2009年度関東支部総合部会年間テーマ
「身体および人由来の試料・データの利用の是非を問う」→趣意書
◆3月例会 (第188回総合部会例会)
例会
日時:2010年3月6日(土) 14:00~17:0
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室
演者:飯塚 美子 氏 (司会:江黒 忠彦 氏)
演題:聞き取り調査及び新聞ニュースから見る女性性
―富士見産婦人科病院事件の事例から―
要旨:
わが国において国民の耳目を集めることとなり、当時の多くの人々の記憶の中にある 医療過誤事件が、1980年に埼玉県所沢市において発生した。当時のマスメディアが大 きく取り上げた、いわゆる「富士見産婦人科病院事件」である。この事件は、現在も 続く医療過誤事件の一つではあるが、社会的に認識された最初の事例であると思われ る。被害患者らが1980年9月20日に告訴を行ってから、2009年5月に最高裁判所で元院 長の上告が棄却されたことですべての決着を見たことになるが、事件発覚から医療過 誤裁判が結審するまで、実に30年近い年月を要した。
しかし、被害患者らにとっては忘れることのない30年であり、今後も女性性の喪失感 を受容しながら生きていかなければならない。この事件は単なる医療過誤で終息され る性格のものではない。芦野はこの事件に関して、「医療の場では医師=強者、患者 =弱者という構造がぬきがたくあり、そこに性がからむと女性はさらに弱い立場に立 たされがちだ」と述べ、東京地方裁判所判決文も「事柄が子宮、卵巣等の疾患という 大きな声では会話しにくい主題である」医療過誤事件と断じている。事件発生の根は 深く、社会的である。
この事件の問題の解決は、病院内の情報秘匿的体制の中で行われた理事長及び医師の 行為の倫理が問われ、理事長及び医師らの「乱診乱療」を指弾され、医師に対して 「共同不法行為」の判決がなされたことで終息したが、この事件の被害者の聞き取り 調査とマスメディア報道から見えてきた女性性についての問題を論じたい。
専門:看護、社会福祉
所属:足利短期大学看護学科
参加費:300円
◆2月例会 (第187回総合部会例会)
例会
日時:2010年2月14日(日) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室
演者:山本 剛史 氏 (司会:北澤 恒人 氏)
演題:ハンス・ヨナス『生命の哲学』を読む
要旨:
1973年に刊行されたハンス・ヨナスの著書“Organisum und Freiheit”(後に“Das Prinzip Leben”と改称)は、1950年代から60年代にかけて書かれた諸論文を集めて一つの書物として編まれたものである。ヨナスの(途中第二次世界大戦や 第一次中東戦争を挟んで)半世紀以上におよぶ長い研究生活の中で、これは初期のグノーシス研究と、『責任という原理』に代表される倫理学との間に位置して いる。また、 10年以上にわたって少しずつ書き溜められたものにも関わらず、この本全体が後にヨナスが責任概念を倫理学的に基礎付けるための一つの土台となっていると 考えられる。
邦訳『グノーシスの宗教』の末尾に既に掲載されていた「グノーシス、実存主義、ニヒリズム」が第11章として再掲されているが、そこに示されているの は、人間と自然との間の断絶を意味する二元論の極北が実存主義であるとの診断であり、また、二元論を克服しようとする唯物論が「人間を真に人間たらしめて いる理念」を廃棄するという診断であった。この診断に基づき、ヨナスは“Organisum und Freiheit”において、人間と自然との断絶を唯物論とは異なる形で架橋する哲学を提示しようとしたのである。
先ごろ、本書の邦訳『生命の哲学』(法政大学出版局)が上梓された。本発表では、主に後の『責任という原理』との関係に焦点を当てて、この本全体から重要な課題をいくつか浮かび上がらせて問題提起としたい。
専門:倫理学
所属:慶應義塾大学
参加費:300円
◆1月例会 (第186回総合部会例会)
例会
日時:2010年1月9日(土) 15:30~18:00
会場:芝浦工業大学 豊洲校舎 教室棟5階 515番教室※後記参照
演者:皆吉 淳平 氏 (司会:坪井 雅史 氏)
演題:脳死臓器移植の歴史的現在 ―メタバイオエシックスからのアプローチ
要旨:
バイオエシックスは、自らを反省的に問い直す時期を迎えている。メタバイオエシックス研究は、「バイオエシックス/生命倫理」が自覚的/無自覚的に論じ てこなかったことを明らかにし、「バイオエシックス/生命倫理」という営みそれ自体を批判的に検討することを目指す「問い直し」の試みのひとつである。
本報告ではこのメタバイオエシックスの視角に、「バイオエシックスの社会学」からの視点を交えて、「2009年臓器移植法改正」論議に至る日本の「脳死 臓器移植」問題の歴史的現在を検討する。とくに「脳死」をめぐる議論の現在とWHOの新移植指針をめぐる「外圧」の社会的構成過程の検討、そして「社会的 合意論」の衰退が意味することの検討を通して、「何が論じられなかったのか」を明らかにする。そのうえで、「1997年法」と「改正法」との比較から浮か び上がる「家族」中心の「問題解決」の意味することを検討する。このように「脳死臓器移植」をめぐる議論を通して、日本の「生命倫理」の歴史的現在を検討 する視座を提示することを試みたい。
