2013年度の年間テーマ:
再生医療における哲学的・倫理的・法的問題
◆3月例会(第232回総合部会例会)
日時:3月2日(土) 15:00~17:30 会場:上智大学 2号館6階ドイツ語学科会議室
演者:山本 剛史 氏 演題:「オイコスの倫理学へ -ヨナス責任倫理学の形成-」
所属:慶應義塾大学
要旨:ハンス・ヨナスが晩年、あるインタビューで「私は、自分を経済学の専門家と偽ったことは一度もなくて…」と釈明する場面がある。確かに、ヨナスは経済学者ではなかった。しかし、『責任という原理』が科学技術をある程度以上の規模の集団で用いる場合の帰趨を問題にしている以上、ヨナスの倫理学は経済と無縁ではありえない。1960年代後半はヨナスが自然哲学から倫理学へと大きく舵を切る時期である。「社会‐経済的認識と目標に関する無知」(1969年)は、ヨナスが親しい同僚であるアドルフ・ローの経済学を批判すると同時に、自らの自然哲学に基づいて経済学が本質的に規範的性格を持ち得るし、持つべきだと主張した論文である。そこでヨナスは初めて、「あなたの行為の影響が経済体制の永続性と両立しうるように行為せよ。」という形で責任を新しい定言命法として定式化したのだった。ヨナスの自然哲学によれば、生命を外から俯瞰する場合、新陳代謝の過程は古い物質を新しい物質が置換することに過ぎない。そこに見られる自己同一性は見かけだけのものである。しかし、私たち一人一人の自己同一性は生活の中で見て、聞いて、触れて、食べて、排泄してという身体経験に基づいて自覚される。また、新陳代謝による自己同一性の確保は生命の基本的な自己肯定を表している。ヨナスはこの自己肯定の承認が経済学の暗黙の約束である以上、経済学は価値自由的でありえないとする。 しかしヨナス曰く、このことだけでは、経済学独自の規範性を完全に審らかにするには至らない。子を産むことが、経済の領域に子孫、さらには未だ生まれぬ後代の子たちへと無限の広がりをもたらす。つまり、経済学は単に自らの生の肯定だけでなく、後代の子たちの生の肯定も対象とする。私と共に生きる人々の生の肯定は、ギブアンドテイクによって互いの自己肯定へと還元され得る。しかし後代の子たちから利益を得られる人はいないがゆえに、現在世代による無私の責任の領域が開かれる。この「責任」は産む者の責任である。ならば、このように経済の領域に定位することは、「死」を通して己の良心に導かれる生きざまに対する一つの批判になってくるのではないか。『責任という原理』を、その原型というべき論文と重ね合わせて読むことによって見えてくるものを論じたいと思う。
参加費:300円
◆2月例会(第231回総合部会例会)
日時:2月9日(日) 15:00~17:30 会場:昭和大学12号館2Fカンファランスルーム3号室
アクセス:東急池上線「旗の台」駅東口下車。旗の台駅を降りて、中原街道を渡り、三井住友銀行の左側の 道を入ってまっすぐいくと大学校舎があります。 12号館は入って右側にありますが、わかりにくいので、 門近くの守衛さんにたずねるか校内の地図をみてください。 案内は出しません。駅から5~6分かかります。
演者:尾崎恭一 氏 演題:「光田健輔における、ハンセン病をめぐる差別と救済」
所属:埼玉学園大学
要旨:近現代日本のハンセン病政策は、患者の人権を不当に侵害するものであった。このことがハンセン病補償法(2001)前文において確認されている。この政策を当初から長く主導し続けたのは、いわゆる「療養所学派」の中心人物であり「ライ患者の救済をはじめライ予防法制定などにつくした功績」によって文化勲章(1951)を受章した光田健輔(1876-1964)である。しかし、その功罪はいまだに明確になっているとはいえない。
一 方で、光田は、国際的に任意隔離・相対隔離が主流であったときに強制隔離・絶対隔離の立法や諸政策を主導し、断種手術を開発し普及させ、裁判によらない園 長の懲戒検束権を制定させ行使したなどとして、厳しく批判されている。他方で、ハンセン病関連法が人権侵害の法として廃止され、その違憲性ゆえの患者賠償 の判決が下り、首相が謝罪し国会が補償立法を行った後でも、なお元患者数十名が「患者一人ひとりを本当に気遣ってくれた」と感謝の墓参りをし、彼の故郷の 名誉市民の称号は彼の「業績は不動」だとして維持され、胸像も各地に存続している。問題の隔離政策は「時代としてやむを得なかった」というのである。
