2015年度

◆3月例会(第253回総合部会例会)

日時:3月13日(日) 15:00~17:30                 会場:東洋大学 白山校舎 6307教室(6号館3階)

発表:平山陽示氏(東京医科大学病院 総合診療科)             演題:「Jonsenの4分割を利用した臨床倫理カンファレンス」

司会:冲永隆子氏(帝京大学)

要旨:

本学にユネスコ生命倫理学講座国際ネットワーク日本支部が置かれたのを機に、倫理学教授の音頭の下、2012年に我々は臨床倫理研究会を発足させた。医師、看護師、倫理学者、ソーシャルワーカーをはじめとした多職種が集まり、ほぼ月に1回の定期的な臨床倫理カンファレンスを開催してきた。また年に2回は参加者をオープンにした臨床倫理ワークショップを開催してきた。その際、「何が問題なのか?」「どのように考えれば良いのか?」という点に参加者が気づきやすくするために利用したのがJonsenの4分割法である。それを利用した臨床倫理カンファレンスの実践を解説すると同時に、重要であると認識されているにもかかわらず、思うように参加者が増えない現状について報告する。

主要な業績:

Yoji Hirayama, Thomas E. Lohmeier, Robert L. Hester Hormonal and
circulatory responses to chronically controlled increments in right atrial
pressure Am. J.Physiol. 1990;258:H1491-H1497

Yoshifumi Takata, Yoji Hirayama, Sadamichi Kiypmi, et.al. The beneficial
effects of atrial natriuretic peptide on arrhythmias and myocardial
high-energy phosphates after reperfusion 1996;Cardiovasc Res:32:286-293

平山陽示 医療機関受診者を対象とした禁煙に関する意識調査報告 2010;Prog. Med. 30:219-227

Yoji Hirayama, Takashi Kawai, Junji Otaki, et. Al. Prevalence of
Helicobacter pyroli infection with healthy subjects in Japan J. 2014;
29(Suppl.4):16-19; Gastroenterol. Hepatol.

参加費:300円

 

◆2月例会(第252回総合部会例会)

日時:2月7日(日) 15:00~17:30                  会場:東京医科大学病院  教育研究棟(自主自学館)3階 会議室B

発表:大井賢一氏(特定非営利活動法人 がんサポートコミュニティ)   演題:「終末期におけるQOD(Quality of Death) ―がん患者の心理社会的支援からの気づき」

司会:近藤弘美氏(清和大学)

要旨:

近年、がんの診断と治療は著しい進歩を遂げたにもかかわらず、がんと診断されたときに人は恐怖と不安に陥る。内閣府による世論調査(2014)で、がんに恐怖を覚る人は74.4%で、そのうち72.9%の人は「がんにより死のリスクが上乗せされる。だから怖い」と考えていた。社会保障制度改革推進法(2012)には「人生の最終段階を穏やかに過ごすことができる環境を整備する」と規定され、社会保障制度改革国民会議報告書(2014)で「死すべき運命にある人間の尊厳ある死を視野に入れたQODを高める医療」とわが国において初めてQOD(Quality of Death)が言及された。
がん患者のQuality of Life(QOL)に関する研究は少なくない。死が遠い存在であるときQOLを問うことは可能であろう。しかし、死が間近に迫ったとき“生”に対する前向きな姿勢を問うQOLよりも、安らかな死を求めるQODがより重要になるのではないか。英誌The Economistによる調査によると、わが国のQODは2010年40ヵ国中23位、2015年80か国中14位との結果であった。
わが国では、これまでQODを考慮した終末期ケア(The End of Care)という捉え方が浸透していない。本発表ではQOD概念を明らかにし、これからの終末期ケアのあり方について議論したい。

主要な業績:

関東医学哲学・倫理学会編『新版医療倫理Q&A』編著,太陽出版,2013.担当:Q4-4インフォームド・コンセントを得なくてもいい場合はあるかpp.92-3/Q4-8患者のした決定には必ず従わなければならないかpp.100-1/Q5-9研究においてブラセボを使用することは許されるかpp.124-5/Q8-12患者の死後、遺族を援助しなくてもよいかpp.185-6

