◆2024年3月例会(第314回総合部会例会)
【目次】
日時:3月 2日(土 )15時~17時30分(予定)
会場:ふれあい貸し会議室 飯田橋A – ふれあい貸し会議室
〒1020072 東京都 千代田区 飯田橋 2-11-10 総合経営ビル301ハイブリッド形式を予定しています。
【発表者】丸橋 裕氏(立命館大学間文化現象学研究センター客員研究員) 【司会】小館 貴幸氏(立正大学)
【演題】「ヴィクトーア・フォン・ヴァイツゼカーにおける間主体性への接近の試み」
【要旨】
ヴィクトーア・フォン・ヴァイツゼカーが他者、とりわけその患者たちとの交わりのなかで眼を開かれた思いがしたのは、出会いというものがもつ基本的な人間学的意義だった。他者という現象を記述しようとする彼の貢献は、なによりも医療者の実践を明らかにしようとする立場への確固たる誠実さから生まれたものだった。1926 年から 1928 年にかけてヴァイツゼカーは、M・ブーバー、J・ヴィッティヒと共同編集した雑誌『被造者』に三つの論文、「医療者と病む人」、「痛み」、「病む人の物語」を発表した。のちに「医学的人間学小品集」としてまとめられたこれらの論文の根底には、共通のテーマとして医療者と病む人とのあいだの関係があり、この関係が医学的人間学の示導動機をなしているのである。
その第一論文「医療者と病む人」において彼が原理的な批判を突きつけているのは、客観性を重んじる当時の生物科学的な医学に対してである。なぜならそうした医学は、主体である病む人を中心におくことなく、病気のみならず病む人をも客体として知覚するからである。しかし、病いの本質は窮境にある。したがって、新たに根拠づけられるべき医学的人間学の疾病論、否、「パトスの知」にとっては、何らかの窮境に苦しみ、助けを求めて医療者を呼ぶところの病む人が具体的な出発点でなくてはならない。これをヴァイツゼカーは「医学的人間学の原現象」と呼んでいる。そしてこの新たな学はその病理学と治療とともに、「病む人についての教え」だけでなく「医療者についての教え」と「窮境についての教え」をも内容として含んでいるというのである。ここで注目しておくべきことは、窮境にある人と助け手としての人という人格的な対応関係、そしてもう一つは、疾患と医学という即物的な対応関係というこの二つの対応関係が、完全に一義的で揺るぎのない構造をなしているという基本的な認識である。この点を理解するための鍵となるのが間主体性の概念である。
ヴァイツゼカーにおける間主体性が、ブーバーの著作『我と汝』における対話論や E・フッサールの間主観性の概念といかに内容的な連関をもっているのかは、それ自体として重大な問題であるが、本発表では直接立ち入らない。ここでは、ヴァイツゼカーが他者という現象をみずからの医療実践からいかに把握しようとしているのかを、間主体性の概念を主軸に考察する。そのために、まず、彼の対話論において出会いがいかに普遍化されているか、そしてゲシュタルトクライスの理念が、ある人間の他者との交わりを記述するためのモデルとなっていることを確認し、次に、出会いの出来事の理解のためにヴァイツゼカー自身が造語した「間観的な理解」の概念の生成と適用を分析する。そして、彼にとって、間人間的な出会いが人間的なものの根本規定であることを明らかにした上で、その出会いが成立する根拠となる根源的な結束性がいかに立ち現れるのかを明らかにしたい。
【最近の業績】
・Rainer-M.E. Jacobi との共著で „Die erste Übersetzung—Motive und Hintergründe“ (in: Viktor vonWeizsäcker, Am Anfang schuf Gott Himmel und Erde. Grundfragen der Naturphilosophie, hrg. von Rainer-M.E. Jacobi unter Mitwirkung von W. Riedel, Universitätsverlag Winter, Heidelberg 2022, S. 223-237
◆2024年1月例会(第313回総合部会例会)
【目次】
日時:1月 13日(土 )15時~17時30分(予定)
会場:ハイブリッド形式を予定しています。
基本的にはZoomによる遠隔開催ですが、
Zoomを使用できない場合などのために小さい会場を準備しています。
ふれあい貸し会議室 飯田橋A – ふれあい貸し会議室 飯田橋総合経営
〒1020072 東京都 千代田区 飯田橋 2-11-10 総合経営ビル
【発表者】川本 隆氏(東洋大学)
【司会】米田 祐介氏(東洋大学)
【演題】「L・フォイエルバッハの「汝」論の可能性」
【要旨】
フォイエルバッハは 19 世紀ドイツの宗教批判家・唯物論者として知られる。フォイエルバッハの「汝」の発見は、ブーバーによって「デカルトによって創始された近代哲学の限界を超える、ヨーロッパ思想の第二の出発」へと導く「コペルニクス的行為」とも称された。かつて私は、拙著『初期フォイエルバッハの理性と神秘』(知泉書館, 2017)で、「無限な知の希求を抱きつつも、身体的な存在として有限な世界で生きざるをえない人間の、相互を気づかう人間学的視点が介護・医療・教育などの現場に役立つというだけでなく、対人間関係をも含む自然環境保全への配慮、あるいは文化的対立の現場で新たな視点のヒントとして、健全な対話的共生への道を開くものといえないだろうか」と記した。今日、彼の「汝」論の可能性は、どのように位置づけられるだろうか。
この問いに答えるには、まず『キリスト教の本質』1841 や『将来の哲学の根本命題』1843を中心とする 40 年代前半の論考をフォイエルバッハ思想の核心であるかのような見方からいったん解放される必要があるように思われる。なぜなら、それらは彼の思想的展開にとって「過渡的」位置を占めるにすぎないからである。しかしこのことは、50 年代以降の後期著作を読めばそれで済むという話ではない。たしかに「残された箴言」でフォイエルバッハは「『神統記』と『宗教の本質〔に関する講義〕』以外の著作を書こうと思わなかったし、また人類の追憶として残しておこうとも思わない」と述べた。それは事実だが、それ以前の彼の著作群のもつ意味を度外視してよいということにはならない。むしろ、初期を含む彼の宗教批判・神学批判・哲学批判活動の全体から、思想形成の時期を踏まえつつ、フォイエルバッハの「汝」論、「他我」論の意味を再検討したうえで、現代にどうその視点を生かすべきかを考えるのが有益であろう。
本報告では、1. フォイエルバッハ哲学の時代史的外観と「過渡的」性格の意味、2. 初期フォイエルバッハの思弁的汎神論の性格――ベーメとスピノザ、3. 人間学的転回のきっかけとしてのライプニッツ――第一質料の「受動」の意味、4. 二つの直接態と「楕円」の哲学、5.「心情 Herz」と「情意 Gemüt」の意味づけの推移とフォイエルバッハの感性の哲学――ルター評価の変遷、の 5 点について要点をおさえながらフォイエルバッハの思想的転回を紹介し、そのうえで彼の「汝」論、「他我」論のもつ今日的な可能性を考えてみたい。特に注目したいのは、『ライプニッツ論』の注 65 で語られている、心病める者の「自然の声」に耳を傾ける態度である。健常者の理性的な視点では理解しがたいその「声」に耳を傾けることが容易でないことは、彼のルター評価の推移にも表れている。近代的な悟性知に依拠した哲学の視点では、切り捨てられてしまいかねないものに「自然の理」を当てはめるのではなく、容認するするその態度は、さまざまな社会的弱者に寄り添う共生・共創の視点に結びつくのではないだろうか。
【業績】
生命の価値とは何か(東洋大学大学院紀要55, 2019.3.)