そして、この補償立法をさせることになった裁判の判決でも、国のハンセン病政策の違憲性が彼の退官より3年後の1960年以降について断罪されただけなのである。
そ もそも、医療(政策)選択の際に、社会の利益と患者の利益の関係が社会防衛と人権尊重の問題などとして厳しく相克する場合、公正なバランスをとることが重 要課題となる。そして、この課題の検討に際して前提となるのは、選ぶべき医療(政策)の科学的に正確な評価である。問題は、この評価に対して医療推進者側 の精神的あるいは物質的な利益によってバイアスがかかることであろう。このバイアスによっては、自らの生きがいとして、患者への献身と信じつつ独善的な理 想を強制することにもなりかねない。こうした視点から、光田の主導したハンセン病政策の再検討を試みたい。(参考資料として、<ハンセン病の説明>や<近 現代日本のハンセン病関連年表>も持参します。レジュメ遅延を深くお詫び申し上げます。)
参加費:300円
◆1月例会(第230回総合部会例会)
日時:1月11日(土) 15:00~17:30 会場:上智大学 2号館6階ドイツ語学科会議室
演者:関沢 明彦 氏 演題:「母体血胎児染色体検査(NIPT)の現状と倫理的な問題について」
所属:昭和大学医学部産婦人科学講座 専門:周産期医学
要旨:近年出産の高年齢化が著しいスピードで進んでいる。35歳以上の分娩は全分娩の25%を占め、40歳以上の分娩も年間3万5千件を超えている。当然、ダウン症候群をはじめとする染色体疾患を心配し、出生前診断を希望する妊婦数も増加している。国内での羊水検査などの確定検査実施数(2012年)は22000件(推定)、母体血清マーカー検査は22000件(推定)で増加傾向にあるが、超音波マーカー検査の実態は分かっていない。この実施数は諸外国に比較すると極めて少ない状況にあるが、これに影響しているのが1999年厚生科学審議会先端医療技術評価部会の「医師は妊婦に対して母体血清マーカー検査の情報を積極的に知らせる必要はなく、本検査を勧めるべきではない」との見解である。この見解が出されて以降、社会の中で、また、産婦人科医の間でさえもこの問題についての議論が行われない状況が持続していた。そのような状況の中、2011年10月にNIPTが臨床検査として米国で開始され、国内への導入は不可避になってきた。しかし、国内では、遺伝カウンセリング体制の整備が遅れており、また、出生前診断についての議論が未成熟で、NIPTを受け入れる社会的なコンセンサスは形成されていない状況にあった。そのような中で本検査が導入された場合、NIPTが極めて画期的な検査であるため、検査希望者の激増により、自律的な受検の判断が難しくなる、不十分な知識で受検して、結果に混乱する妊婦が発生するなど、社会的な混乱の原因になる可能性があると考えられた。そこで、適切に遺伝カウンセリングできる施設で検査を臨床研究として開始し、社会的な評価や反応を確認しながら、次のステップとして適切な検査・遺伝カウンセリング体制についてのコンセンサス形成を模索する目的でNIPTコンソーシアムを2012年8月に組織し、臨床研究としてこの検査を国内に導入することになった。臨床研究は2013年4月に開始され、その後9カ月が経過し、6000件近い検査が実際に行われている。この検査は、妊娠10週から無侵襲に検査が行え、染色体異常症の検出率が高い。非確定的検査ではあるが、陰性的中率が極めて高く、羊水検査について悩んでいる妊婦にとっては信頼性の高い検査である。検査で陽性と出る確率は1.9%であり、98.1%の妊婦で、羊水検査が回避でき、羊水検査に伴う流産リスクが回避できていることになる。一方、この技術は、マイクロアレイで診断されるレベルの染色体微小欠失症候群や広範囲な単一遺伝子病の診断にも利用可能な画期的な手法であるばかりか、胎児の全ゲノムの解読すら可能である。この検査がどのような対象にどのような検査内容まで許容されるかなど、今後、議論を深めていく必要がある。
参加費:300円
◆12月例会(第229回総合部会例会)
日時:12月14日(土) 15:00~17:30 会場:昭和大学病院17FのA会議室
演者:青山彌紀 氏 演題:「ドイツ語圏の生命倫理をめぐる議論の中で、「文化」はどのように語られ、どのような関心・方法論をもって研究されているのか?-日本(アジア)の生命倫理研究についてのドイツ文化学(Kulturwissenschaft)における議論を例にー」