大井賢一・木阪昌知『歯科医療倫理Q&A』共著,太陽出版,2000

竹中文良・内富庸介(監訳)『がん患者・家族のためのウェルネスガイド―がんと診断されてもあなたらしく生きるために―』共訳,Parade Books,2013.(Kim Thiboldeaux and Mitch Golant, The Total Cancer Wellness Guide: Reclaiming Your Life After Diagnosis 1st Edition, BenBella Books, 2007).担当:第3章 アクティブな患者―がんサポートコミュニティーのアプローチpp.37-46/私たちは共にがんと闘いますpp.281-2/付録:米国国立がん研究所の2015年への挑戦pp.283-8

大井賢一:患者は医師に何を期待しているのか?―がん患者支援の視点から―,生存科学,Vol.23 B,pp.117-23,2013

大井賢一:地域コミュニティにおけるサポートグループの実践,厚生労働省科学研究助成金第三次対がん総合戦略事業、「厚生労働省戦略研究課題2;緩和ケアプログラムによる地域介入研究(OPTIM研究):緩和ケア普及のための地域プロジェクト報告書,pp.541-2,2013

 

◆1月例会(第251回総合部会例会)

日時:1月9日(土) 15:00~17:30                  会場:東洋大学 白山校舎 6208教室(6号館2階)

発表:水野 俊誠氏(津田沼クリニック副院長、慶應義塾大学講師)    演題:「続・死の法的基準としての脳死」

司会:山本 剛史氏(慶應義塾大学)

要旨:

哲学者の小松美彦は、脳死の人が生きているという自らの見解を支持する論拠として、(1)脳死と判定された時に意識があったという本人の証言があること、(2)脳死の人がラザロ徴候を示す場合があること、(3)脳死の人は、臓器を摘出される時に激しく動く場合があるので、麻酔や筋弛緩薬を投与せざるを得ないこと、(4)脳死の人は長期にわたって成長し、心臓が拍動し続ける場合があること等を挙げている。第四の論拠について、筆者は論文「死の法的基準としての脳死」(『医学哲学 医学倫理』第33号、2015年、21-29頁)で既に考察したので、本発表では、残りの三つの論拠を検討することにしたい。

主要な業績

水野俊誠『J.S.ミルの幸福論――快楽主義の可能性』梓出版、2014年
水野俊誠『医療・看護倫理の要点』東信堂、2014年
水野俊誠「死の法的基準としての脳死」『医学哲学 医学倫理』第33号、2015年、21-29頁
Mizuno, Toshinari, “Problems concerning the concept of mental illness and mental disease,” Journal of Philosophy and Ethics in Health Care and Medicine 4, 2010, pp.69-87
水野俊誠「通約不可能性についての一考察」『倫理学年報』第57集、2008年、261-274頁

参加費:300円

 

◆12月例会(第250回総合部会例会)

日時:12月6日(日) 15:00~17:30                 会場:東洋大学 白山校舎 6102教室(6号館1階)

発表:石田安美氏(お茶の水女子大)                  演題:「正常さ」は役に立つか:その倫理学的有効性について

司会:森 禎徳氏(東邦大学)

要旨:

本年度の医学哲学・倫理学会全国大会で、「正常さ(Normality)」についてのワークショップ(WS)を行った。本発表は、その報告を踏まえて、生命倫理における「正常さ」の重要さについて、さらに一歩踏み込んで議論できればと考えている。

「正常」とは「正常である状態」のことであるが、(体型や歯並びのように)医学的・生物学的な「正常さ」が、社会的・倫理的な規範として働くことがある。現代医療では、治療とエンハンスメントの境界として用いられることもある。そうした「正常さ」の重要性を踏まえ、WSでは、心理学、神経工学、先進医療の3点から3人の論者に発表してもらった。本発表の前半は、それを総括する。

後半では、WSでの議論を踏まえ、Eva Kittay氏の「the desire for normality」の概念などを引用しながら、「正常さ(normality)」と倫理的規範(norm)の関係について考える。

最近の業績

・「『自律性』を汚染するもの ――『倫理のパッケージ化』試論」(上智大学生命倫理研究所、『生命と倫理』)

・「ICにおける『緩やかなパターナリズム』の正当化の検討」(日本生命倫理学会、『生命倫理』Vol.24, No.1)
・“On the Possibility of Explanatory Pluralism in Neuroethics”(Journal of Philosophy and Ethics in Health care and Medicine、No.6)62

