◆第111回総合部会
(総合部会代表 黒須三惠)
期日:2003年3月8日(土)午後2時から5時頃まで
場所:日本医科大学5号館4階第1講堂
(「2月の月例会のお知らせ」の次回予告では、「日本医科大学4号館第1講堂」とご通知しましたが、誤りです。お詫びと訂正をさせていただきます。)
南北線「東大前」下車、千代田線「千駄木」あるいは「根津」下車、各徒歩10分程度 (周辺地図につきましては、以下の日本医科大学のホ-ムペイジをご覧下さい。http://www.nms.ac.jp/pr/abt/abtcon/index.html.)
2時から2時10分まで 会員紹介
2時10分から5時頃まで 発表
演題: -今こそ、医療倫理が問われているー
「21世紀初頭の医療-医療制度改革の基本的方向と変容する病院経営」
演者:遠藤正樹氏 (医療法人社団康明会 常務理事 法人本部事務局長)
略歴:1966年2月生まれ。1988年日本福祉大学社会福祉学部卒業。
1988年 東京都内の民間病院 医療ソーシャルワーカー入職。
1990年 東京医科大学八王子医療センター 医療ソーシャルワーカー入職。
1998年 医療法人社団康明会 入職。常務理事兼法人本部事務局長に就任。
2000年 多摩大学大学院経営情報学研究科博士前期課程2年在学中
2003年 同学卒業 経営情報学修士
多摩大学総合研究所ソシオ・ビジネス研究センター客員研究員
株式会社富士電機医療プロジェクト事業部客員研究員
株式会社AIU保険会社 損害統括本部顧問(保険開発)
株式会社 グッドウィルグループ コムスン アドバイザー
その他、看護学校講師、複数の医療機関の経営顧問、監査役を務めている。また、医療/福祉関連のNPOや地域医療・福祉団体の理事として、21世紀の患者中心医療・介護へのパラダイムシフトに向けて、活動している。
要旨:
我が国の21世紀初頭の医療は、医療保険財政の均衡を図る目的として、医療費抑制を軸とする制度改革を推進している。これまでの医療政策・制度の意思決 定プロセスを紐解けば、主役は、厚生労働省と日本医師会:2極のバランス・パワー・ポリシーによって統制され、肝心の医療サービスを受け患者は観客化され てきた。今日、医療過誤や病院組織と医療内容の内幕が、メディアにより氷山の一角ではあるが報道されている。激化する「医療不信」は、これまでの国民の鬱 積した不満が顕在化したこと、医療だけは「聖域」という幻想を抱き続けてきた一部の医療者の奢りに他ならない。今日、医の「聖域」から変貌かつ逃避した病 院組織と医療者の有り様が問われているのである。医療の悪しき権威主義、診察室前で脅える患者の姿を象徴する病院と患者の関係性は、後世に決して残しては ならない。つまり、患者に期待され信頼される「医の原点回帰」が求められているのである。紀元前のヒポクラテスの誓いは、現代に生きる医療者にとって、今 尚、生き続ける「哲学」である。そこで、病院マネージャーの立場から、今こそ、問われている医療倫理について、医療現場の実態をふまえて問題提起したい。
◆第110回総合部会
期日:2003年2月1日(土)午後2時30分から5時30分頃まで
場所:日本医科大学本館C棟地下第6演習室(第1臨床講堂の隣り、5月及び7月の月例会の会場と同じ)
南北線「東大前」下車、千代田線「千駄木」あるいは「根津」下車、各徒歩10分程度
(周辺地図につきましては、以下の日本医科大学のホ-ムペイジをご覧下さい。 http://www.nms.ac.jp/pr/abt/abtcon/index.html.)