フォイエルバッハのルター論(桜文論叢第100巻, 2019.9.)
宗教における「他者」――西谷啓治のフォイエルバッハ批判の問題性(東洋大学大学院紀要56, 2020.3.)
フォイエルバッハにとってのスピノザ(東洋大学大学院紀要60, 2024.3.)
◆2023年12月例会(第312回総合部会例会)
【目次】
日時:12月 2日(土 )15時~17時30分(予定)
会場:ハイブリッド形式を予定しています。
【会場案内】
ふれあい貸し会議室 飯田橋A
〒102-0072 東京都千代田区飯田橋2-11-10 総合経営ビル301
【発表者】有馬 斉氏(横浜市立大学)
【司会】小館貴幸氏(立正大学)
【演題】「鎮静の倫理について」
【要旨】
緩和ケアの処置のひとつとしての鎮静について、倫理的な論点を取り上げて検討する。鎮静は、患者を苦痛から解放するために、患者の意識を低下させ(浅い鎮静)、場合によって患者を無意識にする(深い鎮静)。患者は無意識の状態のまま死ぬこと(死亡まで持続する深い鎮静)や、生命を短縮することもある。これらの効果があることは、通常、望ましくないことと理解されている。
こうした望ましくない効果があるにもかかわらず、鎮静は、多くの場合で倫理的に正当化できると考えられていることが多い。理由のひとつは、意識低下などの結果は確かに悪いことだが、苦痛が緩和できることの良さがそれを上回るからだということにある。もうひとつは、意識低下などの結果は悪いことだが、それは意図された結果ではないという理由である。(また、とくに生命短縮効果については、そもそもそれが生じないことがあきらかな場合がある、ということも指摘されてきた。)
望ましくない効果について、それが意図されていないと考えられている理由は、いくつかある。たとえば、患者が無意識になったまま死亡することについては、実際にそうなるかどうかは投薬中には分からない、ということが指摘されてきた。また、意識低下そのものについても、鎮静効果のある薬にターゲットになっているつらい症状そのもの(疼痛、吐き気など)を軽減する効果がある場合は、投薬中の医師は症状そのものを軽減する意図しかないと考えることができる(意識低下は副作用にすぎない)という主張もある。
これらの主張が妥当かどうかを検討してみたい。
【業績】
有馬斉、『死ぬ権利はあるか』、春風社、2019年。
Hitoshi Arima, Continuous Deep Sedation and the Doctrine of Double Effect, Bioethics, 2020, 34(9), 977-983.
有馬斉、「鎮静の分類と倫理的論点の整理」、『北海道生命倫理研究』、2023年、11、1-23。
◆2023年11月例会(第311回総合部会例会)
【目次】
日時:11月 4日(土 )15時~17時30分(予定)
会場:ハイブリッド形式を予定しています。
【会場案内】
調整中
【発表者】江黒 忠彦氏(元帝京平成大学教授、本会会長)
【司会】中澤 武氏( 長野大学)
【演題】「カントによる「人間の尊厳」とは何か」
【要旨】カントが構想した「人間の尊厳」という倫理的概念は、いかなる意味と意義を持つのかということをさぐるのが本発表の中心テーマである。
「人間の尊厳」という概念は、第二次世界大戦後に広まったが、1998年のEUのバルセ
ロナ宣言に世界市民的価値として再認され、その後さらに「ユネスコ人権に関する世界宣
言(2005年)」にも取入れられ、世界的に浸透することとなった。ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルによるパレスチナへの交戦、こうした現在の国際状況への対抗倫理として「人間の尊厳」という概念が機能する。
本発表は次の通り展開される。
まず最初に、カントによる尊厳概念がどのような時代状況の中で確立したのかを概観し
ていく。その際、カントの出生と生活環境及び彼の仕事と経歴にも触れる。
第二に、カントの著作のコンテキストから「人間の尊厳」を考察する。しかし、実際に
カントは「人間の尊厳」という表現よりも「人間性の尊厳」という表現を多用している
。「人間の尊厳」を探るためには、「人間性の尊厳」を見当すべきである。
第三に、カントが最晩年まで積み上げてきた「人間性の尊厳」という概念が、人間の最
終的な到達点になっているということを『実用的見地における人間学』等を通じて、確認
する。
【業績】
・ヘルマン・グルックナー(江黒忠彦監訳)『哲学入門』理想社、1978年。
・関東医学哲学・倫理学会編『新版 医療倫理Q&A』太陽出版、2013年。 ※共著
・江黒忠彦「ヒト胚の尊重とその研究利用」、『帝京平成大学紀要』第16巻1・2号所収
、2004年。
・江黒忠彦「生命倫理の諸問題 カントにおける『人間の尊厳』とドイツ現代倫理学
」、『帝京平成大学紀要』第14巻第2号所収、2002年。
◆2023年9月例会(第310回総合部会例会)
【目次】
日時:9月 10日(日 )15時~17時30分(予定)
会場:ハイブリッド形式を予定しています。
【会場案内】
ふれあい貸し会議室 水道橋A
〒1010061 東京都 千代田区 神田三崎町 2-11-11 タカギビル
【発表者】
牛澤 洋人氏(一橋大学 保健医療センター)
【司会】今井道夫氏
【要旨】
臨床医は患者の主訴を解決するため,臨床推論を駆使して診断に至り治療に結びつける.臨床現場の標準的な診療モデルは,臨床の不確実性uncertainty をできるかぎり確実性に変えていく過程でもある.しかしながら現場には,こうした標準的な診療モデルからはみ出しこぼれ落ちてしまうような,患者の精神的危機状況や共有意思決定の場面で生じる不確実性もまた存在する.今回の発表ではまず,臨床現場で生じるさまざまな不確実性とそれに応じた症例を提示し,国内の医療界が不確実性に対してどのような取り組みをしているかを概観する.
続いて臨床における「確実性」とは何かを検討するとともに,医学以外の分野での不確実性がどう扱われているかについても言及する.
臨床における不確実性は「今後引き続き何が起きるのかを予測し難い,あるいはあらかじめ答えが決められていない臨床上の問題」と定義する.不確実性の類似概念に「複雑性」「リスク」「無知」「曖昧さ」「多様性」があり,それぞれ不確実性との差異を明らかにする.
臨床におけるさまざまな不確実性を,「医学的不確実性」と「決断の不確実性」に大分類することを提案する.前者は認識上の不確実性であり,後者は患者の価値観や生き方が関わる場面で方針を決断する際に生じる不確実性である.臨床現場で不確実性は患者と臨床医それぞれに対してさまざまな否定的な影響をもたらす.不確実性が引き起こす事態を減らすため,不確実性への
自覚や教育を促すことが求められている.
本研究の新規性は「不確実性への耐性」の考え方を臨床医学全般に提示することである.その起源はオープンダイアローグopen dialogue(以下OD)にある.OD は急性期精神症状患者へのアプローチ法で,重要な実践原則に「不確実性への耐性」が掲げられている.本研究では,不確実性を率直に受け容れることを不確実性への耐性と呼ぶ.耐性の類似概念に「頑健性」「レジリエンス」があり,それぞれの耐性との差異を明らかにする.不確実性への耐性の可能性を支持する知見として,ODの最新のエビデンスと燃え尽き症候群のアンケート調査研究を提示する.