専門:社会学・生命倫理
所属:芝浦工業大学・慶應義塾大学
参加費:300円
◆12月例会 (第185回総合部会例会)
例会
日時:2009年12月12日(土) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階ドイツ語学科会議室
演者:船木 祝 氏 (司会:皆見 浩史 氏)
演題:人間に対する遺伝子技術介入の倫理的問題
――「自律」か「傷つきやすさ」か――
要旨:
近年の生命科学技術をめぐる話題は、ヒト余剰胚研究よりもむし ろ人クローン胚研究、そして着床前診断、さらには遺伝子技術が能力や 性質の改良をめざしてヒト生殖細胞へと介入する遺伝子増強(エンハン スメント)へと移っている観がある。こうした一連の動きに対して、生 命倫理の分野において、人間の「傷つきやすさ(vulnerability)」を巡 ってさまざまな議論が展開されている。そうした議論においては、主に 二つの立場が対立し合っているように思われる。一つは、人間の「傷つ きやすさ」とはそもそも克服されるべきものなのであって、かりに将来 世代も含めた安全性が確保されることになるとするならば、当事者の意 思決定を極力尊重して、遺伝子技術を積極的に利用すべきであるとする ものである。もう一つの立場によれば、人間とは本来、運命、事故、病 気などによりいつ他者依存的になるかもしれない存在である。受精卵や ヒト生殖細胞への遺伝子技術の応用をさらに助長していくことは、「傷 つきやすい」存在としての人間観を見失わせ、社会で苦しむ人々への共 感や尊敬の念を弱めることになるとされる。こうした対立は、1960年代 以降、「自律モデル」を模範にアメリカで起こったところの生命倫理が、 いま暗中模索の時期に差し掛かっていることを物語っている。
専門:哲学・生命倫理
所属:早稲田大学・明海大学
参加費:300円
◆11月例会 (第184回総合部会例会)
例会
日時:2009年11月7日(土) 15:00~17:30
会場:東京医科大学総合情報部棟 1F講義演習室
演者:小館 貴幸 氏 (司会:岩倉 孝明 氏)
演題:ケアされる存在としての人間
要旨:
現在、我が国では既に超高齢社会を迎え、日々のニュースで医療や介護の話題 が取り上げられない日はない程であり、これらは喫緊の課題として、私たちが取り組 むべき課題として突きつけられている。そこでは、様々な問題が山積しているわけで あるが、やはり本質的な問題は、人間の問題である。現場で起こる具体的なケアの諸 問題の背後で、大きな根となって横たわっているのは、「人間をどのような存在とし て捉え、どのように扱うべきであり、またそれはなぜなのか?」ということに他なら ない。
従来、ケアが語られる場合には、具体的なケアの仕方やケアの在り方が問題となるこ とが多く、たとえケアそのものが語られたとしても、ケアする側に主眼が置かれた議 論が多かった。しかし、ケアは人間の間になされる交わりであり、お互いの身体を介 した具体的な対話であり、関係そのものである。そこで本発表では、介護の現場に携 わっているという臨床の経験を踏まえ、対話的原理に依拠しつつ、「ケアする」とい う観点からさらに「ケアされる」という観点にまで踏み込み、ケアという関係性の基 礎づけを試みたい。
専門:哲学・死生学・介護
所属:立正大学
参加費:300円
◆10月例会 (第183回総合部会例会)
例会
日時:2009年10月4日(日) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階ドイツ語学科会議室
演者:大井 賢一 氏 (司会:棚橋實 氏)
演題:臨床研究を行う研究者に対する倫理教育の在り方
―「臨床研究に関する倫理指針」の改正を受けて
要旨:
臨床研究は新たな医療のエビデンスの創出を目的としており、基礎研究と並 んで重要な研究領域である が、わが国では臨床研究は基礎研究に比べて重要視され てこなかった。しかし近年、新薬の治験の活性化、革新的医薬および医療機器の開発 を進めるうえで臨床研究の重要性が認識され、その充実および強化が喫緊の課題とし て取り上げられている。同時に臨床研究は、ヒトを対象とした研究であることから、 2003年に「臨床研究に関する倫理指針」が策定され、本年4月1日に改正施行された。 今回の改正での注目点は、「ヒトを対象とした研究が行われる施設の長」は「ヒトを 対象とした臨床研究をする研究者」に臨床研究のための倫理教育をしなければならな いこと、「ヒトを対象とした臨床研究をする研究者」は倫理教育を受けた研究者でな ければならないこと、である。
今は改正施行されたばかりであるため、急にこのことで今までの臨床研究がストップ されることはないと思われるが、近い将来に何らかの検証があり、体制が整っていな ければ、その施設は臨床研究ができない事態を招くことが予想される。その結果、ヒ トを対象とする臨床研究が現状(注)から後退する事態を招くことも当然予想され る。