2時30分から2時40分まで 会員紹介
2時40分から5時30分頃まで 発表
演題:介護保険制度と看護
演者 :岩倉孝明氏 (川崎市看護短期大学)
要旨:2000年4月から公的 介護保険制度が実施された。この介護保険制度の基本的な仕組みや実施以来の実情を簡単に確認しながら、介護(ケア)のなかでも、とくに健康という問題に中 心的に関わる看護の役割に注目し、この制度において看護職はどんな役割を果たすべきか、また看護はどうこの制度によって変わるかといった問題について、導 入的な紹介を行いたい。 当日に資料を配布予定
***前回(第109回)総合部会のお問い合わせ***
1月の総合部会での発表内容に関するお問い合わせは、下記の中木高夫先生までお願い致します。なお、当日配布原稿・資料は、事務局でお預かりしておりますので、ご希望の方は、事務局までお問い合わせください。
中木高夫 〒150-0012 東京都渋谷区広尾 4-1-3 日本赤十字看護大学TEL/FAX 03-3409-0901(直通)
◆第109回総合部会
期日:2003年1月11日(土)午後2時から5時30分まで
場所:東洋大学白山校舎1号館4階1408番教室 (12月7日と同じ会場)
都営三田線「白山」駅下車5分 ( 大学周辺の地図等詳細につきましては、東洋大学のホ-ムペイジhttp://www.toyo.ac.jp の「キャンパス情報」をご参照ください。)
午後2時から2時10分まで 会員紹介
午後2時10分から5時30分頃まで 講演
演題(テ-マ):医学と看護 ~自分史からみたケア/ケアリング~
演者: 中木高夫先生 (日本赤十字看護大学)
要旨:平成6年以来,看護教育 の場に奉職していますが,そもそもの出発点は消化器内科医でした。新設国立医科大学である滋賀医科大学に赴任して,大学づくり,病院づくりを経験するなか で,ナースたちから「医師だから看護が理解できないのだ」と言われれ続けてきました。さいわいなことに,この大学の病院はPOS(Problem Oriented System)という診療記録の方式で統一されていたので,医師とナースは同一紙面にそれぞれの作業を記載していました。そこをプラットホームとしてナー スたちと対話がはじまり,看護に興味を持つようになり,「何がそうで何がそうでないか」(ナイチンゲールの言葉)ということの根拠を探すようになりまし た。今回,貴重な場を与えていただけるのを機会に,自分が体験してきたことを手がかりにケア/ケアリングについてお話しできれば思います。
参照書誌:とくにありませんが,著書としては『POSをナースに(第2版)』(医学書院)があります。
◆第108回総合部会
期日:2002年12月7日(土)午後2時から5時20分まで
場所:東洋大学白山校舎1号館4階1408番教室
都営三田線「白山」駅下車5分 ( 大学周辺の地図等詳細につきましては、東洋大学のホ-ムページhttp://www.toyo.ac.jp の「キャンパス情報」をご参照ください。)
2時から2時10分まで 会員紹介
2時10分から4時10分頃まで 「クロ-ニング論部会」による発表
タイトル:クローニング技術をヒトに応用する是非について、二題
クローニング技術を使ってヒト個体を再生産することについての問題性は、ひととおり議論が尽くされたように思う。今回は、「クローニング論部会」から二人の発表者がその議論をまとめつつ、 この問題について哲学(黒崎)と倫理学(奈良)の観点からいままでの成果を発表することにしたい。ただし、発表内容については各人が個人として行う。
1.人類史における「クローン人間」
発表者:黒崎 剛氏
クローニング技術をヒトに応用することは、人類の自己認識としての科学の発展という観点から見て、無意味であるという見解を発表する。
