関東医学哲学・倫理学会 会則の履歴

関東医学哲学・倫理学会 会則 
第1条 (名称) 本学会は日本医学哲学・倫理学会(以下、全国学会という)の関東支部であり、関東医学哲学・倫理学会と称する。

第2条(目的) 本学会は全国学会の目的に沿い、併せて社会の付託に答えることを目的とする。

第3条(総会) 本学会はその目的の実現のための協議及び研究発表の場として、年一回定例総会を開催する。
2 必要ある時は、定例のほかに随時総会を開催することができる。
3 総会はその都度、役員を除く総会出席者の内より議長を互選する。
4 議長は議決権を行使することなく議事を司り、賛否を決し得ない議事について裁量する。

第4条(構成) 本学会の構成員は、原則として、全国学会の会員のうち、東京、埼玉、千葉、神奈川、群馬、栃木、茨城、及び山梨に居住または勤務するものとする。
2 前項に該当する全国学会員の本学会への加入は任意とする。
3 1項以外の地域の全国学会員も本学会に加入することができる。
4 1項の条件で入会し、その後、その条件を満たさなくなった会員には、運営委員会が会員の継続の意思確認を行うこととする。
5 1項、2項、3項にかかわらず、学生その他は準会員となることができる。

第5条( 役員) 学会に役員として、会長一名、運営委員若干名、会計二名、監事二名を置く。
2 役員の任期は二年とする。但し再任を妨げない。
3 役員は総会に於いて、別に定める選出規程によって選出される。
4 会長は、学会を代表し、総会、運営委員会及び役員会を召集する。
5 運営委員は学会の企画、運営にあたる。
6 会計は決算及び予算を総会に提出し、学会の収支を運用する。
7 監事は学会の会計を監査する。

第6条(部会) 学会に研究実践活動の機関として部会を置く。
2 部会にはそれぞれ部会代表一名を置く。

第7条(会費) 学会員は年会費2,000円、準会員は1,000円を納入する。また入会の際、入会金1,000円を納入する。

第8条(事務局) 学会は事務局を設ける。
2 運営委員の互選により事務局長一名を選出する。
3 事務局長は事務局員若干名を指定することができる。

第9条(改廃) 本規約は総会出席学会員の三分の二以上の賛成をもって改廃される。

1995年 4月15日改工、同日施行
1996年 4月 6日改正、同日施行
1997年 4月 5日改工、同日施行
2001年 4月 7日改正、同日施行
2012年 4月 1日改正、同日施行
2013年 4月 7日改正、同日施行
2024年 4月14日改正、同日施行

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2014年度

2014年度の年間テーマ:
終末期における治療の中止・差し控えと、その倫理的問題

◆3月例会(第242回総合部会例会)

日時:3月8日(日) 15:00~17:30

会場:上智大学2号館13階法学部大会議室(2-1315)

アクセス:法学部大会議室(2-1315)ですが、いつも行われているドイツ語学科会議室と同じ上智 大学2号館内にあります。ただ6階ではなく13階にあり、エレベーターを13階で降りたら 右に進み、右側一番奥の扉が入り口となっている会議室です。

演者:棚橋 實 氏                               演題:「精神と実証主義(承前)」について

所属:芝浦工業大学

要旨:昨学の学会の大会で論旨は発表したが、さらに詳細に発表したいという趣旨である。精神疾患の急増について、これを時代の背景と歴史的転換をふまえて考察したが、単に医学的な見地からだけではなく、実証主義的な傾向の優勢な時代にあって、精神のあり方を根本から検討したいと考えている。精神については、西欧の二元論に基づいた見方があることに留意しなければならない。それはデカルトとパスカルとの論争による精神と物質の対立からくる二元論が鮮明になるにつれて。ようやく心と物の対立において哲学の対立が顕著になった。そしてその後、自然科学の発展と共に、実証主義が世界を席巻し、この対立は深刻さを増している。ここにおいて精神のとらえ方を一層深く、明確にしたいと考えている。

参加費:300円

◆1月例会(第241回総合部会例会)

日時:1月17日(土) 15:00~17:30

会場:上智大学2号館13階法学部大会議室(2-1315)

アクセス:法学部大会議室(2-1315)ですが、いつも行われているドイツ語学科会議室と同じ上智 大学2号館内にあります。ただ6階ではなく13階にあり、エレベーターを13階で降りたら 右に進み、右側一番奥の扉が入り口となっている会議室です。

演者:小館貴幸 氏                               演題:「ケアの物語としてのカレン・アン・クィンラン」について

所属:立正大学

要旨:尊厳死を考える上で決して欠かすことができないのがカレン・アン・クィンランの事例である。今から40年前、「死ぬ権利」の是非について、その裁判の行方は世界中で論争を巻き起こすこととなった。カレンの事例は、これまで法的観点や生命倫理学的観点では多く議論されてきたが、果たして生身の「人間の物語」として語られたことがあっただろうか。その判決の注目度に反比例し、人工呼吸器取外し後の9年間についてはほとんど語られることはなかった。しかし、彼女を想う人々と紡ぎ出されたこの9年間こそ、彼女の大事なもう一つの物語に他ならない。尊厳死法の提出も現実味を帯びている日本の現状を鑑みても、「尊厳死」という言葉のきっかけとなったカレンの物語を「完全な物語」として再び見直すことは決して無意味ではあるまい。本発表では、カレンへのケアに焦点を当て、特に人工呼吸器取外し後の9年間を浮かびあがらせることを意図するものである。

参加費:300円

◆11月例会(第239回総合部会例会)

日時:11月29日(土) 15:00~17:30

会場:上智大学 2号館10階ドイツ語学科会議室(6Fから10Fに移動しました)

アクセス: http://www.sophia.ac.jp/jpn/info/access/accessguide/access_yotsuya http://www.sophia.ac.jp/jpn/info/access/map/map_yotsuya

アクセスの際の注意: 当 日は道案内の掲示などは出ていません。土曜・日曜日は駅に 一番近い門は閉ざされています。土手沿いの道を進み、正門からお入り下さい。正門 を入ってすぐ左にある大きな建物が、2号館です。エレベーターは6つありますが、 半分(片側サイド)は5階までしか行きません。ご注意ください。エレベーターを降 りましたら、そのまま右にまっすぐお進み下さい。突き当たりの右側がドイツ語学科 会議室になります。

演者:山口育子 氏                               演題:「患者・家族からの電話相談を通して見えてくる終末期における治療の差し控えや中止の問題点」について

所属:NPO法人ささえあい医療人権センターCOML

要旨:日常の活動の柱である電話相談は、24年間で総数54000件を超えています。その中には、終末期の治療にまつわるさまざまな悩みや葛藤も寄せられています。その中から、治療の中止や差し控えに関係する具体的な内容をご紹介するとともに、患者の終末期と向き合う医療者に考えていただきたい内容をお伝えしたいと思っています。