不確実性に向き合う態度を3 点提起する.不確実性の存在を認める態度,不確実な事象が生じる確率よりもそれが患者に与える影響を優先して考える態度,患者の実存と向き合う態度である.こうした態度を妨げる要因として,不確実性に耐えられない構造を想定する.これを患者側のもつ構造,臨床医がもつ構造,両者に共通する構造を解説する.こうした構造に加え,不確実性にどの程度まで耐えてよいかの許容範囲を考える必要性が生じる.不確実性に耐える能力は一定の研修で身につけるべきであると考え,その方法を提案する.
本研究は,患者と臨床医がともに臨床現場で不確実性の存在を認め,共有し受容することが望ましいことだと考えている.というのも不確実性への耐性は,第1に患者と臨床医のあいだに強い信頼関係を生み,第2に患者が納得する医療につなげ,第3に患者の言葉を守るからである.
◆2023年7月例会(第309回総合部会例会)
【目次】
日時:7月 9日(日 )15時~17時30分(予定)
会場:ハイブリッド形式を予定しています。
リアル会場:ふれあい貸し会議室 飯田橋A 〒102-0072 千代田区 飯田橋 2-11-10 総合経営ビル
【発表者】中澤 武氏(長野大学)
【司会】江黒 忠彦氏(関東医学哲学・倫理学会会長)
【演題】
「生命の尊厳」再考
【要旨】
「生命の尊厳」は、生命一般を尊重する態度の基盤となる倫理的原理の概念と考えられる。これが本発表の中心テーゼである。
わが国では1980年代から医の倫理との関連で「生命の尊厳」という語が用いられている。その際、「尊厳」の原語としては sanctity と dignity の両方が考えられるが、当初はこれらの概念の区別が明確ではなかった。「尊厳」がsanctityの訳語だとすれば、「生命の尊厳」とは「サンクティティ・オブ・ライフ(sanctity of life: SOL)」(生命の神聖性)のことである。生命は至高の存在に由来するものだから特別に尊い。しかも、人間以外の生き物とは違って、人間の生命には特別な価値があると考えられる。この概念には二重の意味がある。ひとつには、すべての人間が他の生き物とは違う特別な価値(「人間の尊厳」)を認められている。もうひとつには、そのような人間の命が「神聖」なものと見なされている。SOLがこのような意味を持っているのは、それがヨーロッパの哲学的および宗教的人間観の伝統に根差した概念だからである。すなわち、一方でSOLの背景には「人間の尊厳」という哲学的な概念があり、他方でSOLは、ユダヤ・キリスト教の宗教的人間観を受け継いでいる。要するに、SOLは西洋の文化的伝統の中で育まれ、歴史的な深みを備えた、いわば西洋ローカルな概念なのである。また、生命倫理学の発展史の中には当初から「生命の尊厳」を「人格の生命の尊厳」(dignity of the life of the person)と解する説が行われており、ここでも「生命の尊厳」は、人間と人間以外の生命との間に絶対の差別と価値の序列を設ける考え方の枠組みを前提としている。
以上のような「生命の尊厳」概念は、わが国の伝統的な生命観からすれば、異質な思想と言えるだろう。たとえば、わが国の古典文学の中には、生きとし生けるものの苦しみに共感し、畏敬する人々の姿がある(平安時代の仏教説話集『日本霊異記』など)。現代でも、ペット動物の葬儀や実験動物の慰霊祭は珍しくない。死を免れず限りある存在としての命に対する共感的姿勢は、わが国における道徳意識の基礎となっている。人間の命だけに限らず、すべての命は壊れやすく、はかない。だからこそ命は尊く、ときには畏敬の対象ともなる。こうした非西洋の文化的伝統を背景として、人間の生命を含む生命一般に関する「生命の尊厳(dignity of life)」の新規定は可能だろうか。いかにして、「生命の尊厳」は、生命一般を尊重する態度の基盤となる倫理的原理の概念と考えられるのだろうか。
【最近の業績】
著書:
――Kants Begriff der Sinnlichkeit, frommann-holzboog, 2009.
――マンフレッド・キューン『カント伝』(共訳, 春風社, 2017【2023年5月、第2刷】).
――ディーター・ビルンバッハー『生命倫理学:自然と利害関心の間』(監訳, 法政大学出版局, 2018).
――『新版 薬学生のための医療倫理[コアカリ対応]』(共著、丸善出版, 2021年)
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関東医学哲学・倫理学会 事務局
112-8606
東京都文京区白山5-28-20
東洋大学 法学部 朝倉研究室気付
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(@は全角にしてあります。半角@に直して送信してください)
◆2023年6月例会(第308回総合部会例会)
【目次】
日時:6月 3日(土 )15時~17時30分(予定)
会場:ハイブリッド形式を予定しています。
リアル会場:ふれあい貸し会議室 水道橋A
〒1010061 東京都千代田区神田三崎町2-11-11 タカギビル4階
【発表者】
今回は2名発表予定です。
宮下 浩明氏(みやした内科医院)
根本 輝(ひかる)氏(法政大学大学院 人間社会研究科 人間福祉専攻 博士後期課程3年/株式会社オールプロジェクト 貞元事業部 事業部長)
【演題】
:宮下浩明氏
「診療におけるコミュニケーションと善もしくは良心とのかかわりについての考察
ー応召義務、ジェンセン4分割表の検討ー」
:根本輝氏
「高齢者介護における尊厳の保持について―グループホームでの困難事例を通じて―」
【司会】
米田 祐介氏(東洋大学)
【要旨】
:宮下浩明氏 (発表要旨に差し替えがありました)
本日の発表では、医療の場面における、それは医療者にとっては職場(病院内、外来診療)になるのであるが、医療者としての体験も参照しながらコミュニケーションについて、思うところを述べてみたい。
患者と医療者の間のコミュニケーション、かかわりは、いろいろな形でなされている。たとえば、患者が医療機関に入館する際に、公表された時間通りに診療がそもそもなされていること、受付がなされること、施設は静かで清潔であるかといったてんも、後々の診療に影響することから、コミュニケーションの一部と考えることができよう。
さまざまのかかわりのうち、本日は2種類のかかわりについて検討する。はじめに、患者からの診療の申し出を受けるのか、受けないのかというかかわり方について、応召義務を例に考えてみる。次に、臨床倫理の検討会などで使われる、ジェンセンの4分割表をとりあげる。
医療者のコミュニケーションについて考えるにあたり、診療を望む病者に対して、診療を断るという医療者の対応も考えられる。医療者のコミュニケーションの一例として診療拒否というコミュニケーションはありうるのである。診療拒否に関しては、昭和23年医師法19条第1項において「応召(応招)義務」の規定がある。この応召義務については、1880年(明治13年)刑法における罰則として規定されており、以来実に140年にわたって医師の診療態度を規定し続けていることになる。なぜ、長きにわたって法のなかで継承されているのか、考えてみたい。
次に臨床倫理判断ツールとしての、ジェンセンの4分割表をとりあげる。4分割表につながる歴史的背景から、決議論としての特徴について検討する。
これら検討において、良心、善なる心の関わりがあることが推察された。
:根本輝氏
本発表のテーマは「高齢者介護における尊厳の保持―グループホームでの困難事例を通じて―」である.2000年から介護の社会化を目的として,介護保険制度は施行され,その第1条には高齢者の尊厳の保持が明記されている.制度開始から,要介護高齢者は増加し続け,2025年には認知症高齢者が780万人に達すると試算されている.急速に介護サービスの需要が拡大するなか,介護現場では労働力不足による介護サービスの質の低下が懸念されている.実際に近年では,介護施設での虐待件数が毎年2,000件を超え続けている(厚生労働省2022).