「クローン人間」を作ろうとする目的は、①医療資源として、②子供を持つための方法として、③慰めの手段として、④ナルシシズムとエゴイズムから、⑤ 優生学的進化主義から、といったところであるが、1.これらがいずれもクローンという方法によってはその目的を達成することができないこと、2.またそう した目的が人間のクローニングによって達成されるという考えそのものが近代主義(自我論、個人主義、ナルシシズム、有用性)を不当に肥大化した、妄想とさ え言えるものであること、3.こうした目的はクローニングよりも遺伝子操作技術の完成を待ってはじめて達成可能になるものであって、真の問題は遺伝子操作 技術にあり、それに比べるとクローニングによるヒトの生殖という構想は、実現させる社会的利益の薄いものであること、以上のことを述べる予定である。
2.ヒト・クローニングにまつわる倫理問題
発表者:奈良雅俊氏
ヒト・クローニングにまつわる倫理問題を考察する。まず、 1.技術的問題について確認し、ついで、 2.ヒト・クローニングをめぐる倫理的問題の論争状況を踏まえ、 3.クローニング技術の応用について、特に治療的クローニングの是非とそれが提起する倫理的問題を論じて見るつもりである。
4時20分から5時20分まで 個別発表
演題 株式会社が医療に参入することについての問題点
演者 加藤健一郎氏(東武丸山病院)
要旨 (内容メモ)
・営利企業に、医療や教育は任せられないか?---規制の見直しの検討(経済財政諮問会議)
・株式会社性悪説には、根拠がない。学校法人や医療法人には利潤動機がないというのは、虚構である。
・会社の種類(こんな会社がオ-ナ-になったら) 例: ミドリ十字、銀行、東芝メディカル、武田薬品、セコム、クロネコヤマト、IBM、 消費者金融、商社、セブンイレブン、ユニクロetc
・分断統治(フランチァイズ支配のル-ル)非対称性情報支配、売り上げ管理(マトリックスを用いた)
・株式会社に賛成の医療法人もある。徳洲会、亀田総合病院、河北病院・発表者の個人的事例(個人的経験) (北海道、愛知県、京都府での例)
・民営公営(TFI)と公設民営方式
: 私は,健康上援助の必要な対象者に看護ケアを提供する看護師である。私たちは通常,看護を行う時に患者に対して何をどのように働きかけるのかの行動指針と して「看護計画」を立てる。その計画を考える時の視点―「この人の現在の問題点は何か?」。この見かたは,対象者が自らの力で健康的な生活を送ることがで きるようになるための援助を探す上で必要な視点であるが,常に何かを一方的に提供する強者-弱者の関係を生んでしまう危険性を孕んでいる。“看護は全人的 に相手をとらえる”と言いつつ,立案している現在の看護計画はその理想像に近づけているだろうか。私のケアに対するこのような違和感はどこから生まれてい るか。私たちの行っている看護ケアの判断根拠はどこにあるのか。“看護師としての私の主観”は何であるか。私たちは現場で,ケアの現象に直接巻き込まれつ つ倫理的問題について考察しうるのかどうか,自己の体験から論じたい。
◆第107回総合部会
期日:2002年11月2日(土)午後2時から5時まで
場所:日本医科大学5号館4階エレベータ前、第1講堂
(6月の月例会に使用した会場です。)
南北線「東大前」下車、千代田線「千駄木」あるいは「根津」下車、各徒歩10分程度、 以下の日本医科大学のホ-ムページをご覧下さい。
http://www.nms.ac.jp/pr/abt/abtcon/index.html
* 前回の「10月の月例会のお知らせ」では、「東洋大学白山校舎か立正大学の予定」とお知らせ致しましたが、会場が変更になりましたので、ご注意ください。
2時から2時10分まで 会員紹介
2時10分から5時頃まで 発表
演題: 公開講座「今、ケアに問われているものー医療におけるケアとその倫理」
演題:「ケアの質はいかに保証されるか」の予行演習
演者:勝山 貴美子 氏 (名古屋大学)
要旨:近年、日本の医療をめぐ る状況は大きく変化をしている。超高齢社会、医療技術の進歩、医療費の高騰、少子化、ヘルスケア・ニーズの変化、患者の権利意識の高まり、不透明な組織体 制などに対し、大きな転換を迫られている。そのような状況の中で、ケアの質をどう保証していくかは、今、日本の医療に求められている課題だといえる。