所属:お茶の水女子大学グローバル人材育成推進センター 専門:哲学・倫理学・日本学
要旨:「人間の尊厳の不可侵性」が歴史的に特別な意味を持つドイツ語圏の生命倫理の議論の中で、「文化的差異」というテーマはどのような文脈で、そしてどのような関心をもって扱われてきたのだろうか?ドイツで文化的差異が議論されるきっかけや刺激となった事柄は、あらゆるとことに見られる。例えば、近年では医療・介護の現場や教育の場で、イスラム教徒やドイツ語が母国語でない患者への適切な配慮やケアが日常的な光景となったこと。生命科学の国境を越えた共同研究体制やその研究結果がもたらす影響がますます国際化したと実感されるようになったこと。また90年代終わり以降にWHOやUNESCOから出された遺伝医療・研究と人権に関する声明や指針にドイツ国内からも批判があったことなどである。ドイツ語圏の生命倫理に関する議論と言っても、各種の倫理委員会、世論、学術議論等、様々な異なる目的、方法、特色を持って議論が繰り広げられている。その中でも本発表では特に、生命倫理に関する学術的議論の中で、文化学的背景を持った研究者らが、どのように日本をはじめとするアジアの生命倫理の議論やそれに関わる現象(医療の場での人々の行動・決断など)を、説明、解釈、議論してきたか、しているのか、それらの議論の仕方の限界や問題はどこにあり、それが国際的な文化の差異や多様性をめぐる生命倫理の議論にどのような示唆を与えるのかを考えたい。
参加費:300円
◆11月例会(第228回総合部会例会)
日時:11月10日(日) 15:00~17:30 会場:昭和大学病院17FのB会議室
アクセス:東急池上線「旗の台」駅東口下車、徒歩4分。 駅を降りるとすぐに昭和大学病院という建物がみえます。 そのたてものをめざして歩くと中原街道に出ます。 信号を渡ると入院棟入口があります(右手にドトール)。 そこから入り、エレベーターで17Fへあがってください。 エレベーターを降りると左手に会議室があります。
演者:村松 聡 氏 演題:「パーソン論以後のパーソン論の展開」
所属:早稲田大学 専門:哲学・倫理学
要旨:よく知られているように、生命倫理の分野では妊娠中絶問題を契機として、トゥーリーなどによって自己意識中心のパーソン論が提唱され、このパーソン論を巡って、1970~1980年代、激しい議論が行われていた。日本でもまた、多くの論者がこのパーソン論のもつ短所に気づいて、パーソン論修正の試みが行われてきた。もっとも、エンゲルハートによる自己意識中心のパーソン論の部分的な改変の試みを除けば、日本語訳がないためか、日本では思いのほか、それ以外のパーソン論の可能性について理解が進んでいるとは言えない。しかし、実際には、1990年代、2000年代と、自己意識中心のパーソン論を徹底的に批判し、乗り越える試みが、たとえば、カクチェウスキー(1994)、シュペーマン(1996)、ホーネフェルダー(1996)、クヴァンテ(2002)と、次々と現れている。こういった試みのいくつかを今回は紹介したい。そこからパーソンを理解するための焦点となるいくつかの大切な洞察が得られる。今回は、パーソナリティーとパーソンの関係など、私が以前に著作を書いていたときにはまだ明確でなかった点を明らかにしながら、パーソン論の生命倫理への分野への具体的な応用についても語っていきたいと思っている。
参加費:300円
◆10月例会(第227回総合部会例会)
日時:10月5日(土) 14:00~16:00 会場:上智大学四谷キャンパス2号館 13階法学部第一小会議室(2-1330B)
演者:青木 茂 氏 演題:医学倫理の基礎―「知覚因果論」への批判を手掛かりに―
所属:元東京女子大学教授 専門:近・現代のドイツ哲学
要旨:
1)「知覚因果論」とは何か
『知覚とは外的対象(目の前にあるリンゴ)が感覚器官(われわれの目)に対する触発作用を原因とし、その結果として引き起こされた心的事象である』。 どこが誤りか。知覚の働きの物理的過程、生理的過程という<もの>を原因として引き起こされた刺激の連鎖から心の現象<赤い>が生じている。<もの>を原因として<赤い>という意味がここに出現していると考えている。この考え方は<もの>が直接<心>を限定しているとする<科学主義><自然主義>である。現代科学論の、あるいは我々の、<常識>といってもよい。現代における科学の発達(物の客観的な限定の発達)は知覚因果律によって意味限定の領域、心の主観的な限定の範囲、あるいは自由な道徳的判断の領域をますます狭めている、といってもよいのではないか。