参加費:300円

◆10月例会(第238回総合部会例会)

日時:10月18日(土) 15:00~17:30

会場:上智大学 2号館10階ドイツ語学科会議室(6Fから10Fに移動しました)

アクセス: http://www.sophia.ac.jp/jpn/info/access/accessguide/access_yotsuya http://www.sophia.ac.jp/jpn/info/access/map/map_yotsuya

アクセスの際の注意: 当 日は道案内の掲示などは出ていません。土曜・日曜日は駅に 一番近い門は閉ざされています。土手沿いの道を進み、正門からお入り下さい。正門 を入ってすぐ左にある大きな建物が、2号館です。エレベーターは6つありますが、 半分(片側サイド)は5階までしか行きません。ご注意ください。エレベーターを降 りましたら、そのまま右にまっすぐお進み下さい。突き当たりの右側がドイツ語学科 会議室になります。

演者:町野 朔 氏                               演題:「終末期医療のガバナンス」について

所属:上智大学

要旨:1. かつては、病気、加齢、死は本人とその家族、そして、彼らに近しい人たちの問題であり、基本的には私的な領域に属するものであった。しかし現在は、人々の終末に至るまでの人生に医療・福祉のプロフェッションが関わり、人々が病院で死ぬことが通常になっている。個人の死はもはや純粋に私的な問題ではなく、公的な政策決定(public policy)が要請される問題になっている。そして、終末期医療は医療の専権事項ではなく、医師と本人の「阿吽の呼吸」にのみ委ねられるものでもないのである。終末期医療においてもガバナンスが必要である。                         日本では、終末期の患者について行われた医療の中止(抜管など)に対して警察が介入する事件がいくつか起こり(道立羽幌病院事件〔2004年2月〕、射水市民病院事件〔2005年3月〕)、国民の間に日本の終末期医療に対する不信を生じさせた。他方、日本の医療関係者たちの間では、日本の法状況は不明確であり、自分たちの行動が警察の介入を招くことがないか、家族などの関係者にどのように対応すべきか分からない、などの不安があり、明確なルールを求める声が上がっている。                   2. 問題は2つある。第1はガバーンすべきルールの内容であり、第2はガバナンスの方法として何が適切かである。この2つは別の次元に属する問題であり、両者を混同すべきでも、融合すべきでもない。                            現在は、議論の重点は第2の問題に移っている。                  厚生労働省は「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」(2007年)を作った。その後、日本医師会、各医学会からも、各種のガイドラインの提言が出ている。これに対して、終末期医療のガバナンスのためには法律が必要であるという意見もある。「尊厳死法制化を考える議員連盟」は2種類の案からなる「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案」を公表している(2012年)。これは、きわめて限定された範囲でliving willに法的効力を認めようとするものである。               報告者は、日本の状況から見るなら、終末期医療のガバナンスの方法としては、立法は不適切だと思っている。

参加費:300円

◆9月例会(第237回総合部会例会)

日時:9月21日(日) 15:00~17:30

会場:東洋大学白山校舎8号館(大学院棟)中2階第2会議室

アクセス:こちらを参照ください

演者:船木 祝 氏                               演題:「高齢者の在宅における終末期医療の哲学的問題――地域の独居高齢者問題を手がかりにして」について

所属:札幌医科大学医療人育成センター

要旨:高齢化社会における重大な問題のひとつとして、一人暮らし高齢者の問題がある。孤独死、孤立化といった問題が社会において取り沙汰されているが、実際の高齢者一人一人がどのような思いで、どのような生活を送っているのか、その実情は十分に明確になっているとはいえない。そこで、本発表は、北海道の都市部札幌市と、全国的に見ても高齢化率が高い地域である留萌市に暮らす独居高齢者へのインタビュー調査を踏まえて、独居高齢者の現状を浮かび上がらせるとともに、そこにある哲学的問題について考察をすることを目的とする。独居高齢者は、さまざまな困難をかかえながらも、生活において工夫をしたり、バランスをとったり、周囲を観察したりしながら、当たり前の日常を送っている。そのような生活の根底にある考え方とはどのようなものか、という哲学的問題が浮かび上がる。そして、「今を大切に生きる」、「気楽な関係・場」、「人生・人間のモデル」、「現実の受容・後悔」、「他者に必要とされることの満足感」といったカテゴリーが考察対象になる。

参加費:300円

◆7月例会(第236回総合部会例会)

日時:7月6日(日) 15:00~17:30

会場:上智大学2号館法学部大会議室(2-1315)

アクセス:法学部大会議室(2-1315)ですが、いつも行われているドイツ語学科会議室と同じ上智 大学2号館内にあります。ただ6階ではなく13階にあり、エレベーターを13階で降りたら 右に進み、右側一番奥の扉が入り口となっている会議室です。

演者:三羽恵梨子 氏                               演題:「治療とエンハンスメントとの道徳的差異の検討:医療者に対する道徳的負荷を手がかりに」について

所属:東京大学大学院医学系研究科公共健康医学専攻                  専門分野:医学哲学、医療倫理

要旨:本発表においては、エンハンスメント(増強的介入)を題材として、この概念の意味・射程を検討する。エンハンスメントの定義については必ずしも研究者の間で明確な一致点が見いだされているわけではないが、それが肉体的改良、知的改良、道徳的改良等の形をとることは一般的に受け入れられている。その上で、多くの議論においては、この「エンハンスメント」を「治療」と区別して、前者を許容しない立場が見られる。この議論においては、「エンハンスメント」は、身体への技術的介入という包括的な概念の中で「治療の補集合」として位置づけられる。しかし、この「エンハンスメント=治療ではない身体介入」という定義は、それ自体では何の示唆を与えるものではなく、この定義が機能するためには、「治療とは何か」という問いに答えることが必要となる。だが、この「治療の定義」自体も自明ではない。治療は、しばしば「健康を実現する/病気を除去する手段」として語られるが、その健康・病気の概念自体が文脈により揺らぎ、容易には捉え難いものだからである。本発表では、この問題関心の下で、まずは一般的な意味での健康・病気の定義に関する議論を概観した上で、医療の目的の側から治療/エンハンスメントの議論を特徴づける。これを通じて、エンハンスメントという概念を、「治療の補集合」として消極的に捉えらるとどまらず、我々が「治療」という営為に対して有している期待をあぶり出す手がかりとして積極的に用いうる可能性がないか検討することが、本発表の意図するところである。

参加費:300円

◆6月例会(第235回総合部会例会)