第一章で、ケアの質が議論されるようになった歴史的背景を述べる。医療技術の変化、高齢社会、人の価値観の変化を概観する。第二章で、ケアの質とはなに か、ケアの質を保証するとはどういうことなのか、第三章で、ケアの質を保証するための現代医療におけるしくみを説明する。第四章で、ケアの質を保証するた めの現代の課題を明らかにする。ケアを保証するしくみ自体の問題点、および、それを運用する人の問題点を明らかにする。
演題:患者は私に何を伝えようとしたか
演者:和田 恵美子 氏(大阪府立看護大学)
要旨: 私は,健康上援助の必要な対象者に看護ケアを提供する看護師である。私たちは通常,看護を行う時に患者に対して何をどのように働きかけるのかの行動指針と して「看護計画」を立てる。その計画を考える時の視点―「この人の現在の問題点は何か?」。この見かたは,対象者が自らの力で健康的な生活を送ることがで きるようになるための援助を探す上で必要な視点であるが,常に何かを一方的に提供する強者-弱者の関係を生んでしまう危険性を孕んでいる。“看護は全人的 に相手をとらえる”と言いつつ,立案している現在の看護計画はその理想像に近づけているだろうか。私のケアに対するこのような違和感はどこから生まれてい るか。私たちの行っている看護ケアの判断根拠はどこにあるのか。“看護師としての私の主観”は何であるか。私たちは現場で,ケアの現象に直接巻き込まれつ つ倫理的問題について考察しうるのかどうか,自己の体験から論じたい。
◆第106回総合部会
期日:2002年10月5日(土)午後2時から5時50分まで
場所:共立薬科大学 2号館1階155番教室
東京都港区芝公園1-5-30 電話:03-3434-6241(代表)
都営三田線 御成門駅下車 徒歩2分(A2出口から直進し信号わたり左折、右手すぐに大学のビル、入り口からそのまま直進し、突き当たり左手奥の教室)
*共立薬科大学の周辺地図は、以下の大学のホ-ムペイジをご覧下さい。
http://www.kyoritsu-ph.ac.jp/gif/map.gif
2時から2時10分まで 会員紹介
2時10分から3時10分まで 発表
演題: 治験同意取得に関するアンケート調査結果について
演者: 岡本天睛氏 (防衛医科大学)
要旨:
【目的】治験におけるインフォームド・コンセントは、治験に参加される方の権利と安全性を守るためのものであり、その内容は新GCPで細かく定められている。今回当院IRBの指示の下、治験同意取得に係る状況を把握するためにアンケート調査を実施した。
【方法】防衛医科大学校病院で平成12年度に治験参加した被験者57名を対象とし、平成13年5月17日~7月31日の間に、34設問からなるアンケート 調査実施した。また同様に治験担当医師18名を対象に同意取得できた被験者毎の14設問からなるアンケート調査も併せて実施した.
【結果】被験者のアンケートの回収率は、79%であった.同意説明文書による医師からの説明については概ね理解されていたが、理解しにくいものは、二重盲 検試験(22%)、副作用(22%)、治験薬の効果(18%)だった。同意説明文書に署名したことに53%の人が不安であったと回答しており、その7割は 治験薬による副作用を挙げていた。治験に参加した理由としては、治験薬の病気への効果を期待して(71%)と回答し、効果があった場合継続の使用を要望し ていた。
一方医師へのアンケートの回収率は100%で、説明に要した時間は平均30分強、説明しにくいものとして、プラセボ(28%)、二重盲検試験(23%)、副作用(23%)を挙げ、半数以上の被験者に対し治験コーディネーター(CRC)に補助説明を依頼していた。
【考察】今回の調査により、医師・被験者とも、ICの本質と意味を十分に理解していないことがしられる。そこから、医師の被験者に対する、説明不足、専門 用語の羅列、被験者がICHでいう弱者であることの認識不足等が生じている。被験者も一部に被験者の権利を十分認識していないことが知られる。これらを踏 まえ、治験における医師の教育、即ち被験者に対する説明態度教育や解りやすい用語の使用・同意説明文書作成を、今後の治験の課題とし、適正化に役立ててい きたい。