参加費:300円

 

◆11月例会(第249回総合部会例会)

日時:11月21日(土) 15:00~17:30                 会場:東洋大学 白山校舎 6102教室(6号館1階)

発表:尾崎恭一氏                           演題:清水哲郎氏の医療倫理体系の検討

司会:江黒忠彦(帝京大学)

要旨:

1. 清水氏の医療への哲学的関心は、身内の治療というリアルな経験から始まり、その方法は医療者の現場の言葉を受けて対話し共に考えることにあった。

その点で、当時定義の定まらなかった臨床哲学はともかく、当時の応用哲学や生命倫理(学)の上から目線を拒否する「医療の哲学」であったのである。

2.その後の考察にも、この当初の視点が貫かれ、今や独自の医療「臨床倫理」体系をなすに至った。

それは、医療倫理諸原則の独自の関連づけ、それらの原則で裁断できない場合の決疑論の独自の解釈と提案、そして臨床の場で議論するための独自の義務書式の提言と普及活動、さらには医学会内部の終末期医療の倫理指針の責任作成にまで及んでいる。

3.こうした清水医療倫理について、以下の視点から理論的特徴を明確に理解できるようにしたい。

その特徴把握の視点とは、価値観と倫理観、道徳性と遵法性、義務論と帰結論、自律とケア責任などであり、こうした視点から清水氏の理論と提言を検討することにしたい。その上で、その評価に至ることができれば、と考えている。

4.主要参考文献

1997年『医療現場に臨む哲学』、2000年『医療現場に臨む哲学2』、2004年(編著・内2論文)『臨床死生学』No.3、2009

参加費:300円

 

◆10月例会(第248回総合部会例会)

日時:10月3日(土) 15:00~17:30                 会場:東洋大学 白山校舎 6102教室(6号館1階)

発表:宮脇美保子(慶應義塾大学看護医療学部)             演題:「看護実践とケアの倫理」

司会:冲永隆子(帝京大学)

要旨:

1980年代、ギリガンに始まる人と人の関係性を重視した「ケアの倫理」は、誰もが潜在的脆弱者(高齢社会、繰り返される大災害など)であることを意識せざるを得ない現代社会においてますます重要となっている。特に、人間が人間に「関わる」ことを基盤におく看護学においては、それまで軽視されてきたケアの価値が問い直されるようになった。ワトソン、ボイキン、ベナーといった多くの看護理論家は「ケアリング」を看護の本質として位置づけている。こうした理論に共通しているのは、人への関心、気遣い、その人がもつ強みを大切にし、人としての尊厳を守ることへの責任を引き受けようとしていることである。発表では、具体的事例をもとに、臨床倫理においては、従来の倫理原則と補完し合う関係にあるケアの倫理の重要性と課題について検討したい。

業績
1. 身近な事例で学ぶ看護倫理(単著), 2nd.Ed.中央法規出版,2008
2. 看護実践のための倫理と責任(単著), 中央法規出版,2014
3. 看護師が辞めない職場環境づくり(単著), 中央法規出版,2012
4. シリーズ生命倫理学 14巻 看護倫理(編著),丸善出版、2012
5. ケアリングとしての看護 (共訳),ふくろう出版,2005.

参加費:300円

◆9月例会(第247回総合部会例会)

日時:9月5日(土) 15:00~17:30                  会場:東洋大学 白山校舎 6102教室(6号館1階)

発表:羽金 和彦氏(栃木医療センター)                演題:「臨死体験と医療、文化、宗教との関わり」

司会:長島 隆氏(東洋大学)

要旨:

臨死体験とは、心停止等により意識消失となった後に蘇生した人が、意識消失中に起こったと記憶している体験のことです。幽体離脱、光の世界、霊的な存在との出会いなどの良く似た体験が報告されてきました。科学的な検討から、臨死体験は脳の生理学的反応と考えられ、人類の歴史上普遍的に存在した事象と考えられます。臨死体験後に人格が変化し、自己受容、反競争主義、神聖な目的意識、死の恐怖の克服、死後の世界の確信、魂の不滅、輪廻を信じる、のような変化が、臨死体験者に起こることが報告されています。宗教者の多くが臨死に近い状態で神の啓示を受けていることからも、臨死体験が死後の世界、魂の不滅等の概念を人類にもたらした可能性があると思います。