そこで、今後のわが国におけるヒトを対象とする臨床研究の発展に寄与するため、 本発表では今後重要な位置を占めると考えられる倫理審査委員会における倫理に関わ る委員の役割、および臨床研究をする研究者に対する倫理教育のあり方について考察 する。
注: わが国の基礎・臨床両研究分野の主要医学雑誌の掲載論文数は、基礎研究分野 で1998年以降、米国、ドイツに次いで3番目に多かった。それに対して臨床研究分野 では2002年まで12番目であったものが2003年以降は18番目と順位を下げている。
専門:医療倫理
所属:NPO法人ジャパン・ウェルネス、防衛医科大学校、埼玉医科大学
◆9月例会 (第182回総合部会例会)
例会
日時:2009年9月5日(土) 15:00~17:30
会場:東京医科大学 総合情報部棟 1F講義演習室
演者:森 禎徳 氏 (司会:小阪康治 氏)
演題:生命の商品化と統制――当事者不在の医療制度改革
要旨:
医療制度のあり方を考える際に経済を度外視することは非現実的であるが、経済=市場という短絡もまた危険である。医療の市場化は経済的に見ても非効率的 であり、医療は市場メカニズムが機能しない分野である点もさることながら、そもそも市場の失敗に備えるべき社会保障制度を市場に委ねることは、生命や健康 を市場的価値に還元し、社会的排除を促すという倫理的な問題を生じさせるからである。そこで市場を抑制・管理し、有限な医療資源を適正に配分する政府の役 割が重要となる。皆保険を中心とする日本の公的医療保険制度は医療へのアクセスの平等を最優先する点で高く評価されるべきであるが、現在政府が行っている 医療制度改革は医療費抑制を追求するあまり、市場原理の導入と当事者への統制強化という矛盾した二つの方向性を無秩序に推進し、医療の効率も公正も損ねた 結果、未曾有の医療危機を招いた。この「政府の失敗」を修正することは焦眉の課題であるが、既存の制度が随所で破綻しつつある現状では、単なる現行のレ ジームの部分的手直しでは不十分である。公正でしかも持続可能な公的医療保険制度を原点から再構築することはいかにして可能か、その条件を検討したい。
専門:カント実践哲学、医療倫理
所属:東邦大学医学部
◆7月例会 (第181回総合部会例会)
例会
日時:2009年7月4日(土) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室
演者:後藤 英司 氏 (司会:岸本良彦 氏)
演題:医学教育の現状について
要旨:
わが国の医学教育の基礎は明治時代にドイツ医学の教育方法の導入によって築かれた。戦後、GHQの指導により米国の教育制度の導入が試みられ、医師国家 試験やインターン制度が導入された。しかし、大学における医学教育は温存され、70年代に至るまで戦前とほぼ同じカリキュラムで教育が行われた。その後、 大多数の医科大学でベッドサイドでの実習、一部の大学で機能系統別のカリキュラムや問題基盤型PBL教育等が導入された。しかし、90年代になって、米国 等と比較してわが国の臨床教育が劣っているとの批判が高まり、平成13年に文部科学省は「医学教育モデル・コアカリキュラム」という形で、医科大学で教育 すべき内容を具体的に提示した。あわせて、4年次生で学生の習熟度を測定する共用試験の導入も図られ、平成17年から正式に実施されるようになった。その 後、19年に医療安全、地域医療、腫瘍などに関してコアカリキュラムの一部改正があった。一方、16年に導入された臨床研修制度は地方の医師不足を招いた として,20年から臨床研修制度の政治家主導の見直しがなされ、これに伴い、大学における臨床教育の前倒しや強化が文科省から提言されている。
専門:医学教育学
所属:横浜市立大学
◆6月例会 (第180回総合部会例会)
例会
日時:2009年6月6日(土) 15:00~17:30
会場:東洋大学(白山校舎)6号館1階第3会議室
演者:盛永 審一郎 氏 (司会:尾崎恭一 氏)
演題:iPS細胞の倫理的問題
要旨:
iPS細胞とは、すでに分化し終えた体細胞にいくつかの遺伝子を導入す ることにより、いわば初期化して、ES細胞と同じように多様な細胞に成長で きる能力を獲得した幹細胞のことである。最新の研究では細胞のテロメアも もとの長さに戻ると言われている。従って、癌化の危険性だけ取り除けば、 ES細胞とは異なり、倫理的問題(胚や受精卵を壊すこと)をクリアーしてい るだけに、再生医療に繋がる期待が大きい。しかし、その期待が、いつのま にか、「難病の治療法の解決のために」という目的から「生殖補助医療目的」 にすり替えられ、生殖のメカニズムをひもとくために利用されようとしてい る。すなわち、iPSを誘導して、ES細胞指針で禁止されていた精子や卵子とい う生殖細胞を実験室で作製する研究をはじめようというのである。最近の文 部科学省・厚生労働省合同専門委員会・総合科学技術会議の議論がそのこと を示している。これは、iPS細胞が日本では「人工多能性幹細胞」と訳された ことによると思われる。まさにこれまで神秘以外のものでな かった「生殖」 の模擬実験simulationに利用されるという宿命を負わされたのである。
かつてザイスの神殿の帳を開いたものはそこに自分自身を見たという。受 精卵に自分の娘を見た山中教授はiPS細胞に何を見たのだろうか?