3時20分から5時50分頃まで 発表
演題: ケアと看護哲学 -S・エドワーズ『看護の哲学』における重層的ケア論の検討
演者: 服部健司氏(群馬大学)
司会者:黒須三惠氏 (日本医科大学)
要旨: S・エドワーズ(Steven D. Edwards, RMN, BA, MPhil, PhD.)のケア論を概括し、批判的考察をくわえてみたい。エドワーズによれば、ケアには重層性がある。「志向的ケア」がそのひとつであり、それは患者の おかれた状態を知り、そのニーズに応えるあり方であり、情感的な要素を含む。もうひとつは「存在論的ケア」であり、これは生物学的身体にむけられた 「ディープ・ケア」と人格の本質に関わる「アイデンティティ構成的ケア」に二分される。言ってしまえばきわめてものものしい、ひっかかりを感じずにおられ ないような言葉遣いで展開されるエドワーズのケア論と向き合う理由はふたつある。ひとつは、そこにケア論そのものを豊かにするようなノベルティがあるのか どうかを見ること、もうひとつはテツガク的術語と看護哲学との連結具合を点検することで、看護哲学そのものの方法論を考えてみることである。
ところでエドワーズの『看護の哲学』(Philosophy of nursing, 2001.) は、英国ウェールズ大学保健学部の大学院看護哲学専攻修士課程での講義をもとにして著わされている。もちろんこの著作のみをもってかの地の院レベルでの一 般的な研究・教育水準を推測することには無理があるが、それでもその一端をのぞき知ることはできると考える。発表者はこの2年ほど保健学科大学院三専攻共 通カリキュラムとして医療倫理学特論の授業(半期、昼夜開講)を担当しているが、自分のしている授業とエドワーズのクラスとのギャップはきわめて大きい。 発表の後半では、看護系大学院での看護哲学教育のあり方について検討してみたいと考えている。
◆第105回総合部会
期日:2002年9月7日(土)午後2時から5時50分まで
場所:共立薬科大学 2号館1階156番教室
東京都港区芝公園1-5-30 電話:03-3434-6241(代表)
都営三田線 御成門駅下車 徒歩2分(A2出口から直進し信号わたり、右手すぐに大学のビル、入り口からそのまま直進し、突き当たり左手の教室)
共立薬科大学の周辺地図は、以下の大学のホ-ムペイジをご覧下さい。
http://www.kyoritsu-ph.ac.jp/gif/map.gif
2時から2時10分まで 会員紹介
2時10分から3時10分まで 発表
演題:『ハイデッガーにおける人間本質への問い』
演者:皆見浩史氏 (栃木県県南高等看護専門学院非常勤講師)
司会者:黒須三惠氏 (日本医科大学)
要旨:(まえがき)
寿命が延びている。しかし、いまだ不死の人間はいないようだ。医学の分野では、クローン技術による、実験用動物の大量生産、医薬品の製造、移植用臓器の生産などが考えられている。人間の寿命はますます延びてゆくのかもしれない。
1996年、クローン技術による羊の「ドリー」の誕生が報道されたことは記憶に新しい。わが国ではすでに2001年、クローン人間の製造を禁止する「ヒ トに関するクローン技術等の規制に関する法律」(クローン規制法)が施行されているが、海外では、2002年4月、イタリア人医師がクローン人間の受胎成 功を発表し、その真偽および倫理性が論議された。さらに、実際のクローン人間誕生に先だち、早くもその人権問題までもが論じられている。
クローン技術によって生まれた、自分と同じ遺伝子を持つ人間が、もしも自分と同じ人間だとすれば、その場合には「自己同一性」とは何かということも問題 になるであろうし、また、寿命が延びるだけでなく、臓器移植を繰り返すことによって、最終的には人間が不死となる、ということになるのかもしれない。
こういったことには、まだまだ多くの技術的な問題があり、そう簡単に実現することはできないようだが、先の羊の例にしてみても、最近まで体細胞クローンが不可能だと言われていたことを思えば、たんに空想的な議論だとは言い切れないように思われる。