日時:6月7日(土) 15:00~17:30

会場:東洋大学白山校舎6号館4階6406教室

アクセス:http://www.toyo.ac.jp/site/campus/campus-hakusan.html

演者:荒川迪生 氏                               演題:「安楽死・尊厳死をめぐる終末期医療の昏迷」について

所属:荒川医院、岐阜リビング・ウイルのあり方を考える会

要旨:生存の基本権とともに、死の迎え方の選択権の多様性が求められている。終末期の生存自体における不条理な苦痛を除くために、生命を意図的に短縮する安楽死がある。自発的積極的安楽死、自発的消極的安楽死を合法視する社会がある。消極的安楽死では、未だに生存が可能な疾患末期において、治療そのものが不開始・中止される。一方、自然な死を迎える尊厳死、自然死がある。そこでは死期が切迫し、もはや生存が不可能な生命末期において、単に死に逝く過程を過剰に引き延ばすに過ぎない延命措置が不開始・中止される。これは生命の意図的短縮ではなく、自然終焉である。このように死期の切迫度と治療義務の限界を考慮した場合の死の選択は許容されるべきであろう。我が国においては、死を迎えつつあるとする時期の定義があいまいなうえに、本人としては直面してもいない病態を乱暴に推定して、生存の尊卑を誇大視する風潮がある。そして、近い将来には死を避けることができない終末期の疾患末期であっても、未だ安定した相当の生活ができるにも拘らず、生きるに値する生存か否かに偏重する危うい風潮がうかがわれる。あいまいな尊厳死の美名に追いやられ、早く死に逝くことの美化は危険である。終末期にある患者とその家族に対する社会支援が不十分なこと、医療現場においても生命倫理やチーム医療が未熟なこと、司法的判断も成熟途上とも考えられる現代にあっては、まず国民の成長を促すことが肝要であり、いたずらに、解釈変更が起こりうる結論を急ぐ社会であってはならない。

参考資料:①昏迷の終末期医療 届かぬ医師のこころ 疎外される患者、岐阜リビング・ウイルのあり方を考える会編著、岐阜新聞社発行、2013年(分担執筆)➁荒川迪生、神原健治郎:自殺未遂事件に学ぶー保険給付制限と昏迷医療と司法判断、月刊/保険診療 2014;69:68-71

参加費:300円

◆5月例会(第234回総合部会例会)

日時:5月17日(土) 15:00~17:30

会場:早稲田大学 戸山キャンパス33号館7階現代人間論系論系室

アクセス: 戸山キャンパスの行き方 戸山キャンパス1 戸山キャンパス2

演者:羽金和彦 氏                               演題:「終末期の現状と倫理的検討課題」について

所属:国立病院機構 栃木医療センター 統括診療部長               専門分野:小児外科

要旨:現在、日本人の8割が病院で亡くなっており、終末期に医療が関与することは当然と思われています。しかし、50年前には逆に8割が家庭で亡くなっていました。本報告では、最初にライフケアシステム(辻彼南雄代表理事)により発表された「理想の看取りと死に関する国際比較研究」を紹介します。本邦における終末期の現状と諸外国との比較が行われた研究です。次に終末期の病態を概観し、終末期に行われる医療的処置の効果と
意味について整理するために、三種類の死の軌道(trajectory):がん、心疾患、認知症に関するLynn&Adamsonの研究を紹介します。各々の死の軌跡を分けて考えることは終末期医療の倫理を考えるために必要な事と思います。さらに、医療施設で用いられている延命医療、蘇生拒否のインフォームドコンセントを提示し、各学会の終末期医療に関するガイドラインの現状を報告します。最後に死に携わる者から見た終末期医療における倫理的課題と現状を列挙したいと思います。

参加費:300円

◆4月例会(第233回総合部会例会)

日時:4月13日(日) 16:30~19:00

会場:上智大学 2号館6階ドイツ語学科会議室

アクセス: http://www.sophia.ac.jp/jpn/info/access/accessguide/access_yotsuya http://www.sophia.ac.jp/jpn/info/access/map/map_yotsuya

アクセスの際の注意: 当 日は道案内の掲示などは出ていません。土曜・日曜日は駅に 一番近い門は閉ざされています。土手沿いの道を進み、正門からお入り下さい。正門 を入ってすぐ左にある大きな建物が、2号館です。エレベーターは6つありますが、 半分(片側サイド)は5階までしか行きません。ご注意ください。エレベーターを降 りましたら、そのまま右にまっすぐお進み下さい。突き当たりの右側がドイツ語学科 会議室になります。

演者:奥田純一郎 氏                              演題:年間テーマ「終末期における治療の中止・差し控えと、その倫理的問題」について

所属:上智大学

要旨:今回の報告においては、2014年度関東医学哲学・倫理学会(以下、本会)総合部会の年 間テーマ「終末期における治療の中止・差し控えと、その倫理的問題」について趣旨説 明と、関連する論点の提示を行う。 年間テーマは、2015年1月27日に実施される予定の日本医学哲学・倫理学会(以下、全 国学会)公開講座と同じである。今年度の本会総合部会の活動は、この全国学会公開講 座に向けての準備と、終了後に同公開講座の成果を踏まえた議論を継続するための足掛 かりを作ることを中心に行う予定である。 同公開講座の企画によれば、終末期医療における実践では患者・家族・医療従事者らの 「話し合い」が重要であるとの認識は今日共有されているが、医療従事者と患者側の情 報格差から医療従事者側の裁量権による「死の管理化」がおこなわれうること・患者本 人の意思が不明な場合の代行決定権行使者として家族が適任であるのか不明であること ・「話し合い」の形式や程度に関する具体的な基準が不明であること等の疑問点が提示 されており、その考察のために公開講座では、医療従事者(医師・看護師)、患者・家 族のオブザーバーを務めてきたNPO法人関係者の声を聴き、また全国学会会員による 理論的視座の提示を踏まえ、一般市民がこの問題に関し考察を深める機会を与える、と している。 本会総合部会としては、今年度を通じ、同公開講座企画書で指摘された論点につき議論 を深めることを中心に活動する。また同時に、企画書では直接指摘されていない論点に ついても議論を重ね、それによって公開講座の成功に寄与することを期する。例えば ・事前の「話し合い」の副作用(終末期医療の差し控えを決めた患者には、本来なすべ き治療に関しても懈怠が生じうる・あるいはそのように誘導される危険性) ・実体的な許容範囲が明示されていない手続き的「話し合い」ガイドラインの哲学的含 意 ・終末期医療に関する実体的許容範囲を定める(あるいは定めない)立法・行政の責任 ・患者本人が無能力の場合でも決定をなす場合の「代行」という法的構成の適切性 ・本人以外の者が決定する場合の「誰が」(決定主体)「どの程度」(決定範囲)問題 と、その前提としての「何故」(決定理由)問題の連関と断絶 等が考えられるが、この他にも論ずべき問題はあると思われる。年度初頭の4月例会の 議論を通じて、論ずべきこと・その程度や範囲・適切な報告者についての情報交換を行 って頂ければ幸いである。