2)ここには知覚を介して心と物との直接的な関係が成り立っていると言えよう。
両者の関係をどう考えるかという議論は、17世紀デカルト(1596~1650)のいう心「考えるものもの」(res cogitans)と物「延長せるもの」(res extensa )との相互に独立した実体間の二元論的関係,ロック(1632~1704)のいう「第一性質」(物の客観的性質)と「第二性質」(物の主観的性質)との関係、といった学説以来、いわゆる「心身関係の問題」として現代にまで及ぶ伝統的な哲学的問題である。
3)心の技術的支配の問題
科学の知の立場が客観的な物の因果連鎖をどこまでも細密に連続して追求していくのに対して、技術の知とは、この一連の因果系列のなかで、この結果を排除する、あるいは促進するという人為的目的を実現する手段として原因に関する知を操作することである。だから物の運動や変化の因果関係が明らかになれば物の操作を目的とした自然支配の知識も発達する。同じように、知覚因果律を正しいと考え、これによって自然的原因による心の変化を無条件に認め、古典的な「心身の区別」を否定していくとしたら、心の技術的な支配が広範に出現する。
4)技術から倫理へ
技術は科学的知と人間的目的を媒介する手段の知として科学の発達にともなって著しい発達を遂げているのが現代の状況である。この技術が知覚因果論を介して人間の心を一定の目的のために操作しようとすればどのような状況が起こるであろうか。技術を臨床における「医学的技術」と置き換え、<知覚因果論>による患者の心の操作と言う事態が生じているか、いないか、を冷静に反省しなければならないだろう。医学倫理の困難さは「主観的な意味」の問題を介して文化や歴史さらに宗教の領域に踏み込まざるを得ないことである。
参加費:300円
◆9月例会(第226回総合部会例会)
日時:9月8日(日) 15:00~17:30 会場:上智大学 2号館6階ドイツ語学科会議室
演者:田村 京子 氏 演題:「ヒトの要素をもつ動物を作成することはどこまで許されるのか?」
所属:昭和大学富士吉田教育部 専門:倫理学
要旨:医学研究では、これまでにも動物を使った実験が行われてきた。動物を使うことについてはいくつかの批判があるものの、一般的には容認されてきた。というのは、人を対象とする実験が行えず、in vitroの実験では解明できない内容であれば、動物を用いて実験せざるをえないからである。これに、動物に与える苦痛よりも人間が得る利益(科学的知見)の方が大きいことという要件が加って、動物を使う実験は正当化されることになる。近年は、たんに動物を使うというにとどまらず、動物胎仔と成体動物の体内にヒト由来の試料を移植して、ヒトの要素をもつ動物(human-animal mixture、animals containing human material、human-nonhuman chimeras、part-human chimeras等)が多数作成されている。ヒトの要素も、がん細胞や組織や遺伝子、幹細胞、ES細胞やiPS細胞から分化した幹細胞等があげられる。作成目的は、発生学をはじめとする基礎生物学研究、生殖医療や再生医療への応用を目指した基礎医学研究、治療法の開発に資することである。初期胚に関しては、日本では動物の初期胚にヒト細胞を導入して胚(動物性集合胚)を作成することは認められているが、「特定胚指針」(2009年改正)により、その作成目的は「ヒトに移植することが可能なヒトの細胞からなる臓器の作成に関する基礎研究」に限られ、またそれを人又は動物の胎内に移植することは「当分の間、禁止」されている。だが、マウス体内でラットの膵臓作成に成功し(2010年)、膵臓欠損ブタの核を移植したクローン胚に正常胚細胞を移植して外来性細胞由来膵臓をもったキメラブタの作成に成功した(2013年)ことから、膵臓欠損ブタのクローン胚にヒトiPS細胞を入れて動物性集合胚をつくり、ブタの子宮に入れて、人間の臓器をもった胎仔を作成できる可能性が出てきた。そこで、現在、動物性集合胚の動物胎内への移植を容認する方向で「特定胚指針」の見直しが検討されようとしている。このようななかで、iPS細胞技術の進展に押され、改めてヒトの要素をもつ動物をどこまで作成してよいのかが問題となっている。発表ではこの問題をめぐる英国医学アカデミー報告や倫理的議論を紹介し、人間の尊厳と動物への責任を考えてみたい。