また、すでに多くの人が、クローン技術に対する違和感を表明している。それは何故だろうか。食物の場合であれば、たとえば人体に対する安全性が問われ る。だがその際、複製すること、その行為自体の是非は、さほど問われない。しかし、人間の場合には、人間を複製すること、その行為自体がしばしば問題視さ れる。
不自然な行為だからだろうか。しかし、技術を利用することもまた、それはそれで、自然な、人間らしい行為ではないのか。それともあるいは、「人間らし さ」が、または人間の存在の仕方が、かつてとは異なってきており、技術とのかかわり方も異なってきている、ということだろうか。
いずれにせよ、何よりもまず問われなければならないのは、人間の本質への問いであろう。
哲学は伝統的に、人間とは何かという、人間本質の問いに対して、一つの答えを与えている。すなわち、人間とは「理性的動物(animal rationale)」である、と。ここでは、理性という種差が帰せられつつも、人間がすでに動物の一種として考えられている。
人間を動物の一種とする考えは間違っているわけではない。人間と動物との間に数多くの共通項があるからこそ、たとえば動物実験がしばしば人間に対しても 有効なのであろうし、あるいはまた、動物と人間とを生物という同じ地平で考察するからこそ、両者の生物学的な相違点に関しても明らかになりうるのであろ う。
だがしかし、人間と動物との間には、たんに生物学的な次元にとどまらない、根本的な違いがあるとすれば、それはいったいどの点にあるのだろうか。本発表では、ハイデッガーの思索を手がかりに、このことを考えてみたい。
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出典、および邦訳をごく簡略に記しておく。
Martin Heidegger Gesamtausgabe: Vittorio Klostermann. Frankfurt am Main
特に
Band.2.Sein und Zeit
Band.9.Wegmarken
Band.29/30.Die Grundbegriffe der Metaphysik.
Band.65.Beitraege zur Philosophie
ハイデガー『存在と時間』 原佑、渡辺二郎訳
中央公論社 中公バックス「世界の名著」74
ハイデッガー『道標』 辻村公一、H・ブフナー訳
創文社 ハイデッガー全集 第9巻
ハイデッガー『形而上学の根本諸概念』 川原栄峰、S・ミュラー訳
創文社 ハイデッガー全集 第29・30巻
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3時20分から5時50分頃まで 発表
演題: 介護保険の批判的検討と介護ケアの諸問題
演者: 浜田 正氏 (昭和薬科大学非常勤講師)
司会者:黒須三惠氏 (日本医科大学)
要旨: 我が国で介護保険制度が導入されて2年の歳月が流れた。様々な病気、障害をもった高齢者(基本的に65歳以上)の自立を支援し、こうした高齢者を介護する 家族を社会的に支えるために作られた介護保険制度は、果たして、その理念に相応しいあり方になりつつあるのだろうか?厚生労働省の自己検討(厚生労働白書 や厚生労働省のホームページなど)、医療経済学者・医療政策学者の研究、そしてケア・プランを作成しているケア・マネージャー(介護支援専門員)―本年3 月下旬に開催された「日本ケアマネジメント学会公開講座・第一回近畿介護支援専門員研究大会」など―や、実際、介護を行なっているケア・ワーカー、家族の 問題提起―本年2月に実施されたシンポジウム「これでいいのか介護保険―地域、家族そして職場からの提言」など―を踏まえて、介護保険制度を批判的に考察 してゆきたい。さらに、日本の介護保険制度の構想期に主として参考にされたドイツの「介護保険制度」、イギリスの「ケア・マネジメント」などを手掛かり に、日本の介護保険制度を検討してゆくことにする。