参加費:300円

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会誌『医学哲学と倫理』

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『医学哲学と倫理』第9号(2011年度)

『医学哲学と倫理』第10号(2012年度)

『医学哲学と倫理』第11号(2013年度)

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関東医学哲学・倫理学会『医療と倫理』執筆要領

関東医学哲学・倫理学会『医療と倫理』執筆要領(改訂:2023年7月9日)

1. 原稿は横書きとし、和文の文章は「である」調を原則とする。読点は「、」、句点は「。」を使用する。英文を希望する場合は、別途相談されたい(論文本文は、和文以外は英文のみとする)。

2. 提出原稿は、Microsoft Word(40字×40行)によって作成した電子ファイルとする。なお、事情によって手書き原稿提出を希望する場合は、別途相談されたい。

3. 原稿の1頁目に次の諸点を記載する。
①原稿の種類
(1)原著論文[査読付き]
(2)依頼論文[査読なし]
(3)一般論文[査読なし]
(4)研究ノート
(5)実践報告
(6)エッセイ
(7)書評
(8)翻訳
(9)その他
②原稿の表題
③執筆者の氏名および所属
④執筆者の連絡先(住所および電子メールのアドレス)

4. 原稿の本文は、原稿の2頁目から記載する。
本文の冒頭に原稿の表題を記載する。表題は、原則として副題も含め50字程度以内の日本語表題とその表題に対応する英文タイトルを併記し、行を改めて執筆者の所属・氏名を記載する(和文と英文を併記)。

5. 英文要旨・キーワードについて
原著論文は、掲載が決まった場合には、英文要旨(300語以内)とキーワード(5 語以内、邦語と英語)を編集委員会の求める時期に提出する。ネイティブ・チェックを受けた英文要旨、およびネイティブ・チェックを受けたことを証明する書類(紙媒体の書類は スキャナで読み込む等によりPDF形式等の電子媒体に変換すること)を、日本語訳と合わせて提出する。

6. 欧文表記は原則として半角文字を使用する。

7. 注は本文に注番号を記入し、原稿の末尾に注書きをまとめる。

8. 引用文献、参考文献は、注にすべてを記す方法、あるいは注と文献リストを併用する方法のどちらを選択してもよい。いずれにしても、原典が明らかになるように、著者名、書名ないし論文名、雑誌名、出版社名、発行年、巻、号、引用個所頁数等を明記する。記載の仕方については、別添の「注および文献の表記法」に則って行う。

9. 図表は必要最小限とし、原則として1点につき400字分で換算する。

10. 原著論文・依頼論文・一般論文・研究ノートの原稿は、注を含め、原則として16,000字程度とする。文字数を以下の要領で確認し本文末尾に記載すること。
(1)文字数は本文および注でカウントし、図表は1点につき400字に換算する。
(2)Microsoft Wordの入力画面左下に表示された「文字数」を原稿の末尾に記載する。この「文字数」には注を含めた原稿全体の文字数がカウントされるようにすること。

11.  提出原稿は、原則として電子ファイルを電子メールに添付して編集委員会宛に送付すること。

12.  本誌「医療と倫理」に掲載されたすべての原稿の著作権は、原則として本学会に帰属する。ただし、掲載された原稿の著者本人による利用については,本学会は原則として異議を申し立てない。また、掲載された原稿は、原則として電子媒体でも閲覧可能になる。

13.  編集委員会は、本誌「医療と倫理」に掲載されるすべての原稿について、本誌の学問的水準を保つために必要な範囲で編集上の判断を行う権限を有する。

14.  編集委員会は、本誌「医療と倫理」の編集方針に沿って、適切と判断される執筆者に対して、依頼原稿の執筆を依頼できる。

15.  提出原稿の掲載採否等は、以下のような手続きを経て編集委員会が決定する。
(1) 原著論文については、編集委員会の指名した第三者による査読を経て編集委員会が決定する。その際、査読結果に従って、編集委員会は論文執筆者に原稿の修正を求めることができる。
(2) 一般論文、およびその他の種類のすべての原稿については、宗教や政治等に関する極端に偏った一方的な主張、個人や団体等に対する不当な偏見・差別的表現・誹謗中傷等、当学会誌に掲載する文章として著しく不適切な内容が含まれる場合には、編集委員会の判断によって当該原稿の掲載を拒むことができる。それ以外の場合には、提出原稿は原則として査読を経ることなく掲載が可能となる。ただし、すべての提出原稿は編集委員会の指名した第三者がこれを検討する。また、編集委員会は、当該原稿を検討した第三者の意見を受けて、本誌「医療と倫理」の学術的水準を保つ目的で、原稿執筆者に対して原稿の内容上および形式上の修正を求めることができる。

16.  以上のほかにも、編集委員会は、本誌「医療と倫理」の学術的水準を保つために必要と認められた点について、随時執筆者に相談することができる。

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これまでの役員体制の履歴

2022-23年度役員

会  長 江黒忠彦
運 営 委 員 朝倉輝一、岩倉孝明、江黒忠彦、尾崎恭一、勝山貴美子、黒須三惠、小館貴幸、近藤弘美、島田道子、中澤武、長島隆、米田祐介、宮下浩明(五十音順)
会  計 勝山貴美子、近藤弘美
監  事 今井道夫、小阪泰治
総合部会代表 小館貴幸
事 務 局 長 朝倉輝一

 

2020-21年度役員

会  長 江黒忠彦
運 営 委 員 朝倉輝一、岩倉孝明、江黒忠彦、冲永隆子、尾崎恭一、勝山貴美子、黒須三惠、小館貴幸、近藤弘美、島田道子、中澤武、長島隆、米田祐介、宮下浩明(五十音順)
会  計 勝山貴美子、近藤弘美
監  事 棚橋實、福山隆夫
総合部会代表 小館貴幸
事 務 局 長 朝倉輝一

 

2017-19年度役員

会  長 江黒忠彦
運 営 委 員 朝倉輝一、岩倉孝明、江黒忠彦、冲永隆子、尾崎恭一、勝山貴美子、黒須三惠、小館貴幸、島田道子、中澤武、長島隆(五十音順)
会  計 島田道子、勝山貴美子
監  事 棚橋實、福山隆夫
総合部会代表 小館貴幸
事 務 局 長 朝倉輝一

 

2015年度全役員

会  長 黒須三惠
運 営 委 員 朝倉輝一、石田安実、岩倉孝明、江黒忠彦、冲永隆子、尾崎恭一、勝山貴美子、黒須三惠、小館貴幸、島田道子、長島隆、中澤武、村松聡、山本剛史 森禎徳(以上15名)
会  計 小館貴幸、島田道子
監  事 関根透、福山隆夫
総合部会代表 森禎徳
事 務 局 長 朝倉輝一

 