しかし,介護職員の虐待はマスコミなどで取り上げられる,一方で,利用者が介護職員へ暴力を振るった場合,その事実が報道されることはほとんどない(北野2021).では,こうした状況下で高齢者介護における尊厳の保持はどのように取り組まれているのであろうか.そこで,本発表では,認知症高齢者が生活するグループホームでの困難事例を通じて,高齢者介護における尊厳の保持を検討することを目的とする.
まず,グループホームとは認知症対応型共同生活介護と呼ばれ,認知症に罹患した要介護高齢者が生活する施設である.事例では,認知症により職員への暴力・暴言がある利用者を対象とした.対象施設となるグループホームでは,職員から利用者への虐待を禁止し,職員が暴力にさらされた場合,そのマニュアルを作成し職員への教育・研修を開催し対応方法を検討していた.さらに臨床現場では職員同士がミーティングを重ね,利用者の暴力行為への改善に向けて実践していた.その事例を以下に示す.
事例の対象者は,女性88歳,要介護度3でアルツハイマー型認知症を患われている.認知症高齢者の暴力・暴言の状況を明らかとするためタイムスタディを実施した.対象期間は2週間であり,その行動を調査し徘徊と暴力・暴言が表出した時間帯を特定した.また,対象者の個人的背景を探索するため,家族と過去に利用したデイサービスの担当者への聞き取りを実施した.その結果,徘徊は早朝7時と夕方4時に集中しており,また暴力と暴言については早朝の時間帯に頻出していることが明らかとなった.こうした調査を基礎に介護実践したが,改善の見られなかった利用者の困難事例を報告する.そのうえで,本発表は,認知症高齢者の臨床現場において暴力・暴言などの周辺症状があった場合,利用者・介護職員の尊厳はどのように保持されるべきかを問うものである.
参考文献一覧
厚生労働省(2022)「介護人材の確保,介護現場の生産性向上の推進について」『社会保障審議会 介護保険部会参考資料』(mhlw.go.jp2023.1.5).
北野さをり(2021)「患者・利用者から職員への暴力に至る実態に関する考察 ―看護・介護領域での先行研究から―」『四天王寺大学大学院研究論集』15 43-60.
【最近の業績】
:宮下浩明氏
・「日常的な診療の中でいったいどのようなものとして尊厳を考えたらよいのだろうか」関東医学哲学・倫理学会 総合部会例会6月例会、研究発表、2022年6月
・「信仰にもとづく医療上の要請にたいする、医療者の判断についての検討」、第24回岡山生命倫理研究会 研究発表、2020年2月
・「中山間へき地の無床診療所活動の報告 ―高齢者を対象とした医療活動の倫理性についての検討」、関東医学哲学・倫理学会総合部会7月例会、研究発表、2010年7月
:根本輝氏
論文
根本輝(2022)「準市場理論の背景と変遷」『社会福祉学評論』23巻p1-15(査読付き).
根本輝(2017)「高齢者の24時間ケアにおける随時対応の意義について―緊急ニーズから個別の生活リズムの対応へ―」『社会福祉学』58巻3号p41-53(査読付き)
事例報告
根本輝(2014)「ワークライフバランスの現状と今後の展望 : 介護職員(私)の事例を通して」『介護福祉』94巻 p83-91.
学会発表
根本輝(2023)「準市場における競争原理をサービスの質向上に結び付けるための方策の検討―高齢者の尊厳を保持する介護サービスを目指して―」『関東医学哲学・倫理学会 月例会発表』 1月例会
根本輝(2019)「ル・グランの準市場理論と日本の介護保険制度の諸問題」『関東医学哲学・倫理学会 月例会発表』 12月例会
◆2023年5月例会(第307回総合部会例会)
【目次】
日時:5月 13日(土 ) 15時~17時30分(予定)
会場:ハイブリッド開催を予定しています。
【発表者】
船木 祝氏(札幌医科大学)
【演題】
コロナ禍の独居高齢者へのインタビュー調査――尊厳を保持するための支援のあり方
【司会】
小館 貴幸氏(立正大学)
【要旨】
内閣府令和3年版高齢社会白書によれば、地域別では、令和元年(2019年)の高齢化率は、東京が23.1%、北海道が31.9%となっている。令和27年(2045年)には、東京が30.7%へ、北海道が42.8%へ上昇する見通しである1)。全国的に見ても、今後独居高齢者の増加はさらに見込まれ、北海道は首都圏に比べても高齢化率が今後著しく上昇することが見込まれる。
コロナ禍により家族との往来が制限されたり、社会的交流の場が自粛となったり、施設などの面会が制限されたことによって、独居高齢者の社会的及び精神的状況にどのような影響があっただろうか。こうした関心の下、私たちの研究グループ(船木祝、山本武志、宮嶋俊一、粟屋剛)は、令和3年12月から令和5年3月まで、北海道の道央、道北、道東における4市町在住の65歳以上90歳未満の独居高齢者各6名計24名を対象とするインタビュー調査を行ってきた。なお、本研究は、札幌医科大学倫理委員会により承認を得ている(承認番号: 3-1-42(令和3年10月8日))。本報告では、コロナ禍においてつながりが不足したことによる、独居高齢者の孤独感への影響と支援のあり方に焦点を当てて報告をする。
社会的ネットワークの欠如から生じる「社会的孤独(social loneliness)」と親密な関係が欠けることから生じる「情緒的孤独(emotional loneliness)」との孤独の分類がある2)。コロナ禍によって、人との交流が減ることによって、とくにこれまで活動的生活を送っていた高齢者には、退屈であるとか目的がないといった社会的孤独感が高まったと言える。一方、施設に入所した家族への直接の面会ができなくなった高齢者には、まったく一人であるという精神的苦痛である情緒的孤独を経験する場合があった。後者は社会的交流の中にいても緩和しないことが多い。客観的に一人である状態である「孤立(isolation)」と、主観的な心理的不快感である「孤独(loneliness)」とは区別され3)、集団の中で孤独を感じることもあるのである。こうした情緒的孤独感は、高齢者の日々の生活を人間らしく、尊厳をもって暮らしていくことを困難にするだろう。本報告では、そうした孤独感に苦しむ一人暮らし高齢者に対する、情緒的支援のあり方について考察したいと思う。
〔参考文献〕
1) 内閣府:令和3年版高齢社会白書,2021.
2) 船木祝:独居高齢者の社会的・精神的状況に関わる倫理原則の一考察.北海道生命倫理研究,2,10-19,2014.船木祝:新型コロナウイルス感染症拡大下における独居高齢者の孤独.地域ケアリング,24(12) ,71-74,2022.
3) 自由民主党政務調査会 孤独・孤立対策特命委員会:孤独・孤立対策特命委員会提言,2021.
【最近の研究業績】
船木祝:響き合う哲学と医療,中西出版,2020.