参加費:300円
◆7月例会(第225回総合部会例会)
日時:7月14日(日) 15:00~17:30 会場:昭和大学病院17FのC会議室
演者:古関 明彦 氏 演題:「再生医療は産業たりうるか?」
所属:独立行政法人理化学研究所免疫・アレルギー科学総合研究センター 免疫器官形成研究グループ・グループディレクター 専門:免疫発生学
要旨:iPS技術によって新たな細胞治療技術への扉が開かれた。この新しい技術が社会に受入れられ、その一部になっていくためには、どのような条件を満たし、どのような過程や手続きを経ていく必要があるのだろうか?その結果、待ち受けているのは製薬業のような産業化なのだろうか?技術的側面、医療経済的側面、倫理的側面など、いくつかの視点から考察していきたい。
参加費:300円
◆6月例会(第224回総合部会例会)
日時:6月8日(土) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階ドイツ語学科会議室
演者:中澤 武 氏
演題:「傷つきやすさ(vulnerability)の意味」
所属:明海大学・東京薬科大学・小諸看護専門学校(非常勤講師) 専門:哲学・応用倫理学
要旨:人間は、傷つきやすい存在である。この「傷つきやすさVulnerability」という語は様々な論脈の中で用いられる。人間の「傷つきやすさ」は、決して一部の特別な人の集団に限られた事柄ではない。この概念には、人間が病気・障碍・老化・死などに対して脆弱な存在であるという普遍的な人間性への洞察が込められている。「バルセロナ宣言」(1998年)およびユネスコの「生命倫理と人権に関する世界宣言」(2005年)が同概念を最も重要な原則の一つと見なしているのも、そのような思想の表れであろう。さて、疾病文化史の教えるところによれば、近代以降の医学は長足の進歩を遂げ、かつて「業病」として恐れられた病苦を克服するための薬や治療法を次々に開発してきた。現在では、特にiPS細胞の登場によって再生医療が飛躍的進展を見せつつあり、医学研究は、やがて、創薬・難病治療・臓器作成等の技術開発により、人間の「傷つきやすさ」それ自体の克服を目指すとも考えられる。老化や死の治療が医学の現実的選択肢となるのは遠い未来のことだとしても、たとえば疲弊した身体部分を代用できる組織や臓器が際限なく提供されるような「すばらしい新世界」が到来する前に、まずは医療実践の基礎的前提を再検討することが現在の課題である。その手掛かりを求めて、小児に対する終末期医療の事例を参照する。出生時に被った重篤な脳障碍のために自発的な意思を示すこともできず、最期まで呼吸器に依存したまま病院の中で生きた女児の例である。母親は、闘病記の中で、この子供の「死は、医療の敗北ではない。医療の完遂だった」と断言している。この言葉の背景には、優れた専門知識を備えプロフェッショナルとしての高い矜持を保ちつつ、謙虚な支援の態度を貫いた医療者の実践がある。人間の「傷つきやすさ」が、克服されるべき対象としてではなく、命の成就を寄り添い支える医療の源泉として尊重されている。最後に、この事例に見られるような医療実践のために考えられる理論として、エドガー・H. シャインの支援モデルに触れる。
参加費:300円
◆5月例会(第223回総合部会例会)
日時:5月12日(日) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階ドイツ語学科会議室
演者:林 大悟 氏
演題:「『人の死』問題と倫理学」
所属:玉川大学 専門:哲学・倫理学
参加費:300円
◆4月例会(第222回総合部会例会)
日時:4月7日(日) 16:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階ドイツ語学科会議室
演者:朝倉 輝一 氏
演題:2013年度総合部会年間テーマの趣意書報告
「再生医療における哲学的・倫理的・法的問題」
所属:東洋大学
専門:哲学
参加費:300円