2014年度全役員

会  長 田村京子
運 営 委 員 朝倉輝一、浅見昇吾、石田安実、岩倉孝明、江黒忠彦、冲永隆子、奥田純一郎、尾崎恭一、勝山貴美子、黒須三惠、小出泰士、小松楠緒子、清水良昭、田村京子、坪井雅史、長島隆、中澤武、村松聡、山本剛史 森禎徳(以上21名)
会  計 山本剛史、森禎徳
監  事 関根透、福山隆夫
総合部会代表 奥田純一郎
事 務 局 長 清水良昭

 

2013年度全役員

会  長 田村京子
運 営 委 員 朝倉輝一、浅見昇吾、石田安実、岩倉孝明、江黒忠彦、冲永隆子、奥田純一郎、尾崎恭一、勝山貴美子、黒須三惠、小出泰士、小松楠緒子、清水良昭、田村京子、坪井雅史、長島隆、中澤武、浜田正、村松聡、山本剛史 (以上20名)
会  計 山本剛史、森禎徳
監  事 関根透、福山隆夫
総合部会代表 奥田純一郎
事 務 局 長 清水良昭

 

2012年度全役員

会  長 田村京子
運 営 委 員 朝倉輝一、浅見昇吾、石田安実、岩倉孝明、江黒忠彦、冲永隆子、奥田純一郎、尾崎恭一、勝山貴美子、黒須三惠、小出泰士、小松楠緒子、清水良昭、田村京子、坪井雅史、長島隆、中澤武、浜田正、村松聡、山本剛史 (以上20名)
会  計 山本剛史、森禎徳
監  事 関根透、福山隆夫
総合部会代表 奥田純一郎
事 務 局 長 清水良昭
2011年度関東支部全役員
支 部 長 浅見昇吾
運 営 委 員 朝倉輝一、浅見昇吾、岩倉孝明、江黒忠彦、冲永隆子、奥田純一郎、尾崎恭一、勝山貴美子、黒須三惠、小出泰士、小松楠緒子、清水良昭、坪井雅史、長島隆、中澤武、浜田正、福田誠二、宮下浩明、村松聡 (以上19名)
会  計 中澤武、山本剛史
監  事 関根透、福山隆夫
総合部会代表 朝倉輝一
事 務 局 長 坪井雅史
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test20200119

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『医学哲学と倫理』第11号(2013年度)

目次

・林 大悟 「『人の死』問題と倫理学」1-7頁[PDF](2013年7月22日)

・古関明彦 「再生医療は産業たりうるか?」8-15頁[PDF](2013年7月22日)

司会のまとめ(田村京子)16頁[PDF](2013年7月22日)

・田村京子 「ヒトの要素をもつ動物を作製することはどこまで許されるのか?」17-38頁[PDF](2013年10月30日)

カテゴリー: 総合部会 | 『医学哲学と倫理』第11号(2013年度) はコメントを受け付けていません

2012年度の総合部会

2012年度の年間テーマ:高齢者医療と自己決定


◆3月例会(第221回総合部会例会)

日時:3月2日(土) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階ドイツ語学科会議室

演者:有馬 斉 氏(司会 村松 聡 氏)
演題:人格の要求する敬意は自殺幇助や安楽死と矛盾するか
要旨:
終末期医療の倫理について報告する。中でも非帰結主義を前提に積極的安楽
死(および自殺幇助)正当化論を展開したFrances KammとJeff McMahanの議
論に注目する。
KammやMcMahanを含む非帰結主義者の多くは、人の生命を破壊することの
是非を論じる際、(a)その生命が主体にもたらしている利益や害の価値と、(b)そ
の生命の主体がそれが人格であるということのために有する価値とを区別する。
そこで、人格を相手とする場合はそれにふさわしい行為規範があり、これは当の
人格に及ぶ利益や害の量によってだけ決まることではないと主張する。とくに、
人格の生命を破壊することは、仮にそうすることが殺される本人や周囲の人々
の利益に叶うとしても許容されない場合があり、その根拠は殺される対象が人
格であるということにあるとされる。
KammとMcMahanはいずれもこの枠組を支持すると同時に、実際にこれを応
用して安楽死・尊厳死の是非を論じている。また、人格が対象であってもなお
積極的安楽死と自殺幇助の正当化できる場合があると結論する。
本報告ではかれらの議論の強度を検討する。また、帰結主義者(功利主義者)
による積極的安楽死正当化論との比較を通して、かれらの立論の特徴と、終
末期医療の倫理をめぐる論争におけるその意義が明らかになるようにしたい。
*主な参考文献:①F. Kamm, “Physician-Assisted Suicide, Euthanasia,
and Intending Death,” in M.P. Batting et al. eds., Physician Assisted Suicide:
Expanding the Debate, Routledge, 1998、②J. McMahan, The Ethics of Killing,
OUP, 2002

所属:横浜市立大学国際総合科学部
専門:哲学、倫理学

参加費:300円


◆2月例会(第220回総合部会例会)

日時:2月10日(日) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階ドイツ語学科会議室
演者:岩倉 孝明 氏(司会 宮嶋 俊一 氏)
演題:医療における隠喩使用の可能性
要旨
かつて「病い」は文学、美術等における有力なテーマであった。これに対し、
スーザン・ソンタグが「隠喩としての病い」他の著作で、病いを隠喩として語る
ことを厳しく批判したことはよく知られている。結核、癌、エイズなどの病いに
ついて、それが純粋に医学的に意味する以上の含意をこめて語ることを批判した
のである。
しかしこのように超然としていることは、常に可能というわけではない。また
後にソンタグ自身が認めた通り、隠喩は私たちの言語に深く根を下ろしており、
それを言語から取り去ることは困難である。さらに隠喩は巧みに使えば、ポジティ
ブな力をもちうる。それならば隠喩と「うまくつき合う」道を考えることが賢明
であろう。
結論を先取りすれば、隠喩の使用は、医師・医療者の物語と患者の二つの物語
の間の調停を行うための一つの有効な言語的仕組みになりうるのではないか。た
とえば医師が、患者の物語を理解した上で、巧みな仕方で病いその他について隠
喩を用いるとしたら、医師は医師としての物語を維持しつつも、患者の病いにつ
いて、患者にも受け入れられうる語りを行うことができるのではないか。
隠喩は、ものの見方(病いの見方)を構成し直す力がある。また隠喩は、聴者
に対して、文脈・状況から話者の意図(意味)を理解することを要求する。しか
しその解釈には、一定の開放性、つまり聴者の主体性が生きるような解釈の自由
の余地を残している。その解釈の可能性の振幅の大きさの故に、隠喩はネガティ
ブにもポジティブにも、聴者に少なからぬ影響を与え得る。これは話者と聴者に、
想像力の活動を許し、科学(生物医学等)の枠組みに沿ったな言語使用からの一
定の解放を認めることにつながる。
こうした隠喩使用の特性を考えながら、医療者と患者の物語が交差する場面で、
隠喩がどんな力や意義をもちうるか。この発表ではこうした点をめぐって考察し
てみたい。