次に、介護ケアの目指すべき方向を考えてみたい。例えば、新しい試みとして、「生活リハビリ」という考え方と実践を挙げることにする。高齢者の介護の場に 必要なものは、治療・健康回復をめざす、言わば「医療モデル」的対応ではなく、むしろ、高齢者を<生活者>として位置づける言わば「福祉モデル」的対応で はないだろうか。こうした試みのなかから、介護する家族も多くのことを学びうるだろう。ケアの内容とそうしたケアを支える思想を吟味してゆくことにする。 (浜田 正)
◆第104回総合部会
期日:2002年7月6日(土)午後2時30分から5時30分まで
場所:日本医科大学 本館C棟第6演習室(5月の月例会の会場と同じ)
南北線「東大前」下車、千代田線「千駄木」あるいは「根津」下車、各徒歩10分程度
(5月上旬郵送にてお送りした地図をご参照ください。もしくは、以下の日本医科大学のホ-ムページ(下記)をご覧下さい)
http://www.nms.ac.jp/pr/abt/abtcon/index.html
2時30分から2時40分まで 会員紹介
2時40分から5時30分頃まで 発表
演題:「人間」の終焉と「ケア」の概念
演者: 朝倉輝一氏(東洋大学)
要旨: 「人間なるもの」「主体なるもの」の終焉が論じられるようになってかなりの時間が経っていると思います。ですが、ケアに関して、主体・実体たる自己が存在 して関係を結ぶ、あるいは逆にいわゆる「我-汝の出会い」という関係の一次性が強調されますが、じつはどちらも「主体」や「あいだ」を実体視しているので はないでしょうか。
というのも、他者とはなによりも主体自己の安定を脅かす存在であり、そうした他者による疎外・簒奪の危険にさらされているからこそ、人間なるものの終焉 が論じ始められたのではかったかと思われるのです。だが、相互承認論にみられるように、この他者だけが自己を形成することができる。だから、もし自己が関 係の束、あるいは私と世界とのあいだで働いている世界との関係の原理であるとするなら、「ケア」を、徹底的に関係の強度と生成という観点からとらえる必要 があるのではないでしょうか。
ところで、ケア提供を担う人たちからは、ケアの個別性が強調されます。では、「ケア」という言葉もしくは概念はいわば「名」のみなのでしょうか。なぜ個 別的なそれとしか言いようのないものにそれぞれ「○○ケア」「××ケア」という言葉が冠されているにもかかわらず、わざわざ「ケアは個別的である」とされ なければならないのでしょうか。ここでは、一体、ケアの何が問題になっているのでしょうか。
「人間なるもの」の終焉と「ケア(なるもの)」の概念の関連はあるのでしょうか。まだ、考えが全くまとまっていませんが、浅学非才を顧みず、思うところをさらして、皆様のご叱責を請いたいと願います。 (あさくらこういち)
◆第103回総合部会
期日:2002年6月2日(日)午後2時30分から5時30分まで
場所:日本医科大学 5号館4階第1講堂
南北線「東大前」下車、千代田線「千駄木」あるいは「根津」下車、各徒歩10分程度
*6月の月例会は、日曜日開催です。特に土曜日に仕事の都合等でご出席出来ない方、是非ご参加をお願い致します。なお、先月郵送いたしました、「月例会 の地図」は、4号館を指していましたが、5号館の誤りです。ご訂正をお願い致します。また、「5月の月例会のお知らせ」記載の「6月の総合部会予告」の場 所が4号館4階となっておりましたが、5号館4階の誤りです。併せて、ご訂正をお願い申し上げます。
2時30分から2時40分まで 会員紹介
2時40分から5時30分まで 講演
演題: ケアであること、ケアでないこと
演者: 鈴木正子先生(東洋英和女学院大学大学院人間科学研究科博士後期課程)
略歴: 1961年京都大学医学部付属看護学校卒業、その後、大阪府立厚生学院保健部卒業、慶應義塾大学文学部卒業。財団法人田附興風会北野病院看護婦、兵庫県西 宮保健所保健婦、兵庫県立厚生専門学院、埼玉県立厚生専門学院勤務を経て、埼玉県立衛短期大学に転任し、講師、助教授歴任、1991年退職。1993年東 京国際大学大学院社会学研究科応用社会学専攻修士課程修了(社会学修士)。1993年広島大学医学部保健学科教授に就任、2001年3月退職。現在、看護 の研究活動をしている。