専門:倫理学
所属:富山大学大学院医学薬学研究部医療基礎哲学
◆5月例会 (第179回総合部会例会)
例会
日時:2009年5月10日(日) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階 ドイツ語学科会議室
演者:関根 透、 島田道子 氏 (司会:浜田 正 氏)
演題:『臨床研究に関する倫理指針』と倫理審査委員会の役割
要旨:
『臨床研究に関する倫理指針』の遵守が、平成21年4月1日からいっそう厳し くなり、臨床研究を実施する研究者には、予め「講習」と「臨床教育」が義務付けら れることになった。今回の指針では、被験者への福利が厚くなり、研究者、研究責任 者、臨床研究機関の長の責務が強化されている。そこで、この倫理指針が実施される ようになった歴史的な経緯の概略を説明し、『臨床研究に関する倫理指針』について の目的や内容、改正の背景、さらには倫理審査委員会の役割などを説明したいと思 う。倫理審査委員の講習等は努力目標なっているものの、研究者や研究責任者の責務 は強化されており、実際には倫理審査委員会が大きな役割を果たさなければならない と思われる。つまり、機関の長に代わって研究者や研究責任者の指導をしなければ、 被験者の保護や社会から理解が得られないと思われるからである。田村氏が指摘する ように、研究者は研究が中心となり、「個人情報管理の認識度が低い」、「事後承諾 が多い」等(『医学哲学・医学倫理』24号、2006年)が指摘されている。そのために 倫理審査委員会が被験者の個人情報保護や補償に積極的な役割を果たすべきだと思っ ている。どうか会員の皆さんから忌憚のないご教示を賜りたいと願っている。
専門:関根透氏(倫理学、医の倫理の歴史) 島田道子氏(ドイツ語)
所属:鶴見大学歯学部
◆4月例会 (第178回総合部会例会)
例会
日時:2009年4月4日(土) 16:00~17:30
会場:芝浦工業大学 豊洲校舎 教室棟5階 515番教室※後記参照
演者:黒須 三惠 氏 (司会:福田誠二 氏)
演題:人の臓器等の利用における倫理的問題を考える
―特に乳幼児の場合
要旨:
近年、産学連携が重視される中、人の臓器等の利用が 高まっているが、倫理的にも適切な利用のあり方とはな んだろうか。何故利用できるのであろうか。現代におい ては、本人の自由意思は最大限尊重される。このことは、 人体実験に関する指針の基礎となった二ュルンベルグ綱 領に次のように記されている。「他の研究法や手段では 得られない社会の善となる結果を生む」という理由のみ では正当化されず、「被験者の自発的同意は絶対的本質 的なものである」と。では、同意を得ることが不可能な 乳幼児の場合はどうなるだろうか。人体実験でも、動物 実験や成人対象の実験や臨床経験の積み重ねから、乳幼 児に利益がもたらされると推測されるなら、親の承諾で も倫理的に許されるだろう。しかし、臓器や血液等の提 供のように本人に直接的利益をもたらさない場合はどう か。本人意思は乳幼児であっては未発達であり、それを 推測することは、親であっても乳幼児では不可能である。 未発達だから尊重することはないとすると、精神障害者 や認知症の場合にはどうなるのか。自由意思を尊重する 限り、乳幼児からの提供は不可能だろう。では、死亡後 はどうか。遺族から同意を得れば、臓器等を移植や研究 等に利用することは倫理的に問題はないのか。このこと は遺体をどう捉えるかにかかわるのである。
専門: 生命倫理・医療倫理
所属: 東京医科大学