である堕胎罪と母
体保護法が、双方の法の意義・意味を希薄にし、私達の社会の規範を分かり
にくくしていること、中絶を議論することで「利益」を得る当事者がほとん
ど存在しないこと、が理由として考えられる。
また、妊娠経験者のうち43%が中絶経験者(NHK調査)、年間33万件以
上の中絶が行なわれている(母体保護統計報告)という日本の現状で、多く
の人にとって、中絶は、実はとても身近で語りにくい問題であることも、こ
の込みいった問題に粘り強く取りくみ、急速に変化する現代医療への提言に
つなげる作業から人々を遠ざけているようにみえる。
しかし、もはやいつまでも中絶の議論を先送りしたまま「生命倫理」「医
療倫理」の問題は語れないだろう。今回、医学哲学・倫理学会の皆さまと、
率直な意見交換をさせていただければと思っている。

基本文献 齋藤有紀子編著「母体保護法とわたしたち」明石書店2002
齋藤有紀子「女性・胎児・障害者の対立を越えて
-出生前検査の関係を読み解く-」助産婦雑誌 1999
齋藤有紀子「選択的中絶と法」法哲学年報 1997
所  属 北里大学医学部医学原論研究部門専任講師
専  門 法哲学・生命倫理

◆6月例会(第125回総合部会例会)

例会
日時2004年6月6日(日) 14:30~17:30
会場:昭和大学旗の台校舎 2号館4階 大学院セミナー室
※東急大井町線・池上線「旗の台」駅より徒歩5分
※東急目黒線「洗足」駅より徒歩10分
※周辺地図・構内図等は、昭和大学のホームページをごらん下さい。
http://www.showa-u.ac.jp/univinfo/univinfo0105.html

【発表内容】
演者:丸本 百合子(まるもと ゆりこ)氏
(司会:冲永 隆子 氏)
演題:中絶論争の行方
要旨
生殖テクノロジーの「進歩」によって、生命倫理は、いまさまざまな課題を
つきつけられているが、この議論はさかのぼれば、古くから続いてきて、未だ
決着を見ない中絶論争に行き着く。人工妊娠中絶に対するさまざまな論議を、
法律、文化、身体論、フェミニズム、優生思想、人口問題、リプロダクティブ
・ヘルス/ライツなどとの関係から整理してみた。特に生命論は、社会文化宗
教的風土によって、異なるものがあり、その点、日本とアメリカの中絶論争の
差異を見てゆくと、浮き彫りになってくるものがある。
もともと生命やからだのことは、法律や契約になじまないのではないか。法
律ですべてを決着つけようとすれば、「胎児の権利」と「女性の権利」が衝突
する論争が、果てしなく平行線をたどる。それに対して我が国では「権利」と
いうことを曖昧にしたまま、現状では中絶に支障がないような「逃げ道」が作
られている。
すなわち日本では、堕胎罪が存在していて法的には原則禁止になっているも
のの、実際の施行状況は緩やかである。しかし、中絶をする女性たちには「後
ろめたさ」がつきまとう。それに対して米国では1973年の連邦最高裁の判決以
後、中絶は女性のプライバシー権とされながら、実際の施行状況は困難な状況
にある。日本では普通の産婦人科診療所が医療の一環として行っているが、米
国ではもっぱら中絶だけにたずさわるクリニックが、テロの危険に脅かされな
がら行っている。
また、障害胎児に対する考え方の差もある。日本の、中絶合法化を訴える
フェミニストグループは、選択的中絶や減数中絶、出生前診断、受精卵診断な
どには否定的な立場をとるのに対して、欧米のフェミニストは、それらも女性
の権利と主張する。そこに文化的な生命観・身体観の差があるのだろう。
女性のからだ・生殖機能が、人口政策の手段として使われてきたことへの批
判を受けて、国連は、カイロ国際人口・開発会議(1994年)以後、リプロダク
ティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖における健康/権利)を行動計画に打ち出し
ている。1995年の第四回世界女性会議で採択された北京行動綱領、106項kにも
「違法な妊娠中絶を受けた女性に対する懲罰措置を含んでいる法律の再検討を
考慮すること。」とあるが、近年ではこういった国際的な女性の人権の確立と
尊重という潮流に反対する、バックラッシュも起こっている。

所属:百合レディスクリニック院長
ホームページ:http://www2.odn.ne.jp/yuricl

◆5月例会(第124回総合部会例会)

例会
日時2004年5月8日(土) 14:00~17:30
会場:東洋大学白山校舎 2号館3階 第1会議室
※都営三田線「白山」駅下車5分
※周辺地図・構内図等は、東洋大学のホームページをごらん下さい。
http://www.toyo.ac.jp/