船木祝:カントの思考の漸次的発展――その「仮象性」と「蓋然性」, 論創社,2020.
船木祝:55歳からの哲学・宗教の言葉――カント、シェーラー、シュタイン、ヒルティ、アビラのテレジア, 論創社,2021.
◆総会・総合部会のお知らせ(第306回総合部会例会)
下記の通り、総会・総合部会4月例会を開催致します。
万障お繰り合わせのうえご参加くださいますようお願いします。
【目次】
総会
日時:4月 16日(日 ) 14時~15時(予定)
総合部会
15時15分~17時45分
発表者:小館 貴幸氏(立正大学)
司会:調整中
演題:2023年度の年間テーマについて
なお、運営委員会を同日の12時から行います。
傍聴希望の方は事務局朝倉までご連絡ください。
会場:ハイブリッド型での開催を予定しています。
◆2022年度臨時総会のお知らせ
【目次】
日時:3月 19日(日 ) 13時~13時30分(予定)
会場:リモート開催を予定しています。
議題:監事の交代について
◆2023年3月例会(第305回総合部会例会)
【目次】
日時:3月 4日(土 ) 15時~17時30分(予定)
会場:リモート開催を予定しています。
【発表者】
秋葉 峻介氏(山梨大学大学院総合研究部医学域・総合医科学センター)
【演題】
「医療・ケアをめぐる意思決定と「人生の物語り」の再構成・再創造」
【司会】
中澤 武氏(明海大学)
【要旨】
アドバンス・ケア・プランニング(ACP)や共同意思決定は、本人の自律や自己決定権のみによる意思決定の議論の限界を克服するために、関係的自律や共同体自己のような弱い個人やその自律(観)に基づく関係性を重視した意思決定の仕方として登場してきた。こうした背景・経緯からすれば、身寄りのない、あるいは家族とあえて疎遠な一人暮らしを選択しているような「つながっていない者」にも個人の自律ではなく関係性を織り込んだアプローチを、ということはあり得るだろう。しかし、意思表示が可能な「つながっていない者」が、みずからの生/死、医療・ケアについてたんに意思決定するだけであれば、とりたてて「関係」を見出さずとも、自律・自己決定権による議論の範疇に収まるはずである。他方で、「つながっていない者」本人が意思表示できないならば、医療・ケアチームがその患者にとっての最善を判断することになるが、これもまた「関係」の手掛かりがなくとも、医学的妥当性・適切性という極めて客観的な判断材料が存在する。こうしてみると、自律・自己決定権によるアプローチでも、医学的妥当性・適切性によるアプローチでも像を結べずにいる「何か」が医療・ケアをめぐる意思決定の根底にあるのではないかという問いが浮かび上がってくる。
ACPや共同意思決定が医療・ケアの方針(生/死にかかわる諸々)をめぐって行われることは広く普及されつつある。しかし、「何か」を明らかにするためは、この理解を改めて検討してみる必要があるのではないか。突拍子もないことに見えるかもしれないが、ACPの愛称が「人生会議」と決定されたことに鑑みると、そう的外れでもないはずである。たとえば、「人生会議」の啓発用パンフレットには、「人生の終わりまで、あなたは、どのように、過ごしたいですか?」「自らが望む、人生の最終段階の医療・ケアについて話し合ってみませんか」等のコピーが確認できる。一見すると、医療・ケアの方針決定に係る意思の共有、そして共有された意思・方針の実現が主眼にあるように思われる。しかし、なぜそれを、ことさらに「人生」と関連付けて啓発する必要があるのか。換言するならば、「医療・ケアの方針はみんなで話し合って決めましょう」とすれば済むところ、なぜそれが「人生」の話になるのか、という問いである。すると、やはり、ACP(人生会議!)や共同意思決定において取り上げられているのは、少なくとも医療・ケアをめぐる諸々だけではないはずだ、というところに行き着くことになる。
本報告では、ACPや共同意思決定において話し合われるであろう事例として、慢性疾患に対する治療の選択に関するもの、また、事前の意思と「いざそのとき」の意思とに一貫性がない場合の判断に関するものを取り上げ、それぞれ医療・ケア以外の「何か」が論じられているか否かについて検討する。そのうえで、ACPや共同意思決定、あるいは関係性に基づくケアと称される営みが、いったい何をめぐるものなのか改めて問い直す。それらを踏まえ、「家族倫理」でも状況依存的な議論でもない関係性に基づく倫理を論じるための「何か」や、「つながっていない者」さえ「つながっている者」としてみなすことに隠された「何か」との関係を考えてみたい。
【最近の研究業績】
〈書籍〉
・秋葉峻介2022「ケア倫理における家族に関するスケッチ――「つながっていない者」へのケアに向けて」小西真理子・河原梓水 編『狂気な倫理――「愚か」で「不可解」で「無価値」とされる生の肯定』(分担執筆、第3章担当)晃洋書房pp.48-67.
〈論文〉
・秋葉峻介2021「医療・ケアをめぐる自己決定における自他関係と関係的自律」『生命倫理』通巻32号pp.46-54.
・秋葉峻介2022「Advance Care Planningにおける共同意思決定の理論構造の検討」『医学哲学 医学倫理』第39号 pp.1-10.
・秋葉峻介2023「共同意思決定は自律・自己決定の限界を克服したのか――意思決定主体再考に向けて」『医学哲学 医学倫理』第40号 pp.1-10.
◆2023年1月例会(第304回総合部会例会)
【目次】
日時:1月 21日(土 ) 15時~17時30分(予定)
会場:リモート開催を予定しています。
【発表者】根本 輝(ヒカル)氏(法政大学大学院博士後期課程在籍/株式会社オールプロジェクト 貞元事業部 事業部長)
【演題】「準市場における競争原理をサービスの質向上に結び付けるための方策の検討―高齢者の尊厳を保持する介護サービスを目指して―」
【司会】江黒 忠彦氏(関東医学哲学・倫理学会会長)
【要旨】
本発表のテーマは「準市場における競争原理をサービスの質向上に結び付けるための方策の検討―高齢者の尊厳を保持する介護サービスを目指して―」である.介護保険制度は1997年に成立し,第1条には高齢者の尊厳の保持が明記されている.また,近年では地域包括ケアシステムの目的にも掲げられ,その重要性が改めて示されている.しかし,2019年以降,介護施設での虐待報告は年間2,000件を毎年超え続け,また介護労働者は32万人が不足すると試算され(厚生労働省2022),今後,さらなる介護サービスの質の低下が懸念される.つまり,高齢者の尊厳の保持は,社会的に認められているが,具体的な取り組みが成果を出すことに結び付いていないと考えられる.そこで,本研究は,介護保険制度において高齢者の尊厳が保持される介護サービスの展開方法の獲得を目的とする.
先進事例となるイギリスでは,準市場において理論体系化が図られている.ル・グランらは(Le Grand et al 1993:13―34),準市場を評価するための4つの評価基準と,それを成立させるための5つの成功条件を示している.成功条件とは,市場構造の転換,情報の非対称性の緩和・防止,取引費用と不確実性への対応,動機付け,クリームスキミングの防止の5つである.準市場では,これらの成功条件を整備することによって4つ評価基準となる効率性,応答性,選択性,公平性の向上が図られるとする.つまり理論上,これら条件を満たせば,高齢者の尊厳が保持された介護サービスが展開されると考えられる.