主な著作:「生と死に向き合う看護」医学書院、「看護することの哲学」医学書院、「からだを聴く」(共著)日本看護協会出版会ほか。
要旨: 今日、ケアという言葉は、医療看護にかかわらず広く使われるようになってきている。ケアに関する研究も、いろいろなところで行われている。しかしながら、 その本当の意味をなかなかはっきりできないでいる。ケアという言葉を使うとき、ある種の願いがこもっているというのが、職業としての看護に携わる者の思い である。医療の現場を踏まえて、本当のケアとはどういうものかを吟味したい。看護の現場にいて、本当の看護ができないと悩む看護師は多い。日本中を見渡し ても、ああいい看護を受けたといって、退院した患者が回りの人に言って回るといった話題を耳にしたことがない。医療の現場にあって、看護師は医師の指示す る治療処置行為に追いまくられ、一日の勤務時間の大半を時間オーバーして走り回り、一方患者の側は、少しも世話を受けた気がしないというのが実際の姿であ る。
ハイデッガーは「存在と時間」の中で看護に触れている。配慮(Besorgen)とは、手元にあるものへの関心、道具的あり方、便利さ、有用さ、使いよ さ、道具連関、環境世界とのかかわりを意味する。方法としては見まわしである。顧慮(Fursorge)とは、心配を取りのぞき、相手に飛び込んで尽力 し、気づかい世話すること、他人への関心、ともにあることを意味する。方法としてはかえり見と見まもりである。病体の看護は顧慮であり、これは実存カテゴ リーを表す述語である。又これは基本的に相互存在を特徴付けるものであり、その際感情移入は欠かせないものであるとする。
ケアと呼ばれるものが、このハイデガーの言う顧慮という存在論的表現で規定されるものであるならば、われわれの日常の看護現場で繰り広げられる様相は、 まさにハイデッガーの言う配慮、すなわち道具的連関に終始するといっても過言ではない。それゆえ、患者は少しも自分という存在を気づかわれたとは感じな い。一見ケアに似て非なるもの、それを峻別するものは、関心のありか、かかわり方、見まもり方にあるといってよい。これらを例を用いて吟味したい。
◆第102回総合部会
期日:2002年5月11日(土)午後2時から5時まで
場所:日本医科大学 第6演習室(第1臨床講堂の隣)
演者:和田恵美子氏(大阪府立看護大学)
テーマ:「病いを物語るきっかけ-看護婦がみる闘病記から」
司会: 朝倉輝一氏(東洋大学)
要旨:人は,病いをもっている 時にどのように思い感じながら生活しているのであろうか?この大きな問いは学生時代の受け持ち患者が書いた闘病の記録を読んだことが出発点となっている。 その闘病の記録からは,看護ケア場面の外側からは見えにくい当事者の主観的な心の動きやものの見方の多層性を知らされた。そこで私は,病いを機に書かれた 自伝的記憶に基づき特定・不特定を問わず他者に語りかける闘病記を書くきっかけに着目した。
1970年以降,語り・物語という言葉は人間を対象とする学問分野で関心をよせられている。対象者の物語を特定の疾患や特定の方法論として対象者自身に着 目したもの,また対象者と医療者の相互関係や闘病記に着目したものは知らされているが,語りのきっかけに関する研究は探し得なかった。そこで今回は,公に 出版された闘病記に表現されている病いを物語るきっかけに焦点をあて,きっかけをとりまく状況やきっかけに関与する要因を明らかにすることを目的とした。
我々医療者は,患者の話に耳を傾けることが重要であると言われる。闘病記著者は何をきっかけに病いを語ろうとしたのかを問いながら,医療者はそのきっかけ になれるのか,また,なぜ病いをおった者にとって語ることが,あるいは語りを相手に聴いてもらうことがケアになるのか,加えて,もしケアとなり得るのであ ればそこで必要な援助の視点とは何であるのか議論を交わしたい。