【発表内容】
演者:清水 良昭(しみず よしあき)氏
(司会:岸本 良彦 氏)
演題:コア・カリキュラムに基づいた歯学部における医療倫理教育
要旨
医学,歯学におけるコア・カリキュラムが平成13年に文部科学省より通達された.
このコア・カリキュラムは,臨床実習において学生が患者にさわれるための履修内容
を示しており,医師,歯科医師の仮免許的役割を担っている.その中に医療倫理に関
する項目が組み込まれている.つまり,実際に患者にふれるためには技術的な面ばか
りではなく,患者の権利,インフォームド・コンセントなど倫理的側面も履修してい
なければならないことを意味している.
今回は歯学部におけるコア・カリキュラムに注目し,医療倫理教育の現状およびこ
れからの課題について問題提起を行いたい.現在歯学部における歯学教育は4年生ま
ででほぼ基礎,臨床科目は一通り終了し,5,6年生で実際の臨床実習および歯科医
師国家試験対策が行われている.そして,平成17年から本格実施される歯学共用試験
(CBT,OSCE)は4年生終了学生を対象として,臨床実習に進むための国家試験の予
備試験として位置づけられている.この歯学共用試験に合格しなければ臨床実習を行
うことができないのである.以上のコア・カリキュラム,歯科医師国家試験出題基準
および歯学共用試験を考えた時,医療倫理教育は必須の教育項目であることが理解で
きる.
ではその教育システムはどのようにしたらよいのだろうか.少なくとも1,2,
4,5,6年生においては行われなければならない教育であると思われる.その内容
は1,2年生では生命医倫理の基本的事項を,倫理学や哲学の専門家が教育する.4
年生では歯学共用試験を鑑み,医療倫理つまり臨床倫理を歯学の専門家が教育する.
5,6年生では国家試験対策のため,実際の臨床例にあてはめたケーススタディー教
育が歯学の専門家により行われることが必要であると考えられる.
しかし,現在の歯学教育では,倫理学や哲学の専門家による生命倫理の基本的事項
の教育に留まり,歯学の専門家による臨床倫理,ケーススタディー教育は行われてい
ないのが現状である.そこで今回,国家試験に出題された問題を閲覧し,これからの
医療倫理教育のあり方について議論できれば幸いである.

参考文献:21世紀における医学・歯学教育の改善方策について -学部教育の再構築
にために-.医学・歯学教育の在り方に関する調査研究協力者会議.文部科学省.

演者略歴:
1984年 城西歯科大学(現明海大学歯学部)卒業
1988年 城西歯科大学(現明海大学歯学部)大学院卒業 歯学博士
1988年 明海大学歯学部助手(小児歯科学)
1999年 明海大学歯学部講師(口腔衛生学)
現 在 明海大学歯学部口腔衛生学講座講師
明海大学病院障害者・地域連携ケアセンター医局長
研究課題:口腔衛生学
障害者歯科学
摂食・嚥下リハビリテーション学

◆4月例会(第123回総合部会例会)/ 2004年度支部総会のご案内
当日は月例会のほか、支部の総会が開催されます。

11:00~12:00 大会実行委員会
12:00~13:55 運営委員会
14:05~16:00 総合部会例会
16:10~17:40 総会

例会
日時2004年4月3日(土) 14:05~16:00
場所:東洋大学白山校舎 1号館3階 1301番教室
※都営三田線「白山」駅下車5分

【発表内容】
演者:尾崎 恭一(おざき きょういち)氏
(司会:櫻井 弘木(さくらい ひろしげ)氏
演題:「ドイツにおける医師介助自殺論議―法の前提としての道徳律と人間の尊厳―」
要旨
はじめに 自殺幇助における「人間の尊厳」理解の対立
1.自殺幇助の許容刑法下における禁止問題―ドイツ安楽死・自殺幇助論議の理念問題
2.自殺及び自殺関与に対する法規制と裁判―道徳的否認論から自己決定尊重論へ
3.医師会による自殺幇助禁止―医師のエートスを支えるものとしての「人間の尊厳」
4.法学者による解禁案―自己決定権の根拠としての「人間の尊厳」
5.人道死協会案―道徳律と「個人の尊厳」としての「人間の尊厳」
むすび 「人間の尊厳」理解をめぐる「個人の尊厳」・「生命の尊厳」対立

総会
日時2004年4月3日(土) 16:10~17:40
場所:東洋大学白山校舎 1号館3階 1301番教室
議題
1.入退会審査・会費納入状況報告
2.会計報告
3.2004年度総合部会の予定
・年間テーマ
・発表者(演者)
4.全国大会の準備状況等に関して
5.公開講座に関して
6.その他

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