この準市場理論を基礎として,本研究は先行研究の整理と筆者自身の調査から,介護保険制度において「選択性を確保する事業所はサービスの質が高い」と仮説を設定した.介護保険制度の選択性は,以前から課題が指摘されていながらも(池田2012),現在までその詳細が明らかにされていない.そこで,本研究はケアマネジャーの紹介率を含めた選択性の調査とサービスの質についての調査を実施した.
調査対象事業所は,千葉県木更津市,君津市,袖ケ浦市,市原市,富津市の在宅サービスを行うすべての介護事業所とした.期間は2022年1月25日から2月28日まで質問紙票を対象範囲すべての介護保険事業所に配布し,回答を得られた事業所を研究対象としている.質問紙票は461事業所に送付し113事業所からの回答が得られ,回収率は24.5%であった.得られたデータは,統計解析ソフトIBM SPSS statistics version28.0.1.0(142)を使用し.分析を行った.分析は,説明変数を外部ケアマネジャー紹介率,被説明変数を要介護度維持改善率とし(伊藤ら2016),重回帰分析を行った.
その結果,外部ケアマネジャーと要介護度維持改善率の相関係数は0.473と算出された(p<0.01).そのため,両者の関係性は統計的に有意であると考えられる.また,サービス種類別に重回帰分析を行った.分析手法はステップワイズ法を用い,先行研究と相関係数をもとに説明変数を投入した.その結果,通所介護では自由度調整済みR²=0.525と精度の高い予測式が算出された.こうした分析を通じて,介護保険事業所はサービス種別によって説明変数が異なることが示され,そのうちサービスの質に影響を与える共通項が外部ケアマネジャーの紹介率であることが明らかとなった.したがって,今後,介護保険制度において高齢者の尊厳が保持される良質なサービスを展開するためには,外部ケアマネジャーの紹介率に着目した方策の検討が望まれる.
【最近の研究業績】
論文
根本輝(2022)「準市場理論の背景と変遷」『社会福祉学評論』23巻p1-15(査読付き).
根本輝(2017)「高齢者の24時間ケアにおける随時対応の意義について―緊急ニーズから個別の生活リズムの対応へ―」『社会福祉学』58巻3号p41-53(査読付き).
事例報告
根本輝(2014)「ワークライフバランスの現状と今後の展望 : 介護職員(私)の事例を通して」『介護福祉』94巻 p83-91.
学会発表
根本輝(2019)「ル・グランの準市場理論と日本の介護保険制度の諸問題」『関東医学哲学・倫理学会 月例会発表』 12月例会
◆2022年12月例会(第303回総合部会例会)
【目次】
日時:12月 3日(土 ) 15時~17時30分(予定)
会場:リモート開催を予定しています。
【発表者】:
田村孝行(一般社団法人 健太いのちの教室 代表理事)
田村弘美(一般社団法人 健太いのちの教室 理事)
司会:小館貴幸氏(立正大学)
演題:「七十七銀行女川支店津波事故 ― いのちを大切にする安全な社会づくりをめざして『大切な命を守る企業防災・組織防災』・『企業のあり方』」
【要旨】
2011年3月11日東日本大震災の津波により、企業管理下で当時25歳の息子が犠牲となりました。
それ以来、企業防災・組織防災」・「企業・組織のあり方」をテーマとして伝え続けております。初めに事案の内容をお話します。その中から企業・組織の課される安全配慮義務の遂行において、本気で従業員の身体生命を守る為には、企業・組織で何が必要なのか私たちが考える「企業防災のあり方」をお話しさせて頂きます。
是非、ご一緒に企業・組織で命を守る対応と企業・組織のあるべき姿を考えさせて頂きたいと思います。
最後に、「息子・健太のこと」一人の人としての25年の人生物語をお話しします。
そこに様々な気づきが生まれたことをお話し致します。
この事案の様々な箇所で、旧態依然の企業・組織の風土が見え隠れします。一種の同調圧力のようなものが根底にあると感じます。日本が持つ不思議な建前の為に、命まで失うような風土はあってはならないと思います。この風土を変えるには、私たち一人ひとりが企業・組織の中で決して無駄な命を失うことのない社会を作るため、今生きている私たちが意識を広め、いのちを大切にする安全な社会づくりをめざしていかねばならないと思います。
そして「いのち」、人が亡くなると姿・形は見えません。しかしながら、最近の私たちには、息子が一緒にこの活動をいていると思うようになりました。親の約束として、「いのち」を生かし続けると宣言し今日まで至りました。何がそうさせたのかは、息子健太のいのち(人間そのもの)で「健太の心の財産」というものではないかと思います。
そして、「精神は生き続け」私たちもその精神に生かされていると痛感しています。
【業績】
田村孝行、田村弘美「『大切な命を守る企業防災・組織防災』・『企業のあり方』」、七十七銀行女川支店被災者家族会『東日本大震災から学ぶべきもの : 大切な命を守る企業防災・組織防災を一緒に考えましょう : 七十七銀行女川支店被災状況と家族会5年のあゆみ : 報告書』所収、2017年。
◆2022年11月例会(第302回総合部会例会)
【目次】
日時:11月 12日(土 ) 15時~17時30分(予定)
会場:リモート開催を予定しています。
発表者:小山 千加代氏(新潟医療福祉大学)
司会:宮下浩明氏(医師)
演題:「認知症の人の看護における個の尊重と信頼」
【要旨】
「個の尊重と信頼」をテーマとして、まず、最初に「認知症の人の理解」についてお話しし、次に認知症の人が受けやすい「虐待・身体拘束」の現状について述べ、最後に「急性期病院における看護師と認知障害高齢患者との信頼構築のプロセス」を通して「人間対人間の看護」について改めて考えてみたいと思います。
「認知症」と聞くと、私たちは、認知症の症状のことばかりが気になり、目の前の人を一人の人間として捉えることの大切さを忘れてしまいがちです。それは家族であっても同様であり、ご家族の大変長い介護の途上で、特に初期のころには、本人も家族も何事が起きているのかわからない不安と混乱の中で、おそらく最初は互いに傷つけあうことが少なくないと言えましょう。そのような不安を抱えた人たちを前にして、我々看護師はどれだけその人を気遣い、看護することができているでしょうか。一人ひとり異なる過去の重みを意識し、一人の感情豊かな人間として礼節をもって接することができているでしょうか。
「人間対人間の看護」という基本に改めて立ち戻りながら、今回の発表を通して、「個の尊重と信頼」について、考察を深めたいと思います。
【最近の業績】
・小山千加代 編著 『改定 老年看護学講義ノート』 編集工房球 1~219頁 2022年
・上岡千夏、小山千加代 「急性期病院における看護師と認知障害を伴う高齢患者との信頼構築のプロセス ー看護実践の基盤となるものー」 日本老年看護学会誌26(2) 71-78頁 2022年
・星野大輔,小幡ひろみ,小山千加代他 「ステントグラフト内挿術を受けた後期高齢者の治療体験」 新潟大学保健学雑誌18(1) 55-62頁 2021年
◆2022年9月例会(第301回総合部会例会)
【目次】
日時:9月 10日(土 ) 15時~17時30分(予定)
会場:リモート開催を予定しています。
発表者:岡野 浩氏(学習院大学)