業績
1.ヒューリスティクスと医療安全 第17回日本医療マネジメント学会2015 6月
2.本邦におけるヘルニア圧迫固定療法 第52回日本小児外科学会 2015 5月
3.中絶倫理の歴史 第30回日本小児外科学会秋季シンポジウム 2014 10月
4.乳児の血尿 小児外科45(2) 2013

参加費:300円

 

◆7月例会(第246回総合部会例会)

日時:7月5日(日) 15:00~17:30                  会場:東洋大学 白山校舎 6102教室(6号館1階)

発表:中澤 武氏(所属:明海大学)                  演題:「病気概念の主観性および医療実践における構成的意義について」

要旨:

本発表の課題は、病気概念の主観的構造に注目し、医療者の支援行為に対する病気概念の実践的意義を示すことにより、医療者-患者関係の非対称性を考慮した支援の在り方を検討することである。
人は、みずからを病気と見なし病気に対する態度を決定することができる。病者は、単に病苦を受動的に受けとめることもできれば、病苦からいわば距離をとって能動的に病気に対処することもできる。そこには、当人の生活状況や病気の程度、病歴等さまざまな要因が働いているだろう。とはいえ、病者の態度を左右するのは、必ずしも疾患の客観的所見だけではない。むしろ、病者自身が心身の状態をどのようなものとして感覚し、どのような医療支援を必要と見なすか、その解釈が決定的な意味を持つのである。
こうした病気概念の主観的側面は、理論的には、人間の「脱中心的定位」(H.プレスナー)という人間学的構想によって基礎づけられ得る。これに対して、実践的には、みずからの心身の状態を病気と見なし、自律性の毀損を認識しつつ本来の統合態の回復を望む患者の自己認識が、医療者の行為に対する実践的要請を基礎づけている。それゆえに、医療者に求められる支援は、経験的に記述可能な生命現象の機能不全を調整することだけにとどまらない。むしろ、統合態を喪失した患者を支え、損なわれた自律性を回復するためには、患者の有する病気概念の主観的解釈に働きかけ得るアプローチこそが、医療行為の構成的要素として認められなければならない。
そのようなアプローチを実効のあるものとするために、医療者-患者関係の非対称性を考慮しつつ、医療実践の場に応用し得る対話モデルの構造を考える。

明海大学歯学部、東京薬科大学、小諸看護専門学校(各非常勤講師).
早稲田大学文学研究科博士課程退学.トリーア大学(ドイツ)哲学博士(Dr. phil.).

主な研究テーマ:ドイツ18世紀啓蒙、生命倫理・医療人文学,ビジネス倫理.

業績

Kants Begriff der Sinnlichkeit(frommann-holzboog社,2009年),

「概念史研究:その意義と限界」(日本カント協会編『日本カント研究 カントと形而上学』理想社,第13巻,2012年),

「安全と納得とのあいだで:産科医療に関するインフォームド・コンセント再考の一視点」(『医療と倫理』日本医学哲学・倫理学会関東支部,第8号,2009年),

Whistleblowing und ethisches Handeln in der japanischen “Corporate Society”(Kritisches Jahrbuch der Philosophie, Königshausen & Neumann, Beiheft 9,2011年など.

司会:小館 貴幸氏(立正大学)

 

◆6月例会(第245回総合部会例会)

日時:6月6日(土) 15:00~17:30                  会場:東洋大学 白山校舎 6214教室(6号館2階)  西門から入った建物が6号館です。

発表:大西奈保子氏(所属:帝京医科大学)(予定)            演題:「在宅でがん患者を看取った家族に関する研究~看取りの覚悟に焦点を当てて」

要旨:

