2010年度年間テーマ 趣意書

年間テーマ:「人体組織の医学・医療上の利用をめぐる倫理問題」

昨年(2009年)7月に、臓器移植法が十分な審議もなされず、「改正」された。これにより、死後の臓器提供において親族への優先提供が可能となったが、 この親族優先は移植医療の公平性と矛盾するものである。条文上は脳死は人の死となり、臓器提供拒否の本人の生前意思表示がなければ、遺族の同意で臓器が提 供されることになる。改正される前の臓器移植法では、自律尊重原則のもと、本人の生前の提供意思が前提となっていた。しかし、これでは意思表明不能な乳幼 児からの臓器提供は不可能である。そのため、昨年の法改正で遺族からの同意で乳幼児からの臓器提供を可能とした。成人でも本人の生前の臓器提供拒否の意思 がない限り、遺族の同意による提供を認めたことにより、遺族の役割が重要となった。

思い心臓病等で苦しむ乳幼児の「生命・人間の尊厳」を考えると臓器移植は倫理的行為かもしれない。では、遺族による臓器提供を認める倫理的根拠は何か。遺 体はだれのものか。どのような存在として遺体を受け止めればよいのか。こうした問題は、生体肝移植のように、生きた人からの臓器等の提供にも当てはまる。

生命倫理に関連した宣言に、バルセロナ宣言とユネスコの生命倫理と人権に関する宣言がある。そこでは、自律尊重原則、人間の尊厳の他に、脆弱性、連帯が掲 げられている。「連帯」に着目すれば、子どもの臓器等を提供することは、社会への「連帯」として捉え、そのことが人間の尊厳を保つことにもなるとも考えら れる。しかし、一方、社会への「連帯」が強調されれば、社会的「責任」へと転化され自由意思を持つ個々人への意思の強制へと導くことになりかねない。

他人の死を前提とした臓器移植は、臓器不足や移植臓器の拒絶反応という根本的課題がある。これらを解決する有力な方法が再生医療である。必要とする細胞や 組織を、自己の幹細胞やiPS( 人工多能性幹細胞)やES(胚性幹 細胞)から作成する試みが国家政策として進められている。がん化することなく安全に効率よく目的とする細胞を作成することは今のところ成功していない。し かし、いずれ技術的課題は克服されるだろう。では再生医療には技術的課題以外に問題はないのだろうか。生殖細胞を利用することや、体細胞から生殖細胞を作 成するなどの倫理問題がある。

重病で苦しむ人の「人間の尊厳」「生命の尊厳」のために、臓器等を提供することは、「崇高な」「倫理的」行為ともいえるかもしれない。一方、心理的存在で もある私たちは、助かりたいと思えば他人の死を期待しかねない。臓器提供する側および提供を受ける側における、倫理及び心理問題を含め、臓器等の提供につ いて多面的に理解することが必要である。

私たちはどのような医療を目指せばよいのか。臓器移植と再生医療から見えてくる人間観ははたしてどのようなものなのであろうか。このようなことにもつながる議論を期待したい。 (文責:部会長 黒須三惠)

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