司会:船木 祝氏(札幌医大)
演題:「生の連続性(Kontinuität)」から人間の尊厳を考える
【要旨】
かつては(あるいは、ほんの数時間前までは)生き生きと言葉を交わしていた人が、何らかの事故や疾病、劇症型の発作等により脳に重篤なダメージを受け、人工呼吸器等を駆使した高度な延命医療に支えられ、辛うじてその生を維持している状態となった時、たとえ、脳波やPET検査等により、もはやその意識活動をも含め、脳の全ての機能を不可逆的に喪失しているとされたとしても、目の前に横たわるその人を<死者>として、温かく脈打つ肉体を<死体>と見なすことは困難です。
しかし、我が国も含め<脳死>が死のスタンダードとなりつつあるこの世界においては、<脳死体>は今や、貴重な移植用臓器の集合体であることはもとより、さまざまな医学的な実験に利用可能な医療資源(ある意味では、<公共財>)としての意味を持つようにもなりました。こうした時代の要請の中にあっては、高度な延命医療に支えられ脈打つ肉体に、<いのち>を実感し、一縷の望みに縋りつつ<共に生きること>を断念できずにいる人々(家族)の在りようは、膨大な医療資源の浪費に過ぎぬ<愚行>と批判されることになります。ただそのように断じて憚らない態度の背景には、単にドライで冷徹な医学者としての姿勢や、多くの人々の救命を図ろうとする倫理観等によっては説明することのできない<ある種の人間理解>、あるいは伝統的な人間理解の根本的変容があるようにも思われます。
本発表では、こうした考え方の背景をなすものの一つとして、いわゆるパーソン論の議論、特に、『バイオエシックスの基礎-欧米の「生命倫理」論』(加藤尚武・飯田亘之編 東海大学出版会,1988年)所収の J.ファインバーグの「人格性の基準」とH.T.エンゲルハートの「医学における人格の概念」の議論を取り上げ、その基本的な考え方、問題点について述べた上で、彼らの議論においては必ずしも主題的には取りあげられてはいないものの、その人間理解の重要な一部をなしていると思われる<ある側面(敢えて言えば、ごく常識的な人間理解)>に目を向けてゆきます。
特定の能力の有無、即ち、自己意識をはじめとする高度な意識活動が可能であるか否かを基準に人間の存在価値を、尊厳を有する者、すなわち、道徳的にも、法的にも充分な尊重の対象と認められる者と、そうでない者に区分・序列化しようとする立場、言い換えれば、人間の生命の展開過程の特定の局面を捉えて、そこに<クリアカットの境界線>を設けようとする議論に対して、J.ハーバーマスは、『人間性の将来とバイオエシックス』(2005年)の中で、そうした<基準(線引き)の恣意性>を指摘しています。そこで本稿後半ではJ.ハーバーマスの「連続性のテーゼ(Kontinuitätsthese)」を手掛かりに、人間存在の侵しがたい重さ(尊厳)、その<漠然たる広がり(幅)>について考えてみたい
と思います。
【業績】
・「カントにおける『生きる権利』の立法化をめぐる問題」, 『学習院大学文学部研究年報』49号, 平成14年9月, pp. 23-43.
・「M.ウォルツアーにおける『解釈(interpretation)の道』について」, 学習院大学哲学会『哲学会誌』32号, 平成20年5月, pp. 23-46.
・「共生社会を支える<宗教的見識>の涵養について考える-教育現場に求められる基本的宗教理解についての一試論-」, 『星槎大学教職研究』第2巻2号, 平成30年3月, pp. 79-86.
・酒井潔, 岡野浩編『改訂版 考える福祉』, 東洋館出版
◆2022年7月例会(第300回総合部会例会)
【目次】
日時:7月 23日(土 ) 15時~17時30分(予定)
会場:リモート開催を予定しています。
発表者:中澤 武氏(明海大学)
司会:黒須 三恵氏(東京医科大学)
演題:「生命の尊厳」とは何か
【要旨】
新しい技術は、新しい問いをもたらす。20世紀の後半以降、生命現象の科学的な解明が飛躍的に進むとともに、生命に対する人為的操作の是非が新しい倫理的課題として社会的な議論の的となってきた。たとえば、1960年には米国で慢性の腎臓病患者に対する人工透析治療が開発されたが、当初は治療できる患者の数が限られていた。そこで、市民を含むメンバーからなる委員会が設けられ、社会的価値基準に基づいて「誰が生き、誰が死ぬか」を決める患者選定を行った。このことが1962年に報道されると、「神を演じる(play God)」委員会の活動に批判が集中した。ここには、旧来の生命至上主義から生命の価値の比較考量へという現代医療の原理的転換が顕現している。
「神を演じる」ことが、なぜ問題なのか。古来より、生と死は神が独占支配するものと考えられてきたからである。生命は至高の存在に由来するものだから特別に尊い。しかも、人間以外の生き物とは違って、人間の生命には特別な価値があると考えられる。このことを、英語で「サンクティティ・オブ・ライフ(sanctity of life: SOL)」(生命の神聖性)と言う。この概念には二重の意味がある。ひとつには、すべての人間が他の生き物とは違う特別な価値(「人間の尊厳」)を認められている。もうひとつには、そのような人間の命が「神聖」なものと見なされている。SOLがこのような意味を持っているのは、それがヨーロッパの哲学的および宗教的人間観の伝統に根差した概念だからである。すなわち、一方でSOLの背景には「人間の尊厳」という哲学的な概念があり、他方でSOLは、ユダヤ・キリスト教の宗教的人間観を受け継いでいる。要するに、SOLは西洋の文化的伝統の中で育まれ、歴史的な深みを備えた謂わばローカルな概念なのである。
このように、SOLは、人間と人間以外の生命との間に絶対の差別と価値の序列を設けることなのだから、わが国の伝統的な生命観からすれば、異質な思想と言えるだろう。たとえば、わが国の古典文学の中には、生きとし生けるものの苦しみに共感し、畏敬する人々の姿がある(平安時代の仏教説話集『日本霊異記』など)。現代でも、ペット動物の葬儀や実験動物の慰霊祭は珍しくない。死を免れず限りある存在としての命に対する共感的姿勢は、わが国における道徳意識の基礎となっている。人間の命だけに限らず、すべての命は壊れやすく、はかない。だからこそ命は尊く、ときには畏敬の対象ともなる。
とはいえ、SOLという言葉は、わが国でも1980年代から医の倫理との関連で用いられ、「生命の尊厳」と訳されるのが通例であった。「尊厳」の原語には sanctity と dignity の両方が考えられるが、当初はこれらの概念の区別が明確ではなかった。現在では、SOLを「生命の神聖性」と訳し、「生命の尊厳」は「人格の生命の尊厳」(dignity of the life of the person)とする理解が定着している。では、非西洋の文化的伝統を背景として、人間の生命を含む生命一般に関する「生命の尊厳(dignity of life)」の新規定は可能だろうか。
【最近の業績】
著書:
――Kants Begriff der Sinnlichkeit, frommann-holzboog, 2009.
――マンフレッド・キューン『カント伝』(共訳, 春風社, 2017).
――ディーター・ビルンバッハー『生命倫理学:自然と利害関心の間』(監訳, 法政大学出版局, 2018).