所属:川崎市立看護短期大学
専門:生命倫理学・哲学

参加費:300円


◆1月例会(第219回総合部会例会)

日時:1月12日(土) 15:00~17:30
会場:上智大学 2号館6階ドイツ語学科会議室

演者:兼松 誠 氏(司会:山本 剛史 氏)
演題:ハンス・ヨナスの責任倫理の射程--倫理学の方法論および限界について
要旨:
ハンス・ヨナスは生命倫理学や環境倫理学といった応用倫理学の分野でしばし
ば言及されてきた。それでは彼の主張した「責任の倫理」は応用的な倫理なのだ
ろうか?彼の注目のされ方とは対照的に、彼の哲学は形而上学や宇宙論を常に志
向していた。そして彼は形而上学的もしくは宇宙論的根底から倫理学が切り離さ
れていることに危機意識を持っていた。すなわち、彼の課題の一つは倫理学をニ
ヒリズムから救う事であったと言ってよい。彼はそれをどのように論じようとし
たのかを、今回の発表では議論したい。特に、倫理学の方法論としての責任、そ
して倫理学の限界としての責任という観点から、ヨナスの責任倫理学の奥行きを
提示できたらと考えている。倫理学の限界という後者の観点は、生命倫理学批判
として重要な意味を持っているはずである。

専門:倫理学
所属:聖学院大学アメリカ・ヨーロッパ文化学研究科博士後期課程

参加費:300円


◆12月例会(第218回総合部会例会)

日時:12月1日(土)15:00~17:30
会場:東洋大学 白山校舎6306教室(6号館3階)

演者:長島 隆 氏(司会:小松 奈美子 氏)
演題:<遠隔医療>の現在-個人情報保護法成立後の展開とその問題点
要旨:
すでによく知られているように、医療情報に関わる問題として「電子カルテ」の現場への導入、「遠隔医療」の展開など、医療情報をめぐる動きは急展開してい る。本発表では、「遠隔医療」に絞って問題を解明していくことにしたい。問題は、この医療情報は「インティミットな情報」であり、この保護に関してはきわ めて慎重に行われなければならないことである。2003年に日本においてもグローバルな動きと連動して、「個人情報保護法」が制定された。この法制定に よって、状況は変わったのかどうか、それが大きな問題となる。
とりわけ、E-Mailの安全性は、以前と変わらない状況にあり、ドイツでは、医療情報に関して、メイルを利用する際のガイドラインが10年以上前に制定 されている 。だが、日本では、このようなメール利用のためのガイドラインさえも制定されておらず、「暗号化」という技術的な防衛に任されているだけであるように見え る。
今日、「個人情報保護法」によって、「遠隔医療」は急速に普及される動きが見えるが、果たしてそれで防衛可能であるかどうか。
本発表では、急速に進展させられている「遠隔医療」計画が、はたして、患者個々人の「医療情報」の保護という観点から見て、「個人情報保護法」制定という新しい段階で、それにふさわしいヴァージョンアップがなされているのかどうか、この点の分析を行うことにしたい。

専門:哲学、ドイツ観念論における自然哲学(ヘーゲル、シェリングを中心とする)および社会哲学の研究
所属:東洋大学文学部哲学科教授 東京薬科大学客員教授

参加費:300円


◆11月例会(第217回総合部会例会)

日時:11月3日(土)15:00~17:30
会場:上智大学2号館6階 ドイツ語学科会議室

〇第1報告

演者:冲永 隆子 氏(司会:五十子 敬子 氏)
演題:小児脳死臓器移植の倫理的課題
要旨:
本発表では、1)わが国の臓器移植法改正(2010年7月施行)における議論や、2)国内初の15歳未満児童からの臓器摘出(2011年4月)、また富山 の6歳未満児童からの臓器摘出(2012年6月)での議論を通じて、3)「犠牲を伴う医療“Medical Care involving sacrifice”」のあり方を問い、「思いやりの医療“Compassionate Medical Care”」とは何かを考える。
1)周知のように、今回の法改正では、15歳以上というドナーの年齢制限の撤廃によって、家族の書面により、15歳未満児童でも臓器提供が可能になった。 脳死の子どもに向けられる法改正前からの懸念は、「長期脳死」の子どもの存在、被虐待児童からの臓器提供の可能性等であるが、各種の団体の国会への働きか けは力が及ばず、最終的に脳死の子どもを法的に「死体」とみなす条文を含む臓器移植法が可決された。
2)法施行から1年経った2011年4月12日に国内初の15歳未満児童(報道では「交通事故による死」)からの臓器提供が報道されたが、実際にドナー少 年の死は「交通事故による死」ではなく、「列車への飛び込み自殺」によるものだった。2012年6月の6歳未満児童からの臓器提供に関するマスコミ報道に おいても、死因は「事故」だとされている。法改正前から懸念されていた倫理問題が現実のものとなり、小児移植医療の背後に潜む闇の部分が浮き彫りとなっ た。
3)悲しみの中で臓器提供を決断したドナー両親の思いと、移植しか治療法のないレシピエントとその家族の苦しみを受け止めながらも、死因が追求されずに 「思いやりの医療」として讃美される現状について、今一度考えていきたい。「救われるいのち」のために「棄てられるいのち」が必然となる、犠牲を伴う脳死 移植の現状と、そこにかかわる隠された弱者(脳死の子どもとその家族)の痛みや苦悩に多くの人々がどう向き合っていくのか。本発表では、小児脳死移植の倫 理的課題を検討し、そこにおけるいのちの矛盾とその苦悩を私たちがどう受け止め、支えていくのかの議論を共有していきたい。

専門:生命倫理学
所属:帝京大学医療技術学部

〇第2報告

演者:石田 安実 氏(司会:五十子 敬子 氏)
演題:インフォームド・コンセントにおける「緩やかなパターナリズム」は可能か
要旨:
インフォームド・コンセントに対するアプローチとして、近年では、「情報開示モデル」ではなく「会話モデル」がよしとされる。前者の一方向コミュニケー ションでは、患者の希望・価値観・自己決定などが抑圧されがちになり、それとは対照的に、後者のモデルの双方向コミュニケーションにおいては、インフォー ムド・コンセントにとって重要な患者の「自律性」がより尊重される。一方向コミュニケーションから双方向コミュニケーションへ、患者の「自律性」の抑圧か ら尊重へという流れ、それは確かに好ましいものであろう。
しかし、双方向コミュニケーションの「会話モデル」は、医師・患者の立場間の対等的・対称的関係を保証するものではない。むしろ、医師-患者間関係につい てのさまざまな分析は、その関係が本質的に非対称であることを明らかにする。つまり、「会話モデル」によって双方向コミュニケーションが確保されても、そ の関係の非対称性は避けられない。また、「会話モデル」は、実際の治療行為決定の文脈や裁判での再現性を考慮すると、実用的であるとは言い難い側面もあ る。本発表は、医師-患者間の本質的な非対称性を踏まえ、しかも現実の適用においてより実用的なモデルとして、「緩やかなパターナリズム」モデルを提示す る。それは、医療提供者側が患者の希望・価値観・背景を完全には知り得ないということを認める点で「パターナリズム」であり、医療提供者側が情報の開示に おいて患者側からのいかなる質問にもオープンでなくてはならないという点で、それは「緩やか」なのである。