家族が在宅で患者を看取れるように支援することは,がん患者の在宅ケアには不可欠である.そこで,がん患者を在宅で看取った家族の覚悟を支えた要因を明らかにすることを目的として,がん患者を在宅で看取った家族15名からなぜ在宅で看取ることができたのかという問いを立てて半構成的インタビューを試み,その内容を質的帰納的に分析した。
その結果,がん患者を在宅で看取った家族の覚悟を支えた中心的要因は,家族の人生観・死生観である≪在宅での看取りを受け入れる思い≫,家族を取り巻く人間関係である≪周囲の人々の協力≫,家族が患者・家族の置かれた現状を認識する≪在宅ケアを継続する勇気≫の3つであった.
家族が在宅で患者を看取る覚悟を支えるためには、家族の人生観・死生観と直結している≪在宅での看取りを受け入れる思い≫が土台となり、その上に≪周囲の人々の協力≫と≪在宅ケアを継続する勇気≫の柱を立ててはじめて家族の覚悟を支えることができると考える。家族の看取りの覚悟を医療者が支えるためには、この3つの要因に介入していくことであるが、≪周囲の人々の協力≫≪在宅ケアを継続する勇気≫は,制度を利用したり教育的に支援したりして比較的看護が介入しやすいが,≪在宅での看取りを受け入れる思い≫は,患者本人を含む家族の人生観や死生観の部分が強く表れており,特にがん患者の在宅ケアの場合,在宅ケア期間が短いということもあり,そこに看護が介入するのは難しいと言える.

業績
1)大西奈保子:介護老人福祉施設で看取りケアに携わる介護者の態度、東都医療大学紀要、3(1)、31-39、2013年.
2)大西奈保子「在宅医療におけるホスピスケア~実現に向けての教育とシステム構築 の提案」平山正実編著『死別の悲しみから立ち直るために(臨床死生学研究叢書2)』、2010年3月、聖学院大学出版会.
3)大西奈保子:ターミナルケアに携わる看護師の”肯定的な気づき”と態度変容過程、日本看護科学会誌、29(3)、34-42,2009年.

司会:青山彌紀氏(所属:ドイツ日本研究所)(予定)

参加費:300円

 

◆5月例会(第244回総合部会例会)

日時:5月9日(土) 15:00~17:30             会場:東京医科大学 第二看護学科棟 2階 205講義室

演者:尾久 裕紀 (おぎゅう ひろき)氏
演題:Informed consentにおけるNudgingの意義と問題点

所属:大妻女子大学

要旨;
伝統的な医師-患者関係では、「専門家である医師は、何が患者のためになるかを知っているので任せておけばよい」 というものであったが、Informed consent(以下ICと略す)ではこれは医師のパターナリズムとして否定された。そして自分の身体にかかわることは自分で決めるという自己決定が尊重されることとなった。
一方、人間の意思決定は偏る傾向にあり、特に不健康のときには必ずしも合理的または論理的ではないということも指摘されている。そのような場合、患者の(本来であれば選択しない)「誤った判断」を修正することは医師のパターナリズムになるのか?
個人の選択の自由を制限することなく、その人の利益を最大にする決定を行うためのNudgingは、リバタリアンパターナリズムの特徴の1つである。倫理的に正当であるならば、Nudgingはパターナリズム的善行と自律の尊重の間の古典的なジレンマを克服する可能性と共に、ICについて重要な新しいパラダイムを提供することになる。
今回、日常臨床の場で行われているICにおけるNudgingの意義およびその問題点について若干の考察を試みたい。

参加費:300円

 

◆4月例会(第243回総合部会例会)

日時:4月5日(日) 15:00~17:30             会場:上智大学 2号館10階ドイツ語学科会議室

演者:森 禎徳 氏                               演題:「障害新生児に対する治療差し控えの倫理的妥当性ーー「障害に配慮した生命倫理学」という視座」について

所属:東邦大学

要旨:1970年代初頭にアメリカで公表された「障害新生児に対する治療差し控え」という問題は、日本でも1986年のいわゆる「仁志田ガイドライン」以降、そ の妥当性や治療・不治療の境界線について議論が行われてきた。その一方で、「条件次第では、先天的に重い障害を持つ新生児に対して治療を差し控えることも 許されうる」という基本的な点については、疑問視されることがほとんどなかったとも言える。本発表では障害新生児に対する治療差し控えが、「自律の絶対的 欠如」という点において、通常の終末期における治療停止(尊厳死)とは本質的に異なっていることを指摘し、そのような行為を正当化するためにしばしば用い られる「最善利益」や「無益性」といった概念が、はたして自律の絶対的欠如を補填するに足るかを検証する。その上で、治療差し控えに反対する「障害学」の 立場や主張を紹介しつつ、A・ウーレットが提唱する「障害に配慮した生命倫理学」という新たな視座の意義を考えたい。

参加費:300円

カテゴリー: 総合部会 パーマリンク