――『新版 薬学生のための医療倫理[コアカリ対応]』(共著、丸善出版, 2021年)
◆2022年6月例会(第299回総合部会例会)
【目次】
日時:6月 4日(土 ) 15時~17時30分(予定)
会場:リモート開催を予定しています。
発表者①:宮下 浩明氏(みやした内科医院)
演題:日常的な診療の中でいったいどのようなものとして尊厳を考えたらよいのだろうか
発表者②:大西 奈保子氏(帝京科学大学)
演題:非がん患者の緩和ケア~がん患者と心不全患者との比較
司会:小館 貴幸氏(立正大学)
(今回は2名の発表を行います)
【要旨】①宮下 浩明氏
倫理研究、倫理ガイドラインのなかでは、重要な概念として尊厳は位置づけられていると思われる。一方、日常の診療の中で尊厳という言葉を、医療者と患者の直接の言葉のやりとりの中で使う機会は、自身の経験を振り返ってもほとんどなかったように思われる。
尊厳がそれほどに重要なものであれば、なぜ、仕事の中でそれとして使われないのか疑問をもった。
これまでの総合部会での諸発表において、尊厳について、法律の中での使用、キリスト教などの宗教教義とのかかわり、使用に至った歴史的な経緯、倫理哲学的な内実について、提示されてきたように思う。
尊厳についての様々の研究があることを念頭においたうえで、終戦後の日本国憲法制定の簡単な経緯、ドイツ、アメリカでのキリスト教信仰の確認などから、それぞれの国における尊厳の受け取りかたについて想像力を働かせたい。
尊厳の内容は、時代地域によって変わりうるものであると思われた。医療の中での尊厳について、医療者と医療を受けるものとのかかわりの中に、日常どこにでもあるような形で、見つけ出すことができる可能性について、医療者の立場から提案したい。
【最近の業績】
・「信仰にもとづく医療上の要請にたいする、医療者の判断についての検討」、第24回岡山生命倫理研究会 研究発表、2020年2月
・「中山間へき地の無床診療所活動の報告 ―高齢者を対象とした医療活動の倫理性についての検討」、関東医学哲学・倫理学会総合部会7月例会、研究発表、2010年7月
・「病名、病状の患者理解における解釈、意味づけの視点から、がん告知を検討する」、第26回日本医学哲学・倫理学会大会、2007年10月
【要旨】②大西 奈保子氏
高齢社会の日本では、国民の3分の1はがんで死亡するが、残りの3分の2は、がんではない疾患(老衰等も含む)で亡くなる。緩和ケア(パリアティブケア)の考え方は、がん医療の発展の中から生まれたものである。つまり、がんの撲滅が見込めないのであれば、がんに伴う不快な症状を緩和して、がんとの共生を目指すという考え方である。現在、がん医療から発展してきた緩和ケアの概念を、高齢者のエンドオブライフケアや、がん以外の疾患の終末期に応用しようという試みがなされている。しかし、がんの終末期と非がんの終末期では、病の軌跡や治療方法などの違いがあり、がんの終末期ケアで発展してきた緩和ケアを単純に非がん患者の終末期に当てはめることは困難である。
また、非がん患者のターミナルケアを担う看護師は、看護教育の中で、“がん”の終末期を想定して講義が展開されるようになっている。そのため単発で高齢者のエンドオブライフケアといった広い意味での非がん患者のターミナルケアを学ぶことはあっても、系統的に学ぶのは、やはりがんの終末期ケアである。以上のような状況を踏まえてみても、非がん患者は、専門家による一貫した緩和ケアを受けられる状況にはないと言える。
今回は、発表者が看護学臨地実習指導で経験をした事例を踏まえながら、心不全患者を例に挙げ非がん患者の緩和ケアについて問題提起できればと考えている。
【最近の業績】
・大西奈保子・田中樹:臨地実習で終末期の患者を受け持った看護学生の成長に関連した体験, 日本看護学教育学会誌, 31(3), 23-34, 2022.
・大西 奈保子, 小山 千加代, 田中 樹:在宅で妻を介護した夫の看取りの特徴と訪問看護師の支援, 日本看護科学学会誌,40, 113-122, 2020.
◆2022年5月例会(第298回総合部会例会)
【目次】
日時:5月 15日(日 ) 15時~17時30分(予定)
会場:リモート開催を予定しています。
発表者:尾崎 恭一氏(放送大学埼玉学習センター)
司会:冲永 隆子氏(帝京大学)
演題:人間の尊厳と積極的安楽死⋅医師介助自殺
【要旨】
積極的安楽死⋅医師介助自殺の違法判断や正当化の根拠の変化について、人間の尊厳価値に関する道徳観の深化という側面から考えたい。
まず日本では、早くも1960年代に積極的安楽死の違法性阻却要件が名古屋高裁判決で示されている。この基準とその理論的支柱となった小野清一郎学説によれば、人命価値は本人による苦痛からの解放という自己中心的な意思を越えた、他者の利他的同情の倫理によってしか奪えないものだとされる。これに対して1995年の東海大学病院事件の横浜地裁判決では、死苦解放と人命との法益評価は本人の自己決定に委ねられるべきだと反転している。これは、人間の価値を個人の尊厳において捉える が故の転換である。
他方、ドイツの安楽死裁判の歴史では、逆に基本法第一条に規定された人間の尊厳に基づく第二条の道徳律は人命価値を至上のものとするがゆえに安楽死は厳禁であり、自殺未遂者を本人意思に反しても救命する義務があるとされた。その背景には、ナチスが優生思想から安楽死を推進した過去がある。しかしその後の1990年代の判決では、この救命義務は消えるが、その正当化は基本法第二条の道徳律は人命に対して自律が優ると解釈変更されるにいたる。
いずれも安楽死等の違法性阻却を明確にする傾向であるが、逆に日本では近年、優生思想の視点から「安楽死」等を主張したり、それと対をなすように優生思想批判の視点から安楽死等を否定する議論が目立っている。
以上において、一方での利他心と自己決定の評価の転換、他方での優生思想からの安楽死把握には、人間の尊厳価値についてどのような認識の深まりがあったのか、この点について安楽死判決を参照しつつ考えたい。
【最近の業績】
・「優生思想批判視点に基づく積極的安楽死否定論について」日本医学・哲学倫理学会第40回大会、研究発表、2021年11月07日
・「道徳概念と学校道徳」日本道徳教育学会第93回大会、研究発表、2019年6月29日
・「近代の道徳概念と道徳科の成績評価」『人間と教育』第101号、旬報社、2019年3月7日
<参考>
・2004 ドイツにおける直接的積極的安楽死及び医師介助自殺をめぐる諸問題、続・独仏生命倫理研究資料集(上),平成15年度科学研究費補助金・基盤研究B(1)
・2004 ドイツにおける医師介助自殺論議-「人間の尊厳」理解の対立―, 医学哲学と倫理,No.3, 日本医学哲学・倫理学会関東支部
・1997 Denkweisen ueber Leben und Tod und aktive Euthanasie in Japan, Humanitas Verlag
・1996 自発的積極的安楽死と自己決定権(論文、単著), 医学哲学 医学倫理,第14号,日本医学哲学・倫理学会
◆2022年総会・4月例会(第297回総合部会例会)
【目次】
総会
日時:4月 10日(日)15時~16時(予定)
会場:リモート開催を予定しています。
4月例会
日時:4月 10日(日)16時15分~17時45分(予定)
会場:リモート開催を予定しています。
演題:2022年度年間テーマについて