専門:哲学(特に、心の哲学、認識論)、倫理学
所属:横浜市立大学非常勤講師


◆10月例会(第216回総合部会例会)

日時:10月6日(土)15:00~17:30
会場:上智大学2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:田村 京子 氏(司会:黒須 三惠 氏)
演題:生体臓器移植の倫理

要旨:
本発表の目的は、生体臓器移植が医療として倫理的に正当であると認められるための要件を明確にすることである。
一般に、生体臓器移植は脳死・死体臓器移植ができないなど「やむをえない場合」に例外的補完的に行われるものと位置づけられている。だが、日本では、移植 医療が始まって以来、一貫して、脳死・死体からの提供臓器のよる移植件数より、生体移植の方が圧倒的に多い(脳死からの提供でなければ移植されない心臓を 除く)。脳死・死体臓器は本人あるいは家族の意思による人道的精神に基づく非指定提供であり、一旦社会へ提供され、社会的資源とみなされて日本臓器移植 ネットワークにより公平に配分されるのに対して、生体臓器提供は本人の意思による家族への指定提供であり、実施は各医療機関にまかされている。脳死・死体 移植については脳死を人の死とみなすかどうかを中心に論じられ法も制定されたが、これに比較すると、生体臓器移植は家族内の私的な出来事であるためか、あ まり論じられてこなかった。
発表では、臓器売買の禁止を前提として、以下の3つの要件について考察する。
1. 生体臓器提供は義務を超えた行為であること。
2. 生体臓器提供はドナー候補者の自由意思による提供でなければならないこと。そのさい、家族内での提供圧力に抗して、いかに自由な意思決定ができるかを考える。
3. レシピエントの利益とドナーの利益が、レシピエントの不利益とドナーの不利益を凌駕するという条件を満たしていること。

専門:倫理学
所属:昭和大学富士吉田教育部


◆9月例会(第215回総合部会例会)

日時:9月1日(土)14:30~16:30
会場:上智大学2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:近藤 弘美 氏(司会:石田 安実 氏)
演題:リベラル優生学における問題―他者危害の原則の適用に関して―

要旨:
本発表では、近年急速な発展を遂げている遺伝子技術の使用に関する一つの立場を考察する。その立場とはリベラル優生学(または新優生学)と呼ばれるもので ある。リベラル優生学は、親が自ら進んで自分の子供の遺伝子操作をすることは基本的に許されると主張する。このリベラル優生学に対して、他者危害の原則の 観点から検討を加えたい。
まず、リベラル優生学の歴史とその特徴を概説する。リベラル優生学は、1990年代後半からヒトゲノム計画の実施や生殖技術の向上を背景に現れた。旧来の 優生学との比較を踏まえて、優生学とリベラル優生学の違いなどを考察しながら、リベラル優生学の特徴を述べる。次に、リベラル優生学を支持する生命倫理学 者であるニコラス・エイガーの議論を取り上げる。エイガーは、他者危害の原則を前提とした議論を行っている。すなわち、生まれてくる子供のライフ・プラン の選択を妨げない限り、基本的に親が子供の遺伝子操作をすることは道徳的に許されると彼は論じている。このエイガーの主張は、一定の制約を設けた上での親 の選択による子供の遺伝子操作を認めており、穏健な主張だと言えるかもしれない。しかし、その主張にも問題があることを最後に指摘したい。その問題とは、 ①生まれてくる子供に行う遺伝子操作の是非を議論する際には、他者危害の原則が適用できないこと、②他者危害の原則が正しいと言えるために根拠となる議論 が欠けていることの二点である。

専門:倫理学、生命倫理学
所属:お茶の水女子大学


◆7月例会(第214回総合部会例会)

日時:7月7日(土)15:30~17:30
会場:上智大学2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:小出 泰士 氏(司会 水野 俊誠 氏)
演題:フランスの終末期医療について

要旨:
フランスでも1960年代にはすでに、終末期医療の問題が社会の関心事となっていた。しかし、1994年のいわゆる生命倫理3法においては、終末期医療に 関しては立法化されなかった。そのため、終末期医療については、生命倫理のそれ以外の問題とは別個に検討され、立法化された。
1999年の「緩和ケアを受ける権利を保証するための法律477号」において、緩和ケアと寄り添いを受ける患者の権利が認められた。2002年の「患者の 諸権利及び保健制度の質に関する法律303号」においては、「いかなる医療行為もいかなる治療も、患者の情報を与えられた上での自由な同意がなければ実施 することはできないこと」が規定された。つまり、患者が治療を拒否または中止する意思を示した場合、たとえそのことが患者の生命を危険にさらす可能性が あっても、「医師は患者の意思を尊重しなければならない」ことが規定された。また、成人の患者は、自分の意思を表明できなくなったり必要な情報を受け取る ことができなくなったりした場合に備えて、「信任された代理人」を指名することができるようになった。
そうした経緯を経て、2005年に、フランスの尊厳死法に当たる「患者の諸権利及び生命の終わりに関する法律370号」が制定された。フランスでは、患者 の意思に基づく治療中止による消極的安楽死が容認された。しかし、近隣のオランダ、ベルギーなどとは異なり、積極的安楽死は認められていない。故意に患者 の生命を短縮することは、医師の基本的倫理原則に反するとの考えからである。そのかわり、緩和ケアを受けることを患者の権利として認め、苦痛をはじめ、患 者の終末期の状態をコントロールすることができれば、積極的安楽死を要請するような状況はかなり回避できるのではないかと考えている。
発表では、以上のようなフランスの終末期医療に対する考え方を詳しく紹介し、それについて検討したい。

参考文献:拙論「第7章 仏語圏の生命倫理」『シリーズ生命倫理学 第1巻』
(丸善、2012年)

専門:倫理学、生命倫理学
所属:芝浦工業大学


◆6月例会(第213回総合部会例会)

日時:6月2日(土)15:30~17:30
会場:上智大学2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:荒川 迪生 氏(司会:今井 道夫 氏)
演題:患者への日常的、個別的、文書による診療情報提供
    ―患者と医師の双方における負担と利益、患者の自己決定への有用性を考える-
要旨:
電子機器による診療記録の保存能力は飛躍的であるが、診療録自体は依然として粗雑で断片的で、整理が遅滞している。診療情報整理の基本のひとつは、初診 時からの診療を概括し、実用的で適切に要件を満たした診療情報の要約(サマリー)作成である。これはかかりつけ医自身の個人内診療の深化を図る垂直的分析 である。もうひとつは、かかりつけ医と患者・対診医・薬剤師・医療スタッフ間で、診療情報のサマリーを共有することである。これは関係者個人間の診療コ ミュニケーションを図る水平的分析である。とりわけ、患者中心の診療情報共有が、患者の自己決定に貢献すると考える。
本報告の目的は「外来診療の要約」の様式を標準化し、年1回更新する「年刊サマリー」を患者に提供し、併せて健康管理手帳に診察所見、各種検査所見を網羅した診療内容を開示することの実用性と有用性を分析することである。
年刊サマリーは労力と時間のかかる作業ではあるが、かかりつけ医は自身の診療補強や修正ができ、対診医等に対する診療情報の伝達が改善できる。院内医療 関係者は診療内容を確認でき、分担業務を遂行できる。健康管理手帳を介した診療開示により、患者自身は診療内容を確認でき、かかりつけ医の信頼が増す。ア ンケート結果からは、患者が自主的に自己管理する姿勢、自己決定の強化が推測されるものの、かかりつけ医の自主的サービスに依存する面も大きいと推測され る。(要旨全文資料

所属: 荒川医院副院長

参加費:300円


◆5月例会(第212回総合部会例会)

日時:5月13日(日)15:00~17:30
会場:上智大学2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:小山 千加代 氏(司会:小館 貴幸 氏)
演題:高齢者の看取り:
    終末期における医療・看護の実情と高齢者の自己決定に関する諸問題
要旨:
今年の関東支部会のテーマは「高齢者医療と自己決定」に決定されたと伺って おります。今回は、高齢者医療の中でも特に終末期医療と看護について取り上げ、 考えてみたいと思います。
5人に1人が65歳以上高齢者で、年間死亡者数が出生数を上回るようになった現 在、高齢者の看取りの問題は深刻さを増してきています。特に高齢者の場合には、 長い経過をたどって死に至るため、その間の看護や介護をどこでどのように受け るか、医療処置をどこまで受けるかという点では、高齢者の自己決定が大切であ りながら、高齢者の希望通りにはいかないことが少なくありません。
高齢者の終末期は、がん等の患者とは異なり、余命の予測が難しく、日本老年 医学会(2012)においても「近い将来死が不可避となった状態」と、その期間につ いてあいまいな表現をしています。しかし、基本的には、病状が悪化の一途をた どり、病気と老化で食事摂取も困難になり、ベッド上で身動きも出来ずに横たわっ ている患者の様子をみると、医師も看護師も「終末期」ということを意識するよ うになりましょう。
その際、高齢者本人が看取りの場所として選択できるのは、病院か、福祉施設 か、自宅かです。病院では早期退院を目指していますから、入院中の高齢者は経 管栄養や高カロリー輸液で延命が図られ、施設や自宅への退院を進められること が一般的でしょう。福祉施設は医療施設ではありませんから施設利用者が医療処 置を希望する場合には、病院へ入院することになります。しかし、病院に受け入 れを拒否されることもあります。最期まで自宅で過ごしたいと考えている人は少 なくないと思いますが、それを実現するためには地域医療やケアシステムの充実 が不可欠となります。
今回は、高齢者が最期を迎える場所として、病院、福祉施設、自宅という3つ を考えて、看取りの際に行われる医療と看護の実情について整理し、そこでの高 齢者の自己決定に関する諸問題を提起したいと思います。

所属:東京女子医科大学大学院看護学研究科 講師
専門:看護学、死生学

参加費:300円


◆4月例会(第211回総合部会例会)

日時:4月1日(日)16:10~17:30
会場:上智大学2号館6階 ドイツ語学科会議室

演者:朝倉輝一氏(総合部会長)(司会:小出泰士氏)
演題:2012年度年間テーマ:「高齢者医療と自己決定」(趣意書)報告
要旨:
高齢社会から次第に超高齢社会を迎えつつある現在、高齢者の医療においてこ れまで以上に様々な問題が浮上してきている。例えば、胃ろうの造設や継続の是 非、end of life careに見られるような末期ガンだけに限定されない終末期医療 と尊厳死や安楽死の是非、あるいはアンチ・エイジングやマインドリーディング のような技術を認知症患者などに応用する問題などである。
老年医学会を中心とした胃ろうに関するガイドライン(案)の作成、あるいは 認知症のターミナルケアのシンポジウムなどが昨年行われたことは、こうした問 題が喫緊の問題として広く社会的に顕在化しているという認識があるからではな いだろうか。
また、この3月、超党派の国会議員で作る尊厳死法制化を考える議員連盟が、 終末期患者が延命治療を望まない場合、人工呼吸器装置など延命阻止を医師がし なくても法的責任を免責される法案を国会に提出した(予定)。
他方、この尊厳死法制化の動きに対して、障害者団体などが、障害や重い病気 であっても必要な医療や介護を受けながら、その人らしい尊厳ある生を保証する ことこそが国の責任であるという立場から反対や懸念する声を上げている。  このいわゆる「尊厳死法案」提出の背景には、高齢者医療における本人の意思 確認の困難さと自己決定権の尊重という問題があることは間違いない。
これらの問題は、いわゆる医療分野においてだけでなく、介護の分野も含めた 哲学・倫理や政策決定に関わる重要な問題である。かつてインフォームド・コン セント導入に際して、患者の自己決定に関する議論が広く交わされた。しかし、 今、我々は、もう一度、高齢社会における医療・介護の現状を踏まえて、自己決 定の問題を通して老人観を含む人間観や死生観、あるいは障害観も含めて考える べき時がきたのではないだろうか。

所属:東洋大学
専門:哲学・倫理学

参加費:300円


 

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『医学哲学と倫理』第10号(2012年度)

目次

  • 兼松 誠 「ハンス・ヨナスの責任倫理の射程」 1-10頁 [PDF] (2013年3月30日)
    司会のまとめ(山本剛史)11-12頁  [PDF] (2013年3月30日)
  • 今井道夫 「ニーチェの病、ニーチェの哲学」 13-16貢 [PDF] (2013年4月15日)
  • 近藤 弘美「演題:リベラル優生学における問題―他者危害の原則の適用に関して―」 14-21頁[PDF] (2013年4月17日)
    司会のまとめ(石田 安実)22-23頁 [PDF] (2013年4月17日)
  • 小山千加代「高齢者の看取り-患者の生きようとする力へのささやかな助力」 24-27貢 [PDF](2013年5月22日)                                                   司会のまとめ(小館貴幸) 28-29貢 [PDF](2013年5月22日)

ISSN 2